甘美なヴォーカル。卓越したギター・テクニック。展開が自然で親しみやすいメロディー。鋭い洞察力に裏打ちされた共感性の高いリリック。ブルーノ・メジャーは、それらの合わさった美しくも温かみのあるフォーキー・ソウルを歌うUKのシンガー・ソングライターだ。
自らインターネットにアップした曲によって多くのリスナーを獲得し、毎月1曲ずつ新曲を作ってリリースする1年がかりのプロジェクトを経てアルバム化された『A Song For Every Moon』で2017年に本格デビュー。2018年にはサム・スミスのUKツアーのオープニング・アクトに抜擢されてさらに注目度が高まり、デビュー・アルバムは今日までに4億回を超えるストリーミング再生を記録している。
サム・スミス、ショーン・メンデス、チャーリー・プース、リアン・ラ・ハヴァスらに加え、ビリー・アイリッシュやBTSのV、ジミンも彼の楽曲を愛聴していることを公言。そんなブルーノが、ここにセカンド・アルバム『To Let A Good Thing Die』をリリースする。ファースト・アルバム同様、ファイロ(Phairo)を共同プロデューサーとして迎え、ビリー・アイリッシュの兄であるプロデューサー/ソングライターのフィニアス(FINNEAS)も参加した。
軽やかな現代フォーキー・ソウルに加えてジャズ的なアプローチもあるなど前作より楽曲のタイプが広がり、サウンドはよりモダンに。すぐそばで自分に歌いかけてくるような甘い歌声もさらに魅力が増している。また、自身の心のうちをさらりと曝け出しながら人と人との繋がりや愛や傷心を綴るリリシストとしての才と個性も、前作以上に際立って伝わってくるようだ。
今年3月に予定されていた初来日公演は新型コロナウイルス感染拡大防止のため延期となってしまったが、8月に予定されている〈FUJI ROCK FESTIVAL '20〉への出演が決まっており、著しく進化を遂げたセカンド・アルバム『To Let A Good Thing Die』の楽曲をナマでどう聴かせてくれるか、それも楽しみなところ。ブルーノに話を聞いた。
『A Song For Every Moon』によって僕の人生はすっかり変わったんだ
――いま、ロンドンからですか?
「いや、普段はロンドンで生活しているけど、いまは田舎に帰ってきてるんだ。ジムやレストランに行けるようになるまでは戻らないつもりだよ。ずっと部屋に籠っていても楽しくないからね。田舎だったら散歩もできるから、しばらくこっちにいようと思って」
――イギリスは(5月11日の時点で)ロックダウンが一部緩和されたようですが、まだしばらく慎重にならざるをえない状況のようですもんね。そんななか、新しい曲を作ったりはしているんですか?
「うん。どんな状況になっても、それが曲作りを止める理由にはならないから。曲作りにおけるほぼすべてのことを自分ひとりでやってしまう僕のような人間にとっては、たいして支障はないんだよ。別に豪華なスタジオを使わなくちゃ音楽ができないってわけでもないからね」
――なるほど。新作の話を訊く前に、まずベーシックな質問をいくつかさせてください。生まれたのはロンドンですか?
「いや、ロンドンから北に1時間くらい行ったノーサンプトンで生まれ育ったんだ。とてもいいところだよ。ロンドンに引っ越したのは22歳のとき」
――ギターは何歳から始めて、どのように上達していったんですか?
「始めたのは7歳の頃で、父がギターを弾くから自然に興味を持った。初めは父のギターで遊んでいたんだけど、子供の僕には大きすぎたから、キッズ用の小さなギターを買ってもらって弾いてたんだ。それからクラシック・ギターをちゃんと習うようになって、13歳のときに速弾きにハマって、エディ・ヴァン・ヘイレンの真似をしたりしてた。で、16歳くらいからジャズに夢中になってね」
――セッション・ギタリストとして働きだしたのがミュージシャンとしてのキャリアの始まりだったそうですが、自分で曲作りをしだしたのもその頃からですか?
「初めはバーやレストラン、結婚式とかでギターを演奏していて。曲を書くようになったのはロンドンに引っ越してからだった。有名アーティストの後ろで弾くようになったりしだしてからだね。初めて曲を書いたとき、自分がやりたいのはこれだとわかったんだ。もともと言葉もメロディーも好きで、曲作りにはその両方があるって気づいたんだよ」
――デビュー・アルバムの『A Song For Every Moon』は2017年にリリースされました。いま振り返ってみて、あの作品はあなたにとってどういうものでしたか?
「実は当時、アメリカの某メジャー・レーベルとレコード契約をしていたんだけど、作品を出す前に結局切られちゃってね。曲だけが手元に残ったから、だったら自分でリリースしようと思い立ったんだ。出来はいいと自負してたし、世に出す価値のあるものだと思っていたからね。
基本的にはDIYのアルバムで、アパートの部屋にマイク1本立てて録って。それをインターネットにアップする形で自主リリースしたら、うまくいって、結果的には世界中をツアーして回れるまでになった。だからあのアルバムは自分にとってものすごく大きなもの。曲に誇りを持っているし、自分ひとりであれを作れたということにも誇りを持っている。『A Song For Every Moon』によって僕の人生はすっかり変わったんだ」