2020年の星野源は、コロナ禍でステイ・ホームを強いられた人々に寄り添った“うちで踊ろう”(4月)、そして〈こんな時〉にも続いていく日々を歌ったヒップホップ調の“折り合い”(6月)の2曲を発表している。いずれも、そのときにしか表現できない感情が音や詞に宿ったもので、いまここにある現実と向き合った感触が確実にあった。
新型コロナウイルス感染症という未知の脅威がもたらした、避けがたいこの現実。その頑としたカタさや息苦しさに、あくまでも柔らかく、ちょっとズラして向き合ってみる。あるいは、一息つけるスペースを確保してみる。年末の「NHK紅白歌合戦」でのパフォーマンスも含めて、2020年の星野源の音楽はそんなことを表現していたのではないだろうか。
また、人間どうしの直接的な接触が困難になり、海外の都市では厳格なロックダウンが施行された一方で、それでも星野はドメスティックな活動に留まることを選ばなかったことも忘れ難い。スーパーオーガニズムやトム・ミッシュと共演・共作した『Same Thing』(2019年)で一気に進んだインターナショナルなコラボレーションは、ますます盛んだ――マーク・ロンソンのプロジェクト〈Love Lockdown: Video Mixtape〉に請われて参加し、さらにデュア・リパの『Club Future Nostalgia』では“Good In Bed”をザック・ウィットネスと共にリミックス。いずれの企画もロックダウン下でのクラブ・ミュージック/ダンス・ミュージック、つまり〈うちで踊る〉ことを志向したものだったのが興味深く、2020年の星野の活動と強く共振していたことはまちがいない。人々の〈うち〉と〈うち〉とは壁を越えて、海さえも越えて、以前よりも強固に繋がったのだった。
そんななか、2021年の初のシングルとして本日2月17日、日付が変わるとともにリリースされたのがこの“創造”だ。全編英語詞で歌われる導入部分は、いま述べたことの反映だと感じる。
“創造”は「スーパーマリオブラザーズ」の35周年テーマ・ソングとして制作され、昨秋からTV CMでスニペットが披露されていたが、ようやく全貌が明らかになった。「スーパーマリオブラザーズ」、そして同ゲームに象徴される任天堂のこれまでの〈創造〉へのトリビュートが存分に音や詞で表現されており、一聴して〈聴くゲーム〉という趣がある(YouTubeのコメントには、すでに〈ここの音はこのゲームのこの効果音の再現〉といった指摘が多数〉。「星野源のオールナイトニッポン」などで語られているとおり、〈YELLOW MAGIC〉によって世界を魅了してきた任天堂の姿勢に星野は強く共感しているにちがいない。
“うちで踊ろう”や“折り合い”のリラクシンなムードとは打って変わって、“創造”はアップテンポでスリリング、音と音とがせわしなく〈密〉に絡まり合い、勢いに満ちていて、どこまでも開放/解放的だ。〈澱むこの世界〉の閉塞感を前にして、〈途方もない 学びを繰り返し〉ながらとにかく〈遊ぶ〉んだ、と星野はここで告げている。
〈僕は生まれ変わった 幾度目かの始まりは〉や〈死の淵から帰った 生かされたこの意味は〉といったラインは、これまでの作品においても重要なファクターとしてあった、くも膜下出血による2度にわたる手術の経験などを反映しつつ、何度でも生まれ変わるマリオを重ねたものだろう。〈死〉の対極としての〈(新)生〉を象徴するものが〈創造〉だというのが、アーティスト星野源の姿を表しているように思えてならない。
しかし“創造”は、星野自身のストーリーのみで完結しない。〈澱むこの世界で 遊ぶ〉人々をエンパワメントしてくれる曲だ。なぜなら、〈何か創り出そうぜ〉と聴き手に呼びかけているのだから。〈非常識〉とされるような〈提案〉すらも、〈馬鹿げてた妄想〉すらも、ちょっとやってみようぜ、と。〈あぶれて〉いても、〈はみ出し〉ても、既存の枠組みやステレオタイプな眼鏡をずらして見てみれば、実は〈真ん中〉なんだ、と。
“創造”で星野は〈変える 運命を〉とまで歌ってみせる。なんて力強いのだろう。誰もが〈配られた手札〉しか持っておらず、暗中模索を強いられているいま、〈一筋の未知〉を見出すには手探りを続けるしかない。アップリフティングな“創造”は、「スーパーマリオブラザーズ」の地下ステージのような世界を生きる私たちが一歩一歩進んでいくなかで、ほんの少しだけ先の道筋を照らしだす、仄かに明るい松明になってくれる。