PR
コラム

映画「SLEEP マックス・リヒターからの招待状」眠るのが最適な鑑賞法? 8時間超えの音楽作品、驚異の記録

©2018 Deutsche Grammophon GmbJ, Berlin All Rights Reserved

リヒターの夢、リヒターとみる夢

 映画「SLEEP  マックス・リヒターからの招待状」にはいくつかの物語の層がおりかさなっている。たとえば『スリープ』という音楽作品、それをつくったマックス・リヒターそのひとと耳を傾ける私たちのお話などなど。

 リヒターが『スリープ』を世に問うたのは2015年、いまから6年前のこと。発表と同時に好事家の口の端にのぼったのはなにもよりもその尋常ではない長さだった。『スリープ』は頭からお尻までとおすと8時間もかかる。簡易版にあたる1時間ほどの 『フロム・スリープ』があるとはいえ、ひとつづきの構造をもち録音物になった作品としては最長の部類に入るとみてまずまちがいない。管見では量は質にまさり、長大さはそれ自体でなにものかだが、ある種の途方もなさはひとびとを遠ざけるきらいもある。ましてや統計や生成がひとの手から演算機にわたり、音楽がフィジカルを消失した地点では聴衆の身体性とて20世紀を反復できるとはかぎらない。そのような事態がますます亢進するであろう2020年代において『スリープ』はなによりもまず時間とともに生成変化する音楽を体感するライブ・ミュージックたらねばならない――「SLEEP  マックス・リヒターからの招待状」は作品の上演の模様を中心に、作曲家と彼をめぐるひとたちの、困難だが夜のとばりの先の光にむかうような道のりを記録した映画といえるだろう。

 発端には公私にわたるパートナー、ユリア・マールとの語らいがあった。自宅に居ながらパートナーの配信公演を視聴していた彼女は日中の子育てのつかれからつい眠りこみ、夢とうつつをさまようあいだ、えもいわれぬ音楽体験をした。この体験を戻ってきたマックスにつたえ作品化を提案すると、じつは彼もそのことを長年あたためてきたのだという。ふたりは話し合い、『スリープ』は最初の一歩をふみだした。とはいえ実現にこぎつけるまではたいへんだった、とユリアは作中でおだやかにふりかえっている。マックスは苦労話を滔々と語るタイプではなさそうだが、作曲と演奏にかかる気力体力はおそらくなまなかのものではなかった。

 『スリープ』は全曲上演に1/3日かかるので、通常夜半から明け方におこなうが、ひと晩かけて演奏するようなコンサートも、作中で作曲家みずから語るように、北インド古典のラーガや1960年代のフルクサス一派の作品など、音楽史に先例がないわけではない。リヒターはバッハの“ゴルトベルク変奏曲”もその仲間にくりいれ、おそらく範としているであろうことは『スリープ』の構造にあらわれている。そこではリヒターの奏でるピアノをはじめ、いくつかの主題が、弦楽、声楽、電子音などをともないときに変調しつねに変奏する。けっして急ぐことはないとはいえ、傍らには時間のながれがある。これは円環する時間を観念するアジアの古典や、それを参照した西欧のミニマリズムとは似て非なる視点である。テリー・ライリーやラ・モンテ・ヤングの反復やタージ・マハル旅行団の長尺の即興と『スリープ』は時間のあつかいにおいてちがいがあり、その原理よりも機能に関心をいだくかに私にはみえる。

 音楽には眠りを誘うもの、眠りを考えるものと眠たくなるものがあり、最後のはいったん置いといて、のこりふたつではリヒターの狙いは前者にちかい。なんとなれば、簡易ベッドを敷きつめたコンサート会場では聴くのも歩くのも寝るのも自由、学校の先生が厳しく戒める眠りがここでは最適の観賞法になっている。背景にはおそらく文化潮流と脳科学の共時的な変化もある。詳細にふみこむ紙幅は本稿にはないが、一連の『スリープ』のプロジェクトはデイヴィッド・イーグルマンら脳科学者の知見もとりいれている。そのひとつに睡眠が深くなる箇所では低周波を、覚醒にいたる過程では高周波をもちいるという、スペクトル楽派さながらの作曲法もあったという。『スリープ』はジャンル上はポスト・クラシカルということになろうが、作品の成立に不可欠ないくつかの要素をかんがみるに、リヒターが名づけ親であるこの古典風な分野名がたんにノスタルジーの符号でないことがわかる。眠りの概念は哲学から精神分析をへて脳科学の専権分野になり、それにより私たちは意識から無意識、さらに脳へと主導件を譲りわたし、眠りは人生における月の裏側のような場所から眼前に無際限に広がる肥沃な領野となった。

 そのゆたかさを確信させるのはスクリーンに映る聴衆のみなさんの思い思いの姿である。寝姿ひとつとっても私たちはだれとも似ていない。メガフォンをとったナタリー・ジョンズは会場に集うさまざまな聴衆を多様性のままに映し出していく。社会性の高いドキュメンタリーや音楽家との協働作業も豊富な南アフリカ出身の映画監督はドローンをはじめとした機動的なカメラワークで〈スリープ〉という一夜の出来事をとらえるのに腐心するかのよう。その色彩感覚、抑制的な語りと編集のリズムは映画「SLEEP」を特徴づけるが、土台にはやはり「スリープ」と題した1963年の実験映画でアンディ・ウォーホルがこころみた、反復の先にあらわれる事物性とは対照的な環世界的な描像が存在する。むろん『スリープ』という音楽作品、ひいてはその作者であるマックスと伴奏者としてのユリア、ふたりの順風満帆とばかりはいえない経験がなければ、映画「SLEEP」はこうはならなかった。それにより映画は音楽作品よりずっとコンパクトなのにそれ以上の厚みを感じるのは冒頭に述べたとおり。ときおりカットインするリヒター家のプライベート映像もことのほか味わい深い。あたかもウォーホルの事物性にたいするジョナス・メカスの歴史性のように、それらは眠りの時間のなかに夢にようにたちあらわれ、映画はますます眠りに似ていくのである。

 


CINEMA INFORMATION

映画「SLEEP マックス・リヒターからの招待状」
監督:ナタリー・ジョンズ
出演:マックス・リヒター/ユリア・マール/グレイス・デイヴィッドソン(S)/エミリー・ブラウサ、クラリス・ジェンセン(vc)/イザベル・ヘイゲン(va)/ベン・ラッセル、アンドリュー・トール(vn)
配給:アット エンタテインメント(2019年 イギリス 99分)
©2018 Deutsche Grammophon GmbJ, Berlin All Rights Reserved
◎3月26日(金)より、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷・有楽町ほか全国順次公開

タグ
関連アーティスト
TOWER DOORS