ぼくは1966年生まれなので、セロニアス・モンクをリアル・タイムでは知らない。そして、彼が既に他界(82年)していて、ドキュメンタリー映画『ストレート・ノー・チェイサー』(88年)はまだ封切られていない、という時期に大学時代を送ったのだが、当時もモンクの存在感は“現役”だった。ジャズのレコードを買い始めたとき、何人もの年上の人がモンクを聴けと薦めるのである。だからぼくの中では、大学生が人生の先輩から薦められるのがセロニアス・モンクだ。自分も含めジャズ研とは無縁の学生、特にロック・バンドをやってるような近しい連中の多くが同様にモンクを齧り始めていた。安居酒屋でのジャズ談義では、モンクを熱く称揚し、オスカー・ピーターソンのピアノの匂い立つ流麗さに唾棄することで自分たちの正当性の担保とした。分かりやすい青春だが、“立派”な大人になるためには、学生時代にやっておくべき大切な課目というものがある。
のちに和田誠/村上春樹『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮社)を読んで激しく感じ入ったのは、若き日の村上が新宿のレコード屋にレッド・ガーランドのプレスティッジ盤を買いに行った際、「若いのに、そんなつまらんもの買うことない。これを買ってじっくり聴きなさい」と店主から説教され『5 by Monk by 5』を売りつけられたという話だ。そこで村上は困惑するも、後日その店主は正しかったと回想するのである。そのくだりに膝を打ちながらモンクの、そして正しい青春の、時代を超越する普遍的価値を確信したのだった。……が、気がつくと、現在ぼくは、ジャズオヤジがモンクで若者を啓蒙する、という麗しき伝統を途絶えさせてしまっている。若い友人にLINEで、「セロニアス・モンクの『Brilliant Corners』を通して10回聴いたあと、知人10人にも同じようにするよう、この文面を回すとしあわせな大人になれます」と送ったらきっと感謝されるだろう。不要な人間関係も整理できるかもしれないし。
ぼくの最初のモンクが、アルバイト先のコック長から聴くように言われた『Brilliant Corners』だった。当時直線的なロックを愛好していた19歳の耳にはあらゆる意味で“壊れて”聞こえるそれを“ブリリアント”とする感覚。その得体の知れない謎に体当たりして悶々としながらも、未知の快感の芽を自分の中に発見しようとマゾヒスティックに繰り返し聴いたものだ。挑戦欲と征服欲の対象としてふさわしかったその盤が、自分の中で確実にジャズのひとつの指標になっている。
音楽における難解、理解という概念が適当なのかも分からないし、言葉的に好きではないのだが、確かにある“境界線”を越えた瞬間に音がストンと腑に落ち、パッと目の前が明るくなるようなことはあって、初めてその体験をしたのもモンクだったと思う。予想外の不審な音やシンコペイションにこそ、予想外の美の可能性があり、予想だにしなかった自分の中の共鳴板を探し当てる可能性がある。歯にガタがこないうちに、食べ慣れない物でも何でも、噛み応えのあるやつをバリバリ咀嚼して自分の養分にしておくのは大事で、あとから思うと、往々にしてそういう物がすこぶる美味だったりする。
あの、伸ばしたままの指が隣の鍵までひっぱたいてしまう可能性まで織り込み済みでコントロールし、怒りや歓び、懐疑、期待、不安等々の機微をうがち、“音符でもコードでもないもの”を奏でる表現法。こういう種類の精妙のインテリジェンスを体験しておくと、下手だとか乱暴だとか音が汚いだとか人前で不用意に口走り、いたずらに自分の浅薄さを晒さずに済む。それもたしなみというものだ。
膠着した感受性をほぐし、自分の許容量を上げておくこと。政治的なコノテイションを強調するまでもなく、モンクの音楽はそれを要求したし、今も要求し続けている。その意味で、モンクの音楽は、鳴らせば常に青春だ。ぼくの、ではなく、普遍的な、である。
鈴木孝弥(Kôya SUZUKI)
音楽ライター、翻訳家、『ミュージック・マガジン』レゲエ・アルバム・レヴュワー。昨秋の『セルジュ・ゲンズブール~バンド・デシネで読むその人生と音楽と女たち』(DU BOOKS)に続き、最新のルーツ・ロック・レゲエの要人と動向を伝えるプロジェクトなど、仏英発の音楽書籍2冊の翻訳刊行準備中。