空気公団がニュー・アルバム『僕と君の希求』をリリースした。長らく活動を共にしてきた戸川由幸、窪田渡の2人が前作『僕の心に街ができて』(2018年)のツアー最終公演をもって脱退。本作は、空気公団が山崎ゆかりのひとり体制になってからの初作品である。
97年の結成時からメンバーであり、山崎とともにバンドの根幹を支え続けた戸川。2006年作『あざやか』への参加を機に加入し、〈空気公団 第2期〉における音楽的な飛躍を後押しした窪田。両者の不在は空気公団にいかなる影響を与えたのか。
山崎ゆかりは、このインタビューで〈空気公団は誰もいなくても空気公団〉と語った。その発言の背後にあるのは、音楽家ではなくて、音楽そのものとそれを聴く人間との繋がりこそがもっとも大切である、という強固な信念。では『僕と君の希求』というアルバムは、リスナーとどのような関係を育んでいくのだろう。
千ヶ崎学(ベース)、奥田健介(ギター、NONA REEVES/ZEUS)、寺尾紗穂(ピアノ/コーラス)、kidlit(ストリングス・トリートメント)、五味俊也(ドラムス/シンセサイザー、キヲク座) という親交の深い5人のミュージシャンを招き、いつになく力強い演奏を聴かせてくれる『僕と君の希求』。多くの楽曲において、離れた場所にいて会うことのままならない〈僕〉と〈君〉の姿が描かれ、彼らの悲しみや不安、そして未来へのいくばくかの希望が歌われている。コロナ禍や、多くの社会問題を機に大きく変わりゆく世界のなかで戸惑いながらも暮らす人々への眼差しが、貫かれているアルバムなのだと思う。
これまでの、これからの空気公団について、山崎ゆかりに訊いた。
誰もいなくても空気公団
――空気公団が山崎さんひとりになってから約2年と4か月が経ちました。ここに来る前に数えて、もうそんなになるのかと驚いたんです。
「私としては長かったとか短かったという感覚はなくて。いつもの空気公団があるという状態なんです。空気公団がいったんストップして、そこから次の空気公団をやるには、だいたいこのくらいのタイミングかなと自分のなかでは描いていました。その間には、こういうことをやりたいなという気持ちでいろいろと活動してきたので」
――いろいろな活動のひとつとして、山崎ゆかり名義でのアルバム『風の中に歌う』を2019年に発表されました。あの作品では、山崎さんは曲を書かず、歌唱と作詞にほぼ専念されていて。ソロをそういうやり方にした理由は?
「ホントに簡単に言うと空気公団との差別化ですよね。空気公団は私が曲を書いて詞を書いて歌っていて、ソロは曲を書かずに詞を書いて歌う。〈この人、歌うんだ〉というのをメインに見せたんです。普通は、本人名義での活動で、その人自身を掘り下げていくような表現に挑むのかもしれないけど、私がいちばん興味あるのは空気公団なので」
――とはいえ、ソロの制作やそのあとに始めた中川理沙さん&吉野友加さんとのユカリサの活動では、空気公団とまた異なるおもしろさがあったんじゃないですか?
「ありました。自分はこういうことができて、こういうことはできないんだという発見をしたし、いろいろな人と作品を作ることは本当に楽しいなと純粋に思いました。空気公団だけをやっているとわからないけど、外の世界ってこうなんだなって」
――ユカリサをはじめた背景をあらためて教えてください。
「以前は自分が空気公団以外のバンドを組むなんて考えたこともなかったんですけど、やってみたいなと思ったんです。しかも、それは空気公団とは違って、ユカとリサとユカリの3人がいないと成り立たない。空気公団は誰もいなくても空気公団なのに。自分がそこにいることを前提にしたグループの存在自体が、すごく不思議だったし楽しかったです。
あと、ほかの2人はすごく練習をする人たちなので、こんなに練習するんだって驚きました(笑)。空気公団はほとんどライブをしないので、レコーディングのために演奏をして終わり、という感じなんです。歌も特に練習しないで録ることもありますし」
――いま〈空気公団は誰もいなくても空気公団〉と言われたことが印象的でした。山崎さんは以前から〈空気公団・代表〉と名乗られていますよね。この代表という言葉には、空気公団のメンバーはいまでこそ山崎さんひとりですが、それでも山崎さんひとりのものじゃない、というニュアンスが出ているなと思うんです。
「そのとおりです。空気公団というものがあって、私はそれをいちばんよく知っているスタッフという感じ。自分も〈私が空気公団です〉って感じがそんなにない。イコールじゃないですね」
――空気公団は概念みたいなものなんでしょうか?
「たぶんそうだと思います。今回の音源も演奏している人たちは以前と変わってますが、それでも演奏者のみんなが〈これは空気公団の曲だ、空気公団のアルバムだ〉と理解して、演奏してくれている。なので、空気公団は入れ物みたいな感じというか、すでに街みたいなものが出来上がっているんですよ。私は、空気公団を人だとずっと思っていたんですけど」
――空気公団の前作は『僕の心に街ができて』というタイトルでしたね。山崎さんのなかで人ではなくて街だという気づきがこの数年であった?
「人でもあるし街でもあるし風でもある、という感じ。空気公団を始めた頃は、それが何なのかまだはっきりしてなくて、揺らぎがありました。人でもそうですよね。赤ちゃんからはじまり、中学生・高校生になって、だんだん人間として固まっていく。もはや空気公団は〈自分がどういう方向に転がるかわからない〉という段階ではない。そういうふうになると、観てくれる/聴いてくれる人が〈これは空気公団っぽいよね〉と思うようになった。
あと、〈私が空気公団です〉と名乗らないことで、空気公団が聴く人の理解者みたいな存在になれているような気がする。寄りかかれる場所というか。〈自分が空気公団です〉となると、〈この山崎って人に頼ってもいいのかな〉って感じになるけど、いまはそうでなく、何か見えないものがあり、どうやらここが空気公団らしいぞという感じなのかなと思うんです。そこにいれば、自分のいろいろな想いを言える場所」
――空気公団はどのような過程を経て確固たるものになったんでしょうか?
「バンドって海岸に作った砂のお城みたいなものなんです。波がザーッときたら壊れるくらい脆い。それを、あっちのほうが安全だから、あそこだと光が当たっているからと、みんなで移動させていくと、結果的にどんどん変形していき、最初に作った人間も〈自分は何を作りたかったんだろう〉とわからなくなることがあって。それには良い面も悪い面もあるんですけどね。
空気公団は、砂の城をもう動さないと決めて、そこの場所に建設してしまうことにした。で、その城の周りには街があり、そこに音楽があるんだよ、と定めた。そのときから確固たるものとなった気がします」
――その街から長く一緒に音楽を作られてきたメンバーが出て行く/抜けるというのは、どんな感じだったんでしょうか?
「辞めたみんなは卒業していったという印象だし、空気公団自体も独り立ちしたという感じ。でも、空気公団の傍にひとりはいないといけないんじゃないか、それは私だよね、と。いつか終わる時期もくるだろうけど、自分で育てた以上は最後まで空気公団に付き合わなくちゃと思っています」