
米アイオワ州デモイン生まれ、シアトル育ちのマイク・ハドレアス(Mike Hadreas)。〈パフューム・ジーニアス〉の名で知られ、2010年のデビューから10年を数えるこの音楽家の表現は、欧米で一貫して高い評価を得ている。
初期のローファイなサウンドから、次第に華麗さと輝きを増していった彼の音楽は、インディー・ポップという枠組みを拡張していると言えよう。しかしパフューム・ジーニアスが優れた表現者である理由は、それだけに留まらない。新作『Set My Heart On Fire Immediately』において彼は、ゲイである自分自身の〈解放〉を歌っているのだ、とライターの木津毅は言う。
パフューム・ジーニアスの唯一無二の歩みと、その真に迫る表現を紐解いた。 *Mikiki編集部

クィアな欲望が、これまで許されなかった場所でいま花開く
自分を解き放ちたい――パフューム・ジーニアスの音楽から聴こえてくるのは、いつだってそんなものだ。それはときに願いであり、ときに祈りであり、そして、いつだって〈欲望〉だった。
デビュー作から10年、5作目となる『Set My Heart On Fire Immediately』は、パフューム・ジーニアス史上もっとも高らかに〈欲望〉が解き放たれたアルバムである。何しろ、〈わたしの心に火をつけて、いますぐに〉というタイトルだ。ひとが何かを〈欲望〉すること、それ自体を肯定する力に満ちている。そしてそのために、これまでのパフューム・ジーニアスにはなかった新しいサウンドが鳴らされている。
あなたがそのことを感じたいならば、先行シングル“Describe”を聴いてみてほしい……いますぐに。パフューム・ジーニアスらしい感傷的なメロディーに甘美なコーラスが反響するなか、シューゲイズを思わせるノイジーなギターが覆いかぶさる。そのざらついたロック・サウンドは、やがて後半のアンビエントへと溶けていく。その大胆な構成や立体的なプロダクションに舌を巻くが、それ以上に、優雅さと生々しさがせめぎ合うような複雑な感情表現のあり様に引きこまれずにはいられない。
マイク・ハドレアス、すなわちパフューム・ジーニアス自身が監督したミュージック・ビデオでは、アメリカ西部を思わせる埃っぽい土地を舞台にして、そこで暮らす人びとと(ジェンダーやセクシュアリティーを限定せずに)ハドレアスが踊り、重なり合う。そこではクィアなエロスがアメリカの伝統的な風景と交錯している。これは、『Set My Heart On Fire Immediately』を貫く主題である。これまで開け放たれることが許されなかった場所でこそ、ハドレアス自身の官能――クィアな〈欲望〉が花開くのだ。
ゲイとしての葛藤と苦しみから、その気高さの肯定へ――パフューム・ジーニアスの歩み
そもそもデビュー作『Learning』(2010年)の頃から、パフューム・ジーニアスにおける命題は自分をさらけ出すことだった。ボロボロの録音による繊細なピアノ・バラッドに綴られていたのは、薬物依存、自殺願望、虐待といったハドレアス自身のヘヴィーな経験だ。そして、ゲイである自分の〈欲望〉を受け入れられなかったことも。震える声と呼吸がそのまま封じこめられた歌はあまりに生々しく、聴く者を緊張させる迫力すら有していた。それがどれほどダークなものであったとしても、ハドレアスのフラジャイルな歌たちは、彼にとってどうしようもなく真実だったのだ。
セカンド・アルバム『Put Your Back N It』(2012年)は、メランコリックなバラッドの魅力はそのままに、飛躍的に録音を向上させた一枚だ。そのことでサウンドはよりドラマティックになり、エモーションの幅も広がっている。シングル“Hood”のミュージック・ビデオではゲイ・ポルノ俳優のアルパッド・ミクロス(ドラッグのオーヴァードーズで2013年に他界)と自ら裸体をさらけ出しているが、その曲では外では恋人と手も繋げないゲイの青年の葛藤が歌われている。
それはまさにハドレアスにとっての真実だったわけだが、当時、このイメージを使ったプロモーション・ビデオがYouTubeに〈家族に対して安全でない〉として禁止されるという騒動が巻き起こった。それは社会がいかにクィアのセクシュアリティーを覆い隠そうとしているかを示す出来事で、ハドレアスのパーソナルな〈欲望〉――ゲイとして堂々と生きたいという願いは、21世紀にあってなお困難に直面していることが皮肉にも証明されてしまったのだ。
しかし、だからこそと言うべきなのだろう……パフューム・ジーニアスの歌はその頃からクィアとして生きていくことの気高さを帯びはじめる。3作目『Too Bright』(2014年)はシンセ・サウンドを大幅に導入することで、華やかな輝きを獲得した一枚である。
シングルとして発表された“Queen”はそのダイナミックな変化を象徴するナンバーで、〈クィーン〉なるタイトルからもわかるように、グラム・ロック的にゴージャスなクィア・アンセムになっている。〈わたしが颯爽と歩くとき/それは家族に対して安全でない〉というフレーズは明らかに先述したビデオの騒動に対する回答であり、たとえ社会の抑圧があったとしても、わたし(たち)は屈しないという宣言だ。
4作目『No Shape』においてもサウンドの拡張はやむことがなく、とりわけロブ・ムースが手がけたストリングス・アレンジによって、エレガントなオーケストラル・ポップの側面が強まっている。また、サウンド面で大きく貢献していると思われるのは、アラバマ・シェイクスやジョン・レジェンドとの仕事で知られるプロデューサー/ギタリストであるブレイク・ミルズ。ミルズはギターやピアノ、パーカッションだけでなくタブラやメロトロンといった多様な楽器、さらにはプログラミングを担当していて、作品のカラーを華やかなものにしている。
アルバム全体のフィーリングも初期に比べてはっきりと開放的になっていて、ハドレアスが自身の存在を肯定的に捉えるようになってきたことが窺える。スロー・テンポでドリーム・ポップ調のナンバー“Die For You”のビデオではハドレアスが優雅な身のこなしのダンスを披露しているが、幼少期の自身の身体への否定をモチーフにした楽曲が初期にあったことを思えば、自分自身の肉体と芯から和解するような温かさがここには宿っているように感じる。
パフューム・ジーニアスが新作で表現する自身の解放、そのダイナミズムと喜び
自身の身体性への問いは、2019年にケイト・ウォーリックの振付によるバレエ作品「The Sun Still Burns Here」に音楽を提供したことと同作にダンサーとして参加した経験も大きかったそうだ。その舞台に対する海外のレビューを読むと〈エロティックかつ、身体と音楽の関係性の探究〉などと評されているが、そうした主題はそのまま『Set My Heart On Fire Immediately』に引き継がれている。
掲げられたテーマは、愛、セックス、記憶、身体とのこと。そうした根源的なモチーフに取り組むために、サウンドの幅はさらに広げられた。冒頭で書いた“Describe”だけでなく、多くの音楽要素が参照されていて、よりポップに、カラフルに、鮮やかに響くアルバムだ。古典的なフォークやスタンダード・ポップに影響されたソングライティングは残しつつ、“Without You”での軽やかなフォーク・ロック、“Jason”での絢爛なバロック・ポップ、“Your Body Changes Everything”でのダークなエレクトロからチェンバー・ポップへの飛翔、“Nothing At Al”でのワイルドなロック……とアレンジの多彩さとよくコントロールされたプロダクションで聴かせる。プロデューサーは引き続きブレイク・ミルズで、ギターなどによるざらついた音とストリングのスムースな音が共存していることで、心地よい緊張感がある。極端に音を減らしたなかでハドレアスの幽玄な歌とコーラスが広がる“Moonbend”など、実験的なナンバーも際立っている。
また、シングル“On The Floor”などによく表れているが、50年代以前のスタンダード・ポップ、ドゥワップ、ソウルなどの伝統的な音楽要素がふんだんに取りこまれているのも本作の特徴だ。ハドレアスはここで、自身をアメリカの伝統的なポピュラー・ミュージックに連なる存在だと宣言するようなのである。
“On The Floor”のビデオのなかで土に汚れつつタンクトップ姿で踊るハドレアスは、アメリカで理想とされてきた男性像を引用しているようだ(冒頭では葉巻を咥えている)。そうしたクラシックにセクシーなイメージを引き出しながら、ビデオの後半では別の男性ダンサーが現れて、やがてふたりは官能的な身体のやり取りを見せる。それは伝統的なアメリカの風景やモチーフに現代的な視座からクィアを持ちこむということであり、と同時に、どんな時代にもクィアは偏在したのだと示すことでもある。そこで、パフューム・ジーニアスらしい甘いメロディーが余韻を残して去っていく。
まどろむようなタッチのチェンバー・ポップ・ナンバー“Just A Touch”において、他者と肌を重ね合わせることをハドレアスは柔らかな声で求める。そのエレガントさ、エロティックさ。誰かを心と体で求めることを、このアルバムはどこまでも柔らかい音で包みこむかのようだ。それは、自分を受け入れられなかった過去との決別でもある。
かつて、かすれるような声で自分自身を苦しめてしまうことを赤裸々に歌っていた青年は、それとまったく同じ正直さでもって、誰かを切実に求める自身の心と身体――その〈欲望〉をこそ輝かせる。それはいまだに社会では受け入れられにくいものなのかもしれない。しかしだからこそ、『Set My Heart On Fire Immediately』は自身を解放することのダイナミズムと喜びを、わたしたちに手渡してくれる。