インタビュー

マックス・リヒター(Max Richter)、人権と正面から向き合ったマーラー風の新作『Voices』を語る

「人権宣言に注目し、希望を訴えようと思いました」

©Mike Terry

〈Black Lives Matter〉で揺れ動く2020年において世界人権宣言と正面から向き合ったマーラー風の最新作

 天上から降り注いでくる光のような女声コーラスをバックに、針音の中からひとりの老婦人が決然と朗読を始める。「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので……」。老婦人の名はエレノア・ルーズベルト、朗読しているテキストは彼女自身も作成に関わった世界人権宣言だ。感染症対策で人間の社会的活動の制限が日常茶飯事となり、世界中が〈Black Lives Matter〉運動に揺れ動いている2020年というこの年に、マックス・リヒターの最新作『ヴォイシズ』は〈基本的人権〉という最もアクチュアルなテーマを真正面からとりあげてみせた。

 「(リヒターのデビュー・アルバム)『メモリーハウス』は過去に起こった出来事、つまり20世紀の歴史を、主にペシミスティックな側面から描いた作品です。ある意味で〈悲劇的〉な曲と言ってもいいかもしれません。でも、いくら音楽で悲観してみても、現状は変わらない。そこで今回の『ヴォイシズ』では、世界人権宣言に改めて注目しながら、ストレートに希望を訴えようと思いました。抗議の声を上げるだけでなく、未来を変えたいと思ったからです」

 『メモリーハウス』『ブルー・ノートブック』『ソングズ・フロム・ビフォア』『3つの世界:ウルフ・ワークス(ヴァージニア・ウルフ作品集)より』など、音楽と朗読の〈共演〉はリヒターの最も得意とする手法のひとつである。今回の『ヴォイシズ』で世界人権宣言を朗読するのは、先に触れたエレノア・ルーズベルトのほか、クラウドソーシングによって集まった一般リスナーの声(ヴォイシズ)、そしてアフリカ系アメリカ人女優キキ・レイン。特に、彼女が繰り返し朗読する第1条と第2条――人間の自由と平等を説いている――は、まるで全曲を貫く通奏低音のように聞こえてくる。

 「第1条と第2条に謳われている〈自由〉と〈平等〉は、基本的人権の中でも最も重要な理念です。したがって、この条文を繰り返し朗読させることで、自由と平等が世界人権宣言の〈メインテーマ〉というか、〈ベースライン〉だということを強調したかったのです」

 その朗読を支えるオーケストラは、ヴァイオリン8、ヴィオラ6、チェロ24、コントラバス12、ハープ、それに打楽器という、低音域偏重の特異な編成を持つ。リヒターは、この編成を〈アップサイド・ダウン・オーケストラ〉つまり〈上下反転のオーケストラ〉と呼んでいる。

 「世界人権宣言の理想が現代社会で必ずしも達成されているとは言えないため、それを音楽でどのように表現したらよいのか、というのが発想の出発点です。ふつうオーケストラというと、ヴァイオリンのような高音域のパートが大きな比重を占めています。でも、それとは逆に、低音域を重視した編成が存在してもいい。私自身、低音や低周波のサウンドが好きですしね。そこで、高音域と低音域の比率を逆にした編成、すなわち〈アップ・サイド・ダウン・オーケストラ〉を用いることで、私たちの生きる現代社会が理想とかけ離れた〈反転状態〉になっていることを示したのです。一種のメタファーとしてね」

 その〈反転状態〉を最もエモーショナルに表現した楽章が、子供の権利と教育の権利を謳う第25条と第26条を朗読していく第9楽章“リトル・レクイエムズ”だ。その楽章では、マーラーの“亡き子を偲ぶ歌”や後期交響曲を彷彿とさせる重々しい音楽が鳴り響く。

 「楽章名を〈レクイエムズ〉と複数形にしたのは、多くの子供たちに捧げるレクイエムとして作曲したからです。大人に比べて立場の弱い子供たちは、常に社会や政治の犠牲になってきました。戦争やテロ、貧困の犠牲にね。だから、第26条の最後に出てくる〈Peace 平和〉という言葉で、第9楽章を締めくくるように構成しました。平和が、人類の究極の理想だからです。この楽章からマーラー風の音楽が聴こえてくる、というあなたのご指摘はとても鋭いと思います。なぜなら『ヴォイシズ』という作品全体が、マーラーの影響を強く受けているからですよ」

 


マックス・リヒター (Max Richter)
1966年3月22日ドイツ・ハーメルンに生まれ、イングランド・ベッドフォードで育つ。エディンバラ大学と英国王立音楽院でピアノと作曲を学んだ後、フィレンツェでルチアーノ・ベリオに作曲を師事。2002年、オーケストラとエレクトロニクスのための『メモリーハウス』でソロ・アルバム・デビューを果たす。新作を発表するたびに斬新な作曲アプローチに挑み、クラシックとエレクトロニカを融合したポスト・クラシカルのカリスマ作曲家として絶大な人気を集める。初来日は2004年。2019年3月には〈すみだ平和祈念音楽祭〉出演のため、15年ぶりの来日を果たす。

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