NYを拠点に活動する音楽家、ブラッド・オレンジ=デヴ・ハインズ。マライア・キャリーやマック・ミラー、ブロンディー、カーリー・レイ・ジェプセン、スカイ・フェレイラ……と、プロデューサー/作曲家としての仕事も広く知られている彼は、もちろんソロ・アーティストとしても非常に魅力的な存在だ。
そんなブラッド・オレンジが、新作『Angel's Pulse』を今年7月に発表した。しばらく配信オンリーだった本作だが、このたびCD/LPとしてリリースされ、店頭に並ぶこととなった。前作『Negro Swan』のエピローグ的ミックステープという位置づけの『Angel's Pulse』はもともと、オフィシャルな発表を前提としたものではなかったとのこと。しかし、その内容は〈新作〉と断言していいかなり充実したものだ。
今回はその『Angel's Pulse』について、近藤真弥とshukkiという2人の書き手がそれぞれ〈非R&B的〉〈R&B的〉という視点から読み解いた。R&BだけれどもR&Bじゃない、そもそもジャンル分け不可能で複層的なブラッド・オレンジの音楽。その豊饒さが伝わればと思う。 *Mikiki編集部

R&Bの枠からはみ出し続けるブラッド・オレンジの音楽
by 近藤真弥
イギリスで生まれ育ち、現在はNY在住のデヴ・ハインズによるブラッド・オレンジの音楽を形容するうえで、〈インディーR&B〉なるジャンル名を持ち出す者も多い。しかし、そうした浅はかなレッテルは豊穣な音楽性のしっぽすら掴めていない。
そのことは、2013年の傑作セカンド・アルバム『Cupid Deluxe』を聴いても容易にわかるはずだ。艶やかな女性コーラス、ハインズの官能的なヴォーカルなど、確かに随所でR&B要素は際立つ。だが、4つ打ちのキックにカッティング・ギターとトライバルなパーカッションが交わる“Uncle Ace”は、トラブル・ファンク のようなゴーゴーの匂いを醸しているなど、インディーR&Bの一言で括れる内容ではない。
このような多彩さはブラッド・オレンジの軸でありつづけてきた。2016年のサード・アルバム『Freetown Sound』では、エンプレス・オブやカインドネスなど多くのゲストを迎え、R&B、ヒップホップ、ファンク、ロック、ディスコなどの要素が折り重なるサウンドを鳴らしている。2018年に発表された4枚目のアルバム『Negro Swan』も、よりオーセンティックなR&Bに接近しつつ、スモーキーなヒップホップ・ビートにたおやかなアコースティック・ギターの音色を乗せた“Runnin'”があるなど、やはりR&B一色とは言いきれない作品だ。もはやブラッド・オレンジの音楽は、何かしらの枠にはめようとする単一タグを必要としてない。
もちろん、今年リリースの最新ミックステープ『Angel's Pulse』も例外ではない。オープニングの“I Wanna C U”からして、デモ音源と言われても疑わないシンプルなギター・ポップで驚かされる。そのミニマルな音作りは、ヤング・マーブル・ジャイアンツの『Colossal Youth』(80年)を想起させるものでおもしろい。
とはいえ、どこかぶっきらぼうな感じもあるアリソン・スタットンのヴォーカルが目立つヤング・マーブル・ジャイアンツに対し、ハインズの歌声は甘美でエモーショナルだ。おかげで、R&Bの残滓もうかがえる音に仕上がっている。そんな“I Wanna C U”を形容するなら、R&Bを通過したポスト・パンクといったところか。
“Baby Florence (Figure)”にも惹かれた。けたたましいサイレンで幕を開けるこの曲は、アーサー・ラッセル“Me For Real”のビートをサンプリングし、NYのハウス・レーベル〈Scissor And Thread〉から出ていてもおかしくない幽玄なサウンドスケープを描いている。
ハインズといえば、たびたびラッセルからの影響を公言してきた。それがきっかけで、ラッセルのトリビュート・アルバム『Master Mix: Red Hot + Arthur Russell』(2014年)に参加したこともある。“Baby Florence (Figure)”は、そうした敬愛の念をあらためて感じられる曲だ。
近年のハインズは、自らが生きる社会の状況を音楽に反映させてきた。『Freetown Sound』では、さまざまな黒人を撮ってきた写真家ディアナ・ローソンによる作品「Baby Sleep」をジャケで引用するなど、人種差別の問題に触れた。『Negro Swan』も、社会に対するセクシュアル・マイノリティーの失望を取りあげつつ、前向きな未来を導き出そうとしたアルバムだ。
これらの作品と比べれば、『Angel's Pulse』はシリアスな側面が少ない。一筆書きのように奏でられる曲たちは重厚な鎧を脇に置き、歌詞はいつも以上にパーソナルだ。ゆえにハインズの多様な音楽性と背景がより鮮明に表れている。昔から数多くの音楽に囲まれ、それがテスト・アイシクルズの一員としてダンス・パンクを鳴らし、その後ライトスピード・チャンピオン名義でフォーク・サウンドを追求する独特な音楽キャリアに繋がったという、そんな背景がちらつくのだ。そうした内容からは、ハインズが歩んできた人生の一端を垣間見られる。
あらゆる音を編み、現代R&Bとラップ/ヒップホップを拡張するブラッド・オレンジ
by shukki
ブラッド・オレンジことデヴ・ハインズは、その多才さ器用さと音楽に対する誠実さで、あらゆるジャンルの音をクォリティー高く創出することができる稀有なアーティストのひとりだ。
特に直近2作にあたるブラッド・オレンジ4枚目のアルバム『Negro Swan』(2018年)とそのエピローグ的ミックステープ『Angel's Pulse』(2019年)では、これまでになく近年のアメリカのコンテンポラリーR&B、ヒップホップ/ラップにフォーカスし、その色合いが非常に濃く感じられる作品群となっている。
「自分のNYへの愛は、自分がイングランド出身だからだ。ジェイムズ・ボールドウィンが、パリに行くまでアメリカのことが本当には分からなかったと言ったように、その中にいると見えないことがある」と語るアメリカに移住して12年目となるデヴ・ハインズがそこで表現する音は、純粋な〈アメリカン・ブラック・ミュージック〉ではない。しかしながらそれこそがブラッド・オレンジの音楽の特長であり、強みであり、高く評価される点であろう。
11歳から始めたクラシックのチェロ演奏を音楽的なルーツに持つ彼は、2004年に18歳で地元ロンドンにてバンド、テスト・アイシクルズを結成。〈スマッシング・パンプキンズとスリップノットのファン〉という紹介文に違わないダンス・パンク・ロックを奏で、惜しまれつつ2006年にバンドが解散すると、2007年からソロ名義〈ライトスピード・チャンピオン〉を開始。トッド・ラングレン、セルジュ・ゲンスブール、マーヴィン・ゲイ、ハリー・ニルソンの名前を挙げ、「尊敬するソロ・アーティストの感情を呼び起こしたい」と、フォーク・ポップのアルバム2枚をリリースした。その2枚の制作の間に「バックパックを背負って遊びに行って、ロング・アイランドに住む友人のソファに寝泊まりさせてもらった」まま、NYへと移住。NYでの彼の感情、視点、思考が現在進行形で反映されているのが、2009年から使用しているソロ名義〈ブラッド・オレンジ〉だ。
そのジャンル・クロスオーヴァーは、『Angel's Pulse』の1曲目“I Wanna C U”の時点ですでに表れている。出身地英国のブリット・ポップをも想起させる軽やかなサウンドで、音楽評論家クレイグ・ジェンキンスが「ザ・ビートルズを数年後にソウルにアレンジしてカヴァーしたような曲」と評したことに対し、デヴは「子どもの頃に好きだった音を思い起こさせるような曲を作った」と答えている。
その軽やかなオープニングから中盤に差し掛かるに従い、このミックステープの世界観は、アメリカ人コラボレーターたちのパワフルな歌によって形成されていく。ケルシー・ルー、ジャスティン・スカイの抑揚が巧みにコントロールされたR&Bマナーの女性ヴォーカルに加え、『Negro Swan』にも参加するイアン・イザイアのゴスペルの力強さが特に際立つ。それをデヴ自身のクリアでスムースなバック・コーラスや、ミニマムなサウンドが絶妙なバランスで支えている。
“Gold Teeth”はこれまでになくアメリカ的ヒップホップなサウンドの曲で、ベースとスリー・6・マフィアの元メンバーのラップによって作られる90年代米南部のバウンシーな縦のリズムに、徐々にティナーシェとデヴの歌声とシンセサイザーによる横の揺らぎが加えられていき、曲全体があたかも回転するように盛り上がっていく様が非常に面白い。そしてその高まりは “Berlin”で、弦の音による突然の静寂へと転じる。そこからイアン・イザイアが歌うゴスペルの静謐さへの流れは、このミックステープでもっとも美しい瞬間だろう。
これまでの作品以上にアメリカのシンガー、ラッパーが参加する本作でもっとも驚かされたのが、“Seven Hours Part 1”でのベニー・リヴァイヴァルの参加だ。毎回異なる奇抜なマスクと衣装を纏い、SNSで詩やラップの一部やダンスを披露するベニーは、おそらくフロリダ在住のアフリカン・アメリカンだろうということ以外、何も分からない謎のアーティストだ。1人なのか複数人の共同プロジェクトなのかも分からない。だがその独自の音楽性と詩の世界観により、インターネット上で徐々に注目を集め始めていた。そのベニーを世界で初めてフックアップしたこの曲は、前作『Negro Swan』から“Saint”をサンプリングしつつも、ほぼ完全なベニー・リヴァイヴァル・ワールドに仕上がっている。
ちなみにベニー・リヴァイヴァルを次にフックアップしたメジャー・アーティストは、フランク・オーシャンになる。その曲“In My Room (Benny Revival Remix)”のリリースに先立ち、フランクはInstagramストーリーで〈ベニー・リヴァイヴァルを探してます〉とポスト(24時間を待たずに削除)していたが、デヴによる起用はそれよりも3ヶ月以上早く、感度の高さが窺える。
デヴ・ハインズは、自身の豊潤なタペストリーにあらゆる音の糸を編み込んでいる。イギリスの音を、アメリカの音を。1970年代を、1980年代を、2000年代を。ロックを、ポップスを、フォークを、ゴスペルを、クラシックでさえも。その彼がブラッド・オレンジとして表現するコンテンポラリーR&B、そしてヒップホップ/ラップのサウンドが今後どこまで拡張し発展していくのか、期待は膨らんでゆくばかりだ。