ボーカロイドや〈歌ってみた〉といった、ニコニコ動画、YouTubeなどを通してネット・シーンから発信された音楽。それらは2007年頃にムーヴメントが生まれて以降、ネットのみならずメジャーのフィールドに進出し、現在はアジア圏を中心に海外でも厚い支持を集めている。とりわけ〈歌い手〉たちによるシーンはより成熟を極め、大規模なライヴの開催や優れた作品のリリースでお茶の間レヴェルのアーティストも生み出しており、2010年代も終わりに差し掛かった現在、シーンはまた新たなフェーズへと突入しているようだ。

そんななかまたひとり、〈歌ってみた〉出身の異色のシンガーがカヴァーEP『side c』をリリースした。2010年からネット上で活動を始め、〈幾ばくかの空白期間〉を経て、現在では中国で絶大な支持を獲得。昨年、今年と中国でのワンマン・ライヴを成功させた〈逆輸入シンガー〉、4円である。

その聴くものを魅了する歌声はどのようにして生まれ、なぜ中国という大地で響き渡ったのか。約6年半ぶりの新作となった『side c』と共に、ひと筋縄ではいかない彼の経歴を探っていこう。

4円 side c Bad News co., Inc.(2019)

自身の歌に〈気付いた〉のはカラオケ

――聞くところによると、インタヴューは初めてだそうですね。

「そうなんですよ。中国でライヴするときに、現地の音楽アプリ用に質問をいただいたことはあるんですけど、こういうのは初めてです」

――というわけで、今回は4円さんのバイオグラフィーからお伺いしようとかと。小さい頃は、音楽とどのように接していましたか?

「赤ちゃんのときから母親によく歌を歌ってもらっていて、そこで自分も一緒に歌っていたそうです。物心つく前から、歌はずっと好きだったみたいですね。中学生になると同級生とカラオケに行くようになるんですけど、そこで歌っているうちに、音程が(正しく)取れているのかなって気づきまして」

――カラオケではどんな歌を歌っていましたか?

「中学生のときだと、FLOWとかモンパチ(MONGOL800)とかが僕らの世代では流行りだったのでそういうものを歌っていました」

――いわゆる〈青春パンク〉的なものですね。

「そうですね。あと、GOING STEADYとか。もともとバンド・サウンドが好きなんです。そんななか中学3年の頃にバンドに誘ってもらって、文化祭で初めて人前で歌を披露しました。音楽活動でいうとそこが始まりかな?」

――パートは最初からヴォーカルで?

「そうですね。楽器は全然弾けなかったので。当時を思い出してみると本当に初めてだったので……緊張はしましたよね。何をやったかはあまり覚えていないんですけど、日本人で英詞のバンド、たぶんハイスタ(Hi-STANDARD)とかそのあたりだったと思います」

 

ニコ動への初投稿は、友人に背中を押されて

――その後もバンド活動は続けていったんですか。

「高校に入ってからもバンドはやっていました。そこからインターネット的な活動に向かっていきます」

――最初はやはりニコニコ動画で?

「それ以前に、〈こえ部〉っていうのがあったんですけど、それに投稿したことがありました。それがいまの活動の原点というか、初めてやった投稿ですね」

――こえ部はニコ動と同時期に出てきた、PCのブラウザ上で声の録音や再生のできるサービスですね。

「当時はニコ動にアップしている人たちはすごい人たちで、こえ部はちょっとした遊びみたいな、まず〈ちょっとやってみる〉っていう気軽なスタイルでした」

――4円さんがニコ動からデビューする以前の2007年ごろから、初音ミクといったボーカロイドのシーンが盛り上がっていきますが、当時からボカロの楽曲は聴いていましたか? また、2010年に4円さんがニコ動で投稿を始めた、そのきっかけはなんだったのでしょう?

「ボカロの楽曲はニコ動で動画を観て、曲を聴いて口ずさんだりしていましたね。投稿しはじめたきっかけは、僕が観ている頃からニコ動では歌の上手い人たちが無茶苦茶いたんですが、友達に〈アップしてみれば?(4円もできるんじゃない?)〉って軽いノリで言われて、やってみるか、と。そこで“RAINBOW GIRL”の〈歌ってみた〉をアップしたのが最初です。当時はマイクも100円ぐらいのイヤホン・マイクとかでした(笑)」

※2007年に2ちゃんねるニュース速報のスレッド〈作曲できる奴ちょっとこい〉(作曲スレ)で投稿された楽曲。数多くの歌い手に歌われる人気曲

――〈歌ってみた〉黎明期らしいエピソードですね。当時はまだマイクをPCに直挿しっていう人も多かったですね。

「そうそう、そうです(笑)。上手い人の歌を聴いて、〈どうやったらこんないい音になるんだろう?〉って疑問に思ってましたね」

――そこから学んで機材を買い足したりして。

「そうですね。僕はもともとハモりが好きで、録音を始めたばかりの頃はメインを歌ってハモリを入れて、それがハマることを〈ああ、気持ちいいな〉って楽しんでいたんです。でも、そこからだんだん音質が気になるようになって、調べて、オーディオ・インターフェースに手を出したり、ダイナミック・マイクを手を出したり……っていう感じでしたね」

 

再開のきっかけは中国のリスナーからのメール

――当時の〈歌ったみた〉シーンでの交流というのはありましたか?

「交流は……昔はありましたね、ちゃんと(笑)」

――昔は(笑)。

「昔はありました(笑)。(シーンの)右も左もわからなかったし、ほかの人たちがどういうふうに録音とかをやっているのか知りたかったので、当時はいろんな人に声をかけていましたね。でも交流といっても、話の中に入っていくのは苦手なほうではありました(笑)」

――これまでの活動を見ていると、どちらかというとひとりマイペースで活動している印象があるんですよね。

「そうかもしれないですね。周りにアドヴァイスしてくれる人たちはもちろんいましたし、ミックスとか手伝ってくれる人たちとは交流していましたけど……当時も、そこまで歌い手さんとは交流していなかったかも」

――そのマイペースさというのは、投稿ペースにおいてもわりとそうなのかなと。

「わりとというか、かなり(笑)。なんでしょうね、投稿を始めてちょっと知ってもらえるようになった時点で、満足しちゃったんですよね。もともと向上心的なものもそんなになくて、2012年に“独りんぼエンヴィー”の〈歌ってみた〉動画の再生数がすごく伸びたんですね(現在約80万再生)。それを機にCDを出そうと思ったんですけど、それで満足してしまって。だから投稿頻度も露骨に減ったんじゃないですかね」

――それこそ前作となる2013年のファースト・アルバム『for』をリリースして以降、ほとんど動画投稿もない状況が続きましたよね。

「そうですね、2014年ぐらいにパタっとやめちゃって。すごくたまにツイキャスとかで歌ったりして、そこでのリアクションを見て、また満足しちゃって……というのを繰り返していたんですけど、閲覧者のなかで海外のリスナーさんが多いことに気づいたんですよ。そのあと、2017年ぐらいに中国のリスナーさんからメールをいただいて、〈4円さんは中国で人気ですよ。これを機にweibo(中国版Twitter)をやってみませんか?〉という」

――中国でライヴをするようになったきっかけは、中国のファンからの声だったんですね。

「そうです。weiboも、当時は〈そんなのあるんだ〉ってくらいで。まあ自分はやりたがりなので触ってみたら、普通に3000人ぐらいの方がフォローしてくれて、〈こんなにいるんだ!〉って驚きました。それでちょっとおもしろいなと、そのときはまだ海外で活動しようとは思わなかったんですけど、まずはweiboをちゃんとやってみようと思って」

 

顔見知り程度だったメンバーを連れて中国へ

――そこから中国でワンマン・ライヴを行うまでになった。

「もともとライヴ自体は日本でも数えるほどしかしたことがなかったし、海外でもやるつもりもなくて、最初に誘われたときも一度断っているんですよ。でもweiboをやっていくうちに〈ライヴをやってくれ〉っていう声が多くて。それで初めてパスポートを作りつつ(笑)、初めての海外に行きまして」

――そうなると決断するのも勇気がいったのでは?

「でも〈ライヴをやってくれ〉って言われた頃から、徐々に〈ライヴしたいな〉って思いはじめていたんですよ。でもひとりだと心細いじゃないですか。それで、そのとき偶然にメッセージでやりとりしていたギタリストに、日本でのライヴで会ったくらいの顔見知り程度だったんですけど、〈中国行かない?〉って(笑)。それがいまも一緒にやっている模 -katagi-です」

――中国でのワンマン・ライヴは模 -katagi-さんとのアコースティック・セットとのことですが、このスタイルは以前からやっていたんですか?

「いや、弾き語りをしたのは中国が初めてだったんじゃないかな。自分でギターを弾くようになってからですね。ただ昨年の上海でいきなりやるのは無理だと思ったので、日本で1、2回模 -katagi-と一緒にライヴをやって、そこで息を合わせつつ海外に臨みました」

――初の海外でのステージはいかがでしたか?

「それが……言葉の壁とかそういったものはほぼ感じなかったんですよね。ほとんどの人が日本語を理解されていて、中国でもボカロ文化や日本の歌もある程度認知されているなって実感しました。僕が〈こんにちは〉って言ったら〈こんにちは~!〉って返してくださるんですよ。実際にやってみて、〈ライヴって楽しいな〉って思いました」

――そうした中国での経験が現在の活動の足がかりになったところもあるそうですね。ちなみに、またここでも達成感があってモチヴェーションが下がることはなかったんですか?

「モチヴェーションはたぶん、やった時点では下がってます。ただ、下がってはいるんですけど、そこでいまの事務所から〈じゃあ次はこれ〉ってすぐ次のお話をいただいたので、そこにモチヴェーションを持っていけたんですよね。〈あ、次があるんだ〉っていう。逆に、そういうお話がなかったから活動していなかったかもしれないです(笑)」

――その次、というのが今年の夏に行われた二回目の中国ツアーになります。昨年の初ライヴを経て、海外にも慣れてきましたか?

「そうですね。昨年のツアーの後にも複数の歌い手でソウルと重慶でライヴをしていましたので、海外慣れはしてきましたね。ちょうどのそのときに今年のツアーのお話があって、じゃあやってみようかなと」

 

自分の声は、音と音の隙間にあるのがいい

――そして、今年は中国ツアーに加えて、ひさびさの作品となるEP『side-c』がリリースされました。ボカロ楽曲のカヴァー集だった前作『for』に対し、今回はACIDMAN“赤橙”、アンダーグラフ“ツバサ”、秦基博“水彩の月”、ハンバート ハンバート“虎”というロックやJ-Popのカヴァーが収録されています。

「このEPはリリースより先にツアーが決まっていて。せっかくツアーするなら音源作ろうよっていう話になって、〈じゃあ作ろうか〉と軽い気持ちで(笑)。選曲に関しては、僕が中学生や高校生の頃に聴いていたような曲なんですよね」

――もちろん前作から6年半という歳月が流れているのもありますが、4円さんのハスキーなヴォーカルが前作と比べて深みが増したというのが第一印象でした。自分の声に対してはどんな印象がありますか?

「出ましたかね、深み。皆さんからはよく〈いい声〉とか言ってもらえるんですけど、そこには自覚がまったくなくて、むしろ〈どこが?〉っていう感じだったんです(笑)。ただ、歌っていくなかでレスポンスをいただいて、自分でも〈こういう歌い方がいいのかな〉とか試行錯誤はしていて、そういうのは積み重なっていっている気がします。いまも自分の声をいいとは思わないですけど、いいように聴いてもらえるようにちょっとずつ変えていってはいますね」

――この10年近くの積み重ねがいまに至っていると。

「だって、いちばん最初に100円のマイクで録音したものなんて、いまとなっては聴けたものじゃないですよ(笑)。当時ニコ動でかっこいいなって思っていた歌い手さんの真似とかしていて、気持ち悪いし、恥ずかしいですね(笑)」

――そうした4円さんの声が、今作のアコースティカルなサウンドにもよく合っていますね。中国での弾き語りライヴもそうですが、こうしたスタイルに自分の声が合っていると思いますか?

「そうですね。自分の声は、例えばロックっぽいサウンドには合わないって思っていて。どちらかというとアコギがポロンと鳴ったときの、音と音の隙間に自分の声があるのがいい気がしています。自分の声を楽器っぽく調和させたい、というのは結構意識していますね」

――特にACIDMANの“赤橙”でのラテン風のアレンジに非常に合うなと。

「この曲は前から模 -katagi-によく弾いてもらっていたんです。(ラテンの)アレンジはACIDMANさんもアコースティックでよくやっていますけど、それがカッコ良くて、ずっと歌いたいなって思っていたんですよ。逆に、アンダーグラフの“ツバサ”はロック調の原曲をアコースティックにアレンジしたものを歌っていますし、また秦基博さんの“水彩の月”はもろにアコギの曲で、それをストレートにカヴァーした感じです」

――それぞれオリジナルは異なりますが、4円さんの言うように、統一されたアコースティックなサウンドとヴォーカルとの調和がぴったり成されています。ハンバート・ハンバートの“虎”も、これまたすばらしいですね。

「これ、いい曲なんですよねえ……。この曲ではハープを入れているんですけど、ギターを弾いてくださった方の知り合いで、ハープで世界を回っているという奏者の方に吹いていただきました。そのハープが入ることで言い方はアレですけど、普通にいい曲だと思っていたのが、〈すげえ曲になった〉って思いましたね」

 

歌うおじさん

――こうした制作を経て、ここ最近は音楽活動に対する想いに変化はありましたか?

「いまは音楽って楽しいなって思っています。一度活動をやめちゃったときは、自分が満足しちゃったとは言いつつ、思い返すともったいないことしたなって思うんですよ。それが中国をきっかけにこうしたチャンスがまた巡って来てくれたので、せっかくだから今度はちゃんとつかみたいなっていう想いで活動していますね。それぐらい、いまは音楽への意識は高いです」

――久々に音源を作ったことで、また音楽制作への欲求も高まってきたのでは?

「ないものねだりかもしれないですけど、バンドをやってみたいんです。重慶やソウルのライヴはバンドでやったんですけど、THE BACK HORNとかの曲をカヴァーして、楽しくて楽しくて。あとメンバーと一緒に打ち上げでお酒飲んで、それも楽しかった(笑)。ソロ活動が長かったので、仲間内でワイワイってのは好きなんですけどやれなかったことなので」

――バンド・サウンドとなると、それに対するヴォーカル・アプローチも変わってきそうですね。

「変わりそうですよね。あと、前作の『for』はボカロ曲ばかり入れて、今回は好きなもののカヴァーばかりしましたけど、そこでいろんな経験ができたと思うので、次は自分で曲を作ってアルバム作りたいなっていうのはありますね。どういう曲になるんだろう……という感じですが」

――4円さんがソングライティングに関わられるのも非常に興味深いですね。こうして音楽に対する意識が高まるなか、活動ペースは相変わらずマイペースで?

「そうですね。切羽詰まってもいいものはできないと思っているので。いやー、世の中のミュージシャンはすごいですよね(笑)」

――4円さんもミュージシャンですよ(笑)。

「ミュージシャンなんですかね?」

――資料には「逆輸入〈歌ってみた〉出身のシンガー」と書いてありますけどね。あるいは、自分の肩書きとしては何が適切だと思っていますか?

「趣味から始めたので、どうしても自分も大きく見せられないんですよね。多少見せたほうがいいと思うんですけど。シンガーというのもしっくりこないし、うーん……〈歌うおじさん〉ですかね(笑)」