スチュアート・モクサム(ギター)、フィリップ・モクサム(ベース)、アリソン・スタットン(ボーカル)からなる英カーディフのバンド、ヤング・マーブル・ジャイアンツ。活動期間は78~80年、残したアルバムは『Colossal Youth』(80年)一枚のみと、短命に終わったトリオだ。しかし、その中毒性の高い独自のミニマルポップは、カート・コバーンやソニック・ユースら数多くのミュージシャンたちに強い影響を及ぼした。
〈歴史的名盤〉と呼ぶのもはばかられるほどにキュートでささやか、けれども画期的かつエポックメイキングな作品『Colossal Youth』。2020年、その40周年記念盤として、貴重な音源を網羅したものが限定販売されたものの、即完売していた。今回、それが2枚組の国内盤CDとして再発売される。
そこで、ここでは、リアルタイムでYMGの音楽と出会い衝撃を受けた音楽評論家・高橋健太郎と、後追いで聴き今も彼らの音楽を愛してやまない音楽家・澤部渡(スカート)の2人に、YMGの尽きせぬ魅力について綴ってもらった。 *Mikiki編集部
YOUNG MARBLE GIANTS 『Colossal Youth 40th Anniversary Edition』 Domino/BEAT(2021)
静かな影響力を放ち続けた、時代の転換点に微妙なバランスで生まれた音楽
by 高橋健太郎
ヤング・マーブル・ジャイアンツの80年のアルバム『Colossal Youth』は、リアルタイムで輸入盤を買って、よく聴いた。ポストパンクの時期に出てきたバンドの中では、前年にアルバムを発表したレインコーツと並んで、強烈なインパクトを持っていた。
両者に共通するのは〈非力〉だったことだろう。パンクの激しさとは違うアティテュードを持ち、しかし、表現の鋭利さではピストルズの後を追うバンド群をはるかに越えるものを感じさせた。こんなやり方もあるんだ、音楽って面白いと思って、レコードへの散財に拍車がかかったのを憶えている。
今、『Colossal Youth』を聴き返してみると、まずは冒頭の“Searching For Mr Right”で同時期のクラッシュを思う。リズム感覚にレゲエの影響が滲むからだ。クラッシュが最もレゲエやダブに接近した『Sandinista!』も同じ80年だった。ただし、そのサウンドの質感はまったく違う。簡素なマシーンビートの上に、硬くて音圧感のないギターとベースが鳴るだけのスカスカな空間。そこにあえて情感を排したようなアリソン・スタットンのフラットなボーカルが浮かんでいるのが、YMGの音楽だった。
ウェールズのローカルバンドだった彼らは自分達が使うことの出来る最小限のイクイップメントを利用して、曲を奏でていた。ただし、見逃されがちなのは、リズムマシーンの使用法においては、先駆性があったことだ。ヤング・マーブル・ジャイアンツのマシーンビートは、既存のリズムマシーンのそれではない。そのパターンはプログラミングされている。
80年といえば、ローランドのTR-808が世に出た年だ。TR-808はプログラマブルなリズムマシーンとして、歴史を塗り替える名機だった。それ以前のプログラマブルなリズムマシーンは前年にローランドが発表した小型のDR-55(ドクター・リズム)くらいだった。当時、僕はそれを買って、好きなリズムを組み、CV/GATE出力を使って、外部のシンセサイザーのホワイトノイズやフィルター発振音で作ったドラム音を鳴らして、遊んでいた。
YMGも同じように、既存のリズムマシーンのプリセットパターンを鳴らすのではなく、曲に合わせてビートをプログラムしていたのだろう。彼らの友人が雑誌付録のオシレーターなどを利用して、組み上げた自作のマシーンを使っていたらしい。クラフトワークなどを意識して、あえて無機質な音色を選びとっていたのではないかとも思われる。
YMGのメインソングライターは、スチュワート・モクサムで、彼は90年代以後にはソロとなり、21世紀になってからはルイ・フィリップとのデュオでアルバムを発表したりもしている。ビートルズやビーチ・ボーイズの影響も底に持つポップソングライターであるというのが彼の本質だろう。YMGのサウンドは時代性を反映した特殊なものだったが、『Colossal Youth』に収められた15曲はどれもキャッチーなポップ性を備えている。このアルバムが発表から40年以上が過ぎた今でも人々に愛されているのは、そのソングライティングの普遍的な魅力によるところも大きそうだ。
YMGの後にアリソンがサイモン・ブースと結成したウィークエンドや、スチュワートの次のバンドとなったギストには、僕はそこまで惹かれなかった。80年代初頭のイギリスのシーンでは、魅力的なストレンジポップが百花繚乱になったからかもしれない。『Colossal Youth』は極めて微妙なバランスの上に生まれた作品で、このスタイルでYMGが長く続くことはありえなかっただろう。だが、時代の転換点にこのアルバムがあったことは、静かな影響力を放ち続けた。10年後に聴き返したら、また違う何かが聴き取れそうなアルバムである。