
あらゆる音を編み、現代R&Bとラップ/ヒップホップを拡張するブラッド・オレンジ
by shukki
ブラッド・オレンジことデヴ・ハインズは、その多才さ器用さと音楽に対する誠実さで、あらゆるジャンルの音をクォリティー高く創出することができる稀有なアーティストのひとりだ。
特に直近2作にあたるブラッド・オレンジ4枚目のアルバム『Negro Swan』(2018年)とそのエピローグ的ミックステープ『Angel's Pulse』(2019年)では、これまでになく近年のアメリカのコンテンポラリーR&B、ヒップホップ/ラップにフォーカスし、その色合いが非常に濃く感じられる作品群となっている。
「自分のNYへの愛は、自分がイングランド出身だからだ。ジェイムズ・ボールドウィンが、パリに行くまでアメリカのことが本当には分からなかったと言ったように、その中にいると見えないことがある」と語るアメリカに移住して12年目となるデヴ・ハインズがそこで表現する音は、純粋な〈アメリカン・ブラック・ミュージック〉ではない。しかしながらそれこそがブラッド・オレンジの音楽の特長であり、強みであり、高く評価される点であろう。
11歳から始めたクラシックのチェロ演奏を音楽的なルーツに持つ彼は、2004年に18歳で地元ロンドンにてバンド、テスト・アイシクルズを結成。〈スマッシング・パンプキンズとスリップノットのファン〉という紹介文に違わないダンス・パンク・ロックを奏で、惜しまれつつ2006年にバンドが解散すると、2007年からソロ名義〈ライトスピード・チャンピオン〉を開始。トッド・ラングレン、セルジュ・ゲンスブール、マーヴィン・ゲイ、ハリー・ニルソンの名前を挙げ、「尊敬するソロ・アーティストの感情を呼び起こしたい」と、フォーク・ポップのアルバム2枚をリリースした。その2枚の制作の間に「バックパックを背負って遊びに行って、ロング・アイランドに住む友人のソファに寝泊まりさせてもらった」まま、NYへと移住。NYでの彼の感情、視点、思考が現在進行形で反映されているのが、2009年から使用しているソロ名義〈ブラッド・オレンジ〉だ。
そのジャンル・クロスオーヴァーは、『Angel's Pulse』の1曲目“I Wanna C U”の時点ですでに表れている。出身地英国のブリット・ポップをも想起させる軽やかなサウンドで、音楽評論家クレイグ・ジェンキンスが「ザ・ビートルズを数年後にソウルにアレンジしてカヴァーしたような曲」と評したことに対し、デヴは「子どもの頃に好きだった音を思い起こさせるような曲を作った」と答えている。
その軽やかなオープニングから中盤に差し掛かるに従い、このミックステープの世界観は、アメリカ人コラボレーターたちのパワフルな歌によって形成されていく。ケルシー・ルー、ジャスティン・スカイの抑揚が巧みにコントロールされたR&Bマナーの女性ヴォーカルに加え、『Negro Swan』にも参加するイアン・イザイアのゴスペルの力強さが特に際立つ。それをデヴ自身のクリアでスムースなバック・コーラスや、ミニマムなサウンドが絶妙なバランスで支えている。
“Gold Teeth”はこれまでになくアメリカ的ヒップホップなサウンドの曲で、ベースとスリー・6・マフィアの元メンバーのラップによって作られる90年代米南部のバウンシーな縦のリズムに、徐々にティナーシェとデヴの歌声とシンセサイザーによる横の揺らぎが加えられていき、曲全体があたかも回転するように盛り上がっていく様が非常に面白い。そしてその高まりは “Berlin”で、弦の音による突然の静寂へと転じる。そこからイアン・イザイアが歌うゴスペルの静謐さへの流れは、このミックステープでもっとも美しい瞬間だろう。
これまでの作品以上にアメリカのシンガー、ラッパーが参加する本作でもっとも驚かされたのが、“Seven Hours Part 1”でのベニー・リヴァイヴァルの参加だ。毎回異なる奇抜なマスクと衣装を纏い、SNSで詩やラップの一部やダンスを披露するベニーは、おそらくフロリダ在住のアフリカン・アメリカンだろうということ以外、何も分からない謎のアーティストだ。1人なのか複数人の共同プロジェクトなのかも分からない。だがその独自の音楽性と詩の世界観により、インターネット上で徐々に注目を集め始めていた。そのベニーを世界で初めてフックアップしたこの曲は、前作『Negro Swan』から“Saint”をサンプリングしつつも、ほぼ完全なベニー・リヴァイヴァル・ワールドに仕上がっている。
ちなみにベニー・リヴァイヴァルを次にフックアップしたメジャー・アーティストは、フランク・オーシャンになる。その曲“In My Room (Benny Revival Remix)”のリリースに先立ち、フランクはInstagramストーリーで〈ベニー・リヴァイヴァルを探してます〉とポスト(24時間を待たずに削除)していたが、デヴによる起用はそれよりも3ヶ月以上早く、感度の高さが窺える。
デヴ・ハインズは、自身の豊潤なタペストリーにあらゆる音の糸を編み込んでいる。イギリスの音を、アメリカの音を。1970年代を、1980年代を、2000年代を。ロックを、ポップスを、フォークを、ゴスペルを、クラシックでさえも。その彼がブラッド・オレンジとして表現するコンテンポラリーR&B、そしてヒップホップ/ラップのサウンドが今後どこまで拡張し発展していくのか、期待は膨らんでゆくばかりだ。