Self-portrait, W.Eugene Smith, ©1959 The Heirs of W.Eugene Smith.

JAZZを脱ぎ、悪臭漂う階段を下りて夜明けの生花問屋街の通りに立てばいつも花の香りに包まれた。

 きっかけは音声だった。1999年、ユージーン・スミス(1918~1978)の研究家であるサム・スティーブンソンが、故人の写真アーカイブから4千時間にも及ぶ大量の私蔵テープを掘り当てた事が発端となった。全1730巻のオープンリールに記録されていたのは、1957年~1960年代初頭にかけてマンハッタンの片隅にあるロフトで連日連夜くり広げられていた数多のセッション音源、折々のラジオ報道/テレビ音声、ジーン(故人の愛称=以下同)の独り言、版元との痛烈な交渉通話、廊下で交わされる日常会話や警官の表敬訪問、あるいは飼い猫の鳴き声まで……上層階の床をドリルでくり抜き、階段を伝ってワイヤを張りめぐらせ、何本もの小型マイクを複数台のテレコに繋いで、世界的写真家は〈日々の記録〉にも余念がなかったのだ。

 が、ウィキペディアで彼の経歴を閲覧すると、ライフ誌編集部と再度の対立を経て〈以後関係を断ち切る〉のが1954年、1行空けて〈日立製作所のPR写真撮影のために来日〉する1961年までの期間がなぜか空白なのだ(9月末日時点)。

 1955年、マグナム・フォトへの入会を機に、工業都市ピッツバーグを叙事的に描くプロジェクトに挑むも、完璧主義が妨げとなり、未完成のまま脱退へ……税金も払えず、ドラッグに溺れ、郊外での家族生活を棄てて、本作の舞台となる〈6番街のロフト〉に単身転居したのが1957年の事だった。そこを立ち退くのは水俣病取材の為に来日する1971年だが、60年代前期にはロフトシーンも停滞気味となり、ジーン自身の録音意欲も1965年頃でほぼ途切れているとか。それでも好評公開中の映画「MINAMATA ミナマタ」の、いわば〈前史〉ともいえる時期のジーンの関心事や表現行為が窺える4千時間/4万カット分の宝庫の発見だ。研究家は箱のメモ書きを頼りに根気強くテープを書き起こし、該当者らの回顧談を拾い集め、ジーンが撮りためた膨大な写真群から厳選配置し、一冊の書籍「The Jazz Loft Project: Photographs And Tapes Of W. Eugene Smith From 821 Sixth Avenue, 1957-1965」を編んだ。上梓の2009年、今度は同書を素材に公共ラジオ局WNYCとNPRが全10回の連続番組「Jazz Loft Radio Series」を制作する。さらに同プログラムの制作者で脚本兼ホストを務めたサラ・フィシュコが映画化に漕ぎつけ、監督デビューを飾ったのが本作「ジャズ・ロフト」(原題:The Jazz Loft According To W. Eugene Smith)なのである。

 全編89分の舞台は〈6番街821番地〉のロフト内部と階下の路上。描かれるのは有名無名を問わず日夜入れ代わり立ち代わりで現われるジャズ演奏者らの肖像、ジーンが〈額縁舞台〉と呼んで4階の窓から撮り続けた生花問屋街の日常光景、パーティーに参加したサルバドール・ダリやノーマン・メイラーら各界著名人の寸描、高校卒業直後のラリー・クラークや作品持参のダイアン・アーバスも〈ノックは大きく!〉と貼られた鍵なしの仕事場を訪ねて来る。自らも通ったフィル・ウッズが「音楽の楽しさの全てがあのロフトとNYにあり、即興演奏に宿る魂には伝染力があった」と当時の活気を語れば、セロニアス・モンクの伝記作家であるロビン・D・G・ケリーは「昔からジャズは常に居場所を求めてきた。あのロフトで音楽を演奏していると街の音が入り込んでくる。ミュージシャンはその音に刺激され、模倣しようとした」と述懐する。17~18歳時のカーラ・ブレイもバードランドでタバコ売りのバイトをしながら生演奏を学び、ロフトでジーン本人から写真作品を見せてもらった一人だ。まるでジグゾーパズルの紛失ピースが突然出てきた如く、そんな逸話の一つひとつが従来のジャズ史/写真史の隙間を埋めていく。なかでも最大の音楽的ハイライトが、のちに名盤『セロニアス・モンク・オーケストラ・アット・タウンホール』として結実する楽曲群の、3週間に渡る準備光景/リハ模様の連写&録音記録を編集したシーンだろう。アレンジャーのホール・オーヴァトンはクラシックの作曲家にしてジャズ・ピアニストの二刀流、音楽教師としてはスティーヴ・ライヒやチャック・イスラエルズ(両名共、本作に証言登場している)らの恩師だ。彼もモンク同様、写真/音声のみの〈出演〉ながら、二人の異色コラボぶりは“リトル・ルーティ・トゥーティ”1曲に絞った構成からも十分、その稀少性・意外性・重要度がつぶさに解かる。数多の伝聞から自分なりのモンク像が既に出来上がっているという人こそ、新鮮な驚きを覚える場面だろう。