英ウェールズ出身のエレクトロニック・ミュージック・プロデューサー、コアレスが2021年7月9日に『Agor』をリリースした。デビューから10年、待望のデビュー・アルバムと言える。そして、8月13日にはロンドンのDJ/プロデューサーであるジョイ・オービソンが初のアルバム・サイズのミックステープ『still slipping vol. 1』をリリースした。10年ほど前に〈ポスト・ダブステップ〉と呼ばれたUKのダンス・ミュージック・シーンで注目を集めた才能が、それぞれ異なる道を歩んだ先で、奇しくも同じ時期にフル・レングスの〈デビュー作〉を世に問うたのである。
今回はこれを機に、ele-kingの編集長である野田努とOTOTOYの編集長である河村祐介に対談をしてもらった。かつてダンス・ミュージック誌「remix」を共に作っていた2人が、コアレスとジョイ・オービソンのそれぞれの個性や作品について、そして10年前のポスト・ダブステップ・シーンと現在の英国のダンス・ミュージック・シーンについて考える。
ポスト・ダブステップとはなんだったのか?
――ジョイ・オービソンのデビューが2009年、コアレスが2011年です。いわゆるポスト・ダブステップの潮流を代表するプロデューサーが、今回10年越しのファースト・アルバムをリリースしました。
野田努「2009~2011年頃って、いろいろな人たちが出てきた時期なんだよね。有名どころを挙げると、ジェイムズ・ブレイク、アクトレス、マウント・キンビー、フローティング・ポインツ、ちょっと出自はちがうけどジェイミー・xxもそうだね。
その理由は、やっぱりベリアルのインパクトだよね。ベリアルが2006、2007年とアルバムを立て続けに出して、特にセカンド・アルバム『Untrue』の衝撃が大きかった。2ステップをああいうふうに、ダークに、暗示的に展開したことで、サウンドもそうだけど、ゴシック/インダストリアル系にも影響を与えたし、マーク・フィッシャーをはじめ、思想界にまで影響を与えたわけだから。
ただ、ダブステップや2ステップのビートを使ってデビューしたプロデューサーたちは次第にちがう音楽を作りはじめたから、〈ダブステップが好きだったわけじゃないんだ〉という例は多かったよね(笑)」
河村祐介「コアレスは、まさにそういうプロデューサーですよね」
野田「やっぱり、ジェイムズ・ブレイクの転身がいちばん見事だったね。彼が歌いはじめたときは驚いたけど、いまのファンが“CMYK”(2010年)以前のシングルを聴いたら〈ダブステップをやっていたんだ!〉と驚くはず(笑)。フローティング・ポインツもベース・ミュージック・ブームの真っ直中で同じようにデビューしたんだけど、もともとはハウスの人で、だから彼の曲にはハウスっぽさが目立ったよね。
そのなかでもジョイ・オービソンとコアレスは、とにかくデビュー・シングルが高く評価された2人だったよね」
――ジョイ・オービソンのデビュー・シングルが“Hyph Mngo”(2009年)、コアレスが“4D”(2011年)ですね。
野田「特に、ジョイ・オービソンの“Hyph Mngo”はすごかったね。都内でも話題で、ジョイ・オービソンまで聴いていたらリスナーとして本物、みたいな感じだった。2ステップを咀嚼したリズムで、いま聴いても、テセラ※などの現代のジャングルにも通じるリズムだよね」
河村「ダブステップの界隈では、〈2010年代のポスト・ダブステップの流れを作った曲〉とよく言われますよね」
野田「コアレスの“4D”はいま改めて聴くとダブステップじゃなくて、なんとなく雰囲気がベリアルっぽい、という曲なんだけどね。当時、ジャイルズ・ピーターソンがものすごく褒めていたのを覚えている。〈誰もが覚えているデビュー・シングルっていうのがあるだろ? コアレスの“4D”は、誰もが覚えているデビュー・シングルになるはずだ〉ってね。
一方のジョイ・オービソンは、ある意味でサラブレッドというか」
河村「叔父さんがレイ・キース※ですからね」
野田「超ベテランのジャングリストが親戚にいて、13歳のときにターンテーブルを買ってもらったっていうから、きっと鍛えられているはず」
河村「もう、根っこからしてちがうと(笑)。本人のルーツはUKガラージとジャングルだったようですね。特にUKガラージ/2ステップのミックステープが最初の影響源だったようなので、やっぱりDJという表現が重要なんだなと」
野田「ルーツは完全に2ステップだね。2ステップはハウスやテクノにテンポが近いけど、ダブステップは倍速で取る音楽で」
河村「2000年代中頃まで、ダブステップは〈ハーフ・ステップ〉というスタイルが主でしたね。2ステップやUKガラージの軽快なリズムの要素が先祖返りのように入ってきて、BPM的にもテクノやハウスに混ぜやすいものが出てくるのが2000年代後半。いわゆるポスト・ダブステップの機運が高まっていた頃で、まさに“Hyph Mngo”が出たあたりからその流れが本格化した、という印象でした。それまでのダブステップは、ヘヴィーなグルーヴのイメージです」
野田「だから、聴いたときの印象はトリップ・ホップに近いんだよね。ジェイムズ・ブレイクがヘヴィーなダブステップをやっていたのは、いまからしてみればほんと意外だけど、ジョイ・オービソンはもともと、より踊りやすい2ステップの人だった」
河村「対照的ですよね。だから、コアレスとジョイ・オービソンの2人を一緒に語ることの危うさもあると思います。かたやDJカルチャーのど真ん中で常にフロアに向き合って大量のリリースを追っていたジョイ・オービソンと、かたやシーンからは独立した、もう少しアーティスト然とした存在。でも、その2人が一時的にでも共存していた懐の深さや、彼らの表現のヒントになるような新しさが、当時のUKのダブステップにはあったということですよね。
その後、ジョイ・オービソンはDJとしての勘所もあって、ベース・ミュージックを基礎にしながら、スタイル的にはテクノに寄っていくわけですが」
野田「ものすごくテクノに寄ったよね。実は、俺は“Hyph Mngo”を初めて聴いたときは、そこまですごい曲だとは思わなかった。たしかにいい曲だしアンセムっぽいんだけど、ベリアルの影響下にある感じがして。
ただ、自分のレーベル(ドルドラムズ)から出した次のシングル“BB”(2010年)が素晴らしくて。広義のハウスなんだけど、ハウスにしてはベースがやけにデカい(笑)。ジョイ・オービソンってこんなこともできるんだと思ったな。
その後のシングルもDisc Shop Zeroの飯島(直樹)さんのところで買っていたんだけど、“Ellipsis”(2012年)は思いっ切りテクノで、俺は〈ちょっと昔のテクノっぽくない?〉と思ったんだよね。ただ、飯島さんは〈いい〉って言っていて、彼はたぶんテクノを通っていないから、ジョイ・オービソンのフィルターを通過したテクノが新鮮だったんだろうね」
河村「ハーフ・ステップが主流だった当時のダブステップを前提に聴くと、そのグルーヴには光るものがあったのでは、と思います」
野田「でも、俺は散々テクノを聴いてきたから、〈なんでテクノに行っちゃったんだろう〉と思って。その後のボディカ※の共作は、3枚目くらいからついていけなくなった(笑)。作品が悪い訳じゃなくて、俺はもう、こういうのは聴いてきたから」
河村「ダブステップがテクノやハウスと混ざっていった当時の状況を作った要因がひとつあるとすれば、それはやっぱり、2000年代を通じて、ハウスの変化形とも言えるUKガラージやUKファンキーがストリート・レベルで、ものすごく影響力を持っていたからじゃないですかね。つまり、ジョイ・オービソン世代にとって、あのリズムが重要だった。ダブステップ・シーンも2010年代に入る頃に、オリジネイターに加えてそうした新たな世代がシーンに加わったことによって、それが顕在化してきたのではと感じます」
――なるほど。
野田「あと、ジョイ・オービソンについておもしろかったのは、当時のUKの記事に〈これから紹介するのはエルヴィス・グリッスル……いや、ちがった、ジョイ・オービソンだ〉という文章があって。つまり、〈ジョイ・オービソン〉という名前は、〈ロイ・オービソン〉と〈ジョイ・ディヴィジョン〉を合体させたものなんじゃないかって言われていたから※。〈キャバレー・コクラン〉じゃなくてね(笑)」
――〈エルヴィス・プレスリー+スロッビング・グリッスル〉でも〈キャバレー・ヴォルテール+エディ・コクラン〉でもなくて、ということですね(笑)。
野田「あと、UKってダンス・カルチャーが日本とは比較にならないくらい、ものすごく根付いてるからね。いまでもインディー・レーベルが多いし、DJをやるやつはみんなトラックを作っているし」
河村「そうなんですよね」
野田「みんなすぐにレーベルを作るし、レーベルの数自体がめちゃくちゃ多いから、新人が作品を発表できる場がすごくたくさんある。それは本当に素晴らしいことだよね」