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逆境に立ち向かうためのダンス・ミュージック――覧古考新の新作『Isles』
by in the blue shirt

未曾有のウイルスが猛威を振るっている現在、乱世になると人はなにかにすがりたくなるもので、カリスマか、はたまたインフルエンサーか、そういった所から天下り的に降ってくるようなコンテンツを、トップダウン的に摂取したくなってしまうこともある。

一方で、ダンス・ミュージックというのは本質的にそういったものとは対極的な要素を持つ。DJに対するフロア、演者対オーディエンスという〈1対多数〉のフォーマットを取りながらにして、多勢側である私たち聴き手は、一体感や連帯とはまた違う、どこまでも個人的で、内に深く沈み込むような体験を得ることができる。

ダンス・ミュージックのそういった側面への深い理解。そして、稀代のハード・ディガーとして、世界に溢れる過去の音楽にひたむきに向き合い続け、かつそこからオリジナリティーに昇華せんとする姿勢。これらがバイセップの替えのきかない魅力であり、今作はそういった点でのさらなる境地がみて取れる。

相変わらず踏襲と更新のバランスは圧巻。UKガラージやレイヴ・ミュージック、トランスの要素を積極的に取り入れながら、昨今のベース・ミュージックへの参照はしっかりと感じられる。

一方で、世界屈指の音楽オタクである彼らの気質は、ありきたりであることを否定する。

2ステップの影響色濃い“Saku”など、参照点ははっきりしつつも、数多の要素の組み合わせとそのテクスチャの工夫によって、聴いたことのない感覚を聞き手にもたらす。

『Isles』収録曲“Saku”

例えばブレイクビーツの使用一つとっても、レイヴ・ミュージックにおいては馴染みの大ネタ、パターンが挿入されることから来るカタルシスみたいなものを狙って使われる場合も多いが、彼らはエフェクト処理や質感の出し方によって、予定調和ではない良さを獲得している。

過去の音楽を、途方もないくらいひたむきに咀嚼し続けた人間にのみ許される、〈既存のものとの差分の提示〉は彼らの凄みであり、そのまま今作の魅力となっている。

イスラエル出身の世界的な女性シンガー、オフラ・ハザのロング・トーンをサンプルし、それが叙情的な雰囲気の獲得に寄与している“Atlas”、1950年代にアフリカでフィールド・レコーディングされた素材が用いられた“Apricots”など、今作のサンプリング元にも彼らの姿勢がにじむ。

※世界最大のアフリカ・フィールド・レコーディングのアーカイヴを目指す〈Beating Heart〉の2016年リリース作『Malawi (Originals) Recorded By Hugh Tracey』に収録されている21の録音のうちの1つよりサンプリング。各楽曲の素晴らしさもさることながら、マラウイで録音された際の場所と日付、シチュエーションや参加したアーティストなどがまとめられたブックレットが付属しており、それがめちゃくちゃ面白いので個人的に激お勧めです。Bandcampで買ってもPDFがついてきます

『Isles』収録曲“Atlas”“Apricots”

YouTubeなどで訳のわからないままディグり、それが何かをよく知らないままサンプリングするような行為も、それはそれで面白い音楽が生まれる可能性があるが、彼らは基本的にそのようなスタンスはとっていない。それが何かをよくわかった上で引用し、新しいものを生み出すための1エレメントに落とし込む。

例えそこがスピーカーが大音量で鳴るクラブのフロアであろうが、ヘッドホンで聴く自宅であろうが、聴き手個人にもたらされるのはどこまでも個人的で内省的な体験。作品の強度そのもののみで、逆境に立ち向かえる、そんな希望すら感じてしまう。

過去へのあくなき参照に対する誠実さをもちつつ、懐古主義に陥る気配など一切なく新しい手触りのトラックを産む彼らの、まさに覧古考新の作品。脱帽です。