もうとっくにつぶれてしまったけれど、通った高校の近くにパリの左岸を思わせるような小さなカフェがあり、そのカフェではたいていの場合ジャズがかかっていた。でも、そこはジャズを専門に聴くための店ではなかったので、難聴になりそうな爆音を放つJBLやマッキントッシュのアンプといったものはなかった。だいたい、そんな立派なオーディオシステムを置いたら、店中オーディオになってしまうような、もしかすると大きいJBL2つ分の広さの面積くらいの、そんな小さな店だった。
というわけで、ごく小さなステレオから、聞こえるか聞こえないか、というボリュームでかかるジャズは店の雰囲気を作るためのものだった。普段はアート・テイタムやテディ・ウィルソン、バド・パウエルなどのピアニストの流暢な演奏が繰り返しかかっていたのだが、ある日いつものジャズに混じって、全然違う骨格をした音楽が流れてきた。〈!?……〉。はじめて聴いたセロニアス・モンクには、まるでフェルメールやモネのような西洋絵画のなかに、相田みつをの〈人間だもの!〉が殴り込んできたくらいのインパクトがあった。
〈ピアノってこんな音が出せるんだ〉。わたしはセロニアス・モンクのことをもっともっと知りたくなった。〈人間だもの!〉と鍵盤でシャウトするピアニストには、出会ったことがなかった。
わたしがそれまで聴いてきたピアニストは、ピアノという楽器の機能のすばらしさをいかに引き出す(弾き出す)かに心血を注いでいる場合がほとんどのように感じられて、〈すごいなあ〉と感心はしたけれど、音楽が身近に感じられたり、ピアノを演奏してみたいと本気で思ったことはなかった。でも、モンクはたった幾つかの音だけで、わたしを虜にした。この音楽が一体どうやって出来ているのかを知らずにはいられなかった。
セロニアス・モンクの音楽を聴き始めたのは、わたしがお酒を覚えたのとちょうど同じ頃に重なる。だから、モンクの音楽を聴くたびに、パブロフの犬のように条件反射的に、お酒が飲みたくなってしまう。お酒というのは洒落たワインやビールでなく、ウォッカやウイスキーのようなハードリカーのほう。
そういえば、初めて二日酔いになった時にも、大きな音でセロニアス・モンクの音楽が流れていた。〈ダーティー・マティーニを上手に作れるようになったら、大人のような気分になれるかもしれない〉という、今では全く理解できない子どもじみた考えのもとに、ジンとベルガモットの瓶を引っ張り出してきて試作をはじめた。
ところが、どうもうまくいかない。ジンは祖父の頭髪につけるような化粧品の匂いがしたし、ベルガモットはそのまま飲んだらインクみたいな味がした。オリーブはそのまま食べたほうがずっと美味しく、オリーブをつまみながらジンとベルガモットを適当に合わせ、そのあとに足す、オリーブのつけ汁の量を何度も間違えた。どうしてまずいのかは飲んでみるしかなく、失敗作を味見するたびに、どんどん酔っていった。
日曜日に何度も失敗したダーティー・マティーニをすする高校生の後ろで“Well, You Needn’t”がかかっていた。ソロの途中で、コルトレーンを呼ぶモンクの生声がする。そのリズムもモンクのリフのメロディみたいにスイングしていた。〈コルトレーン、コルトレーン〉。コルトレーンの代わりにやってきたのは、恐ろしいほどの吐き気だった。そのあとすぐにトイレに駆け込んで胃の中のものを全部吐いた。しばらく経つと、全部吐いたと思ったのに、また吐いた。そして次の日学校を休み、丸1日寝込んだ。
しばらくの間、モンクの音楽を聴くと二日酔いの気分を思い出して気持ち悪くなるくらいだった。それでもわたしはモンクを聴き続けた。こんなに目がまわるのは地球が回っているせいだ。地球が回っていることをモンクが教えてくれているんだ、と。
わたしはモンクの音楽の中の無重力をいつも楽しんでいる。
山中千尋(Chihiro Yamanaka)
ジャズ・ピアニスト。2011年に名門デッカから初の日本人ジャズ・ピアニストとして全米でアルバムをリリース。世界中で精力的に演奏活動を続ける。今年のヨーロッパ・ツアーではミラノのブルーノート、ロンドン老舗ジャズ・クラブのロニー・スコットでの2デイズがソールド・アウトに。フライング・ロータス、マーズ・ヴォルタで活躍する話題のドラマーのディーントニ・パークス、ザ・ルーツのレギュラー・ベーシストのマーク・ケリーをフィーチャーした新譜『モンク・スタディーズ』(ブルーノート)が発売中。著書に「ジャズのある風景」(晶文社)がある。演奏活動を続けるかたわら桐朋学園大学、バークリー音楽大学で教鞭をとる。8月25日、26日、27日に丸の内コットンクラブ、8月28日に名古屋ブルーノート、9月9日に大阪ビルボードでライヴを開催。
http://www.chihiroyamanaka.com/