レコードやCDといったフィジカル・リリースを前提とした音楽レーベルの在り方が問われる状況が続いている。大きなメジャー資本の傘下にあるか、豊かな音楽的遺産を持っているレーベル以外、生き残りは難しいと言われることもある。しかしながら、フィジカル・リリースを丁寧に続けて、新たなリスナーを獲得することに成功しているインディペンデント・レーベルも確実に存在している。そこに共通する姿勢は、音楽そのものへの愛情はもちろんのこと、潜在するリスナー層の掘り起こしと、アーティストが次なるチャレンジへ歩み出す後押しをすることだ。デジタル配信によるワールドワイドな拡がりも上手く利用しながら、これまで出会うことがなかったリスナーと音楽、アーティストを繋げている。
イギリスのギアボックス・レコーズ(Gearbox Records)は、そうした姿勢を続けてきた代表的なレーベルだ。ギアボックスは、2000年代後半にタビー・ヘイズ、ジョー・ハリオット、ドン・レンデルら60年代のUKジャズを代表するミュージシャンたちが残した音源の掘り起こしからスタートした。いまでは現行のUKジャズから、アメリカのカントリーやフォーク、それにエレクトロニック・ミュージックまでリリース範囲を拡げている。そして、2020年には日本支社を設立した。ビンカー・ゴールディングの『Abstractions Of Reality Past And Incredible Feathers』、ニコの『BBC Session 1971』など注目作を含む計15タイトルの国内盤を10月より連続リリースしているなど、精力的な活動が続いている。
この連続15タイトル以前のリリースだが、僕は、今年74歳を迎えたアメリカのサックス奏者チャールズ・トリヴァーの新録音作『Connect』と、イギリスのマルチ奏者バスティン・ケブの『The Killing Of Eugene Peeps』(いずれも2020年)のライナーノーツを、ギアボックスから依頼されて執筆した。その際に、CDとレコードで丁寧にリリースするだけではなく、ライナーノーツも大切に扱っているレーベルの姿勢が感じられた。
今回はギアボックスを主宰し、運営だけではなく、A&Rとしてアーティストを発掘して、プロデュースも手がけているダレル・シャインマン(Darrel Sheinman)氏に話を伺った。彼は、音楽好きのイギリス人の父と、ナイジェリア人の母を持ち、様々な経験を経て音楽の仕事に携わるようになった。これは、レーベルだけの話ではなく、今後の音楽の聴き方/聴かれ方を考えてみるきっかけにもなるインタビューだと思う。
全てにおいて質にこだわるレーベル
――まずは、レーベルを始める前の話を少し訊かせてください。
「そもそも、僕は化学を専攻していて、その傍らでドラムもやっていた。ずっと音楽が大好きで続けていたが、就職にあたっては金融の世界へ進んだ。トレーダーとして証券取引所に出入りするような12年間だったよ。やがてその仕事に嫌気がさして、いくらか資金もできたので、それを元手にコンピュータ科学の博士号を持つパートナーと組んで衛星で船の位置を追跡する会社を始めた。これは業種としては世界初だったんだ。僕らのビジネスがきっかけで航海のルールが変わり、いまは全船舶が衛星で追跡されている。
そして、趣味で始めていたレコードの仕事に2009年から本腰を入れたんだ。それがギアボックスで、元々好きだったところに戻ってきた感じだね。2012年にマスタリング用のスタジオを建てて、フルタイムで音楽の仕事を始め、2014年ぐらいかな、プロフェッショナルとして軌道に乗り始めたのは」
――僕が初めて買ったギアボックスの作品はマイケル・ギャリック・セクステットによる『Prelude To Heart Is A Lotus』※(2013年)のレコードだったので、マニアックなジャズを出すレーベルという印象を持ってました。
「そうなんだ! 当初はジャズのレーベルとして過去に録音された音源から主にハード・バップのものをリリースしていた。〈未発表音源をレコードで〉というスタートだった」
――それ以外にギアボックスはどんな青写真を持って始めたのですか?
「当初の発想は〈最高品質のレコードを出すこと〉。ギアボックスは全てにおいて質にこだわるレーベルだ。音楽自体が高品質で、録音状態も高品質、ミックスやマスターの具合も、そして完成品としても高品質でなければいけない。この仕事を始めた当時は廉価CDが幅を利かせていたので、僕らはハイエンドからのアプローチを復活させたかった。僕も元はオーディオおたくだったから(笑)、そういう形で音楽を提示するならレコードが最善のフォーマットだと確信して、それに相応しい最高の録音源、最高のジャズガイたちによるものを発掘するところから始めたんだ」
――古い音源はどうやって発掘を?
「音源はもともとブリティッシュ・ライブラリー(大英図書館)に保存されていたもので、そこの音楽担当のキュレーターのひとりが協力してくれて一緒にアーカイヴを調べた経緯があったから、実は当初、レーベルを〈Curator Records〉という名前にしようと思っていたんだよ」
――大英図書館のアーカイヴの音源にはとても興味があります。
「閲覧室でかなりの時間を過ごす時期があったんだけど、そこには特別な試聴設備があって、所蔵のテープを聴くことができるんだ。BBCのテープも数多くあったが、昔のエンジニアやプロデューサーが亡くなったあと、遺族から寄贈されたテープもたくさんあった。当初の僕らのリリースの多くはそこから引っ張ってきたものだったね。
その後、徐々に名前が知られるようになると、往年のミュージシャンから手元にあるテープが送られてくるようにもなっていった。リリースが軌道に乗ってくると今度は作品の幅を広げたいと思うようになって、コンテンポラリーなアーティストに目を向け始めた。そしていまはジャズとフォークの新しいアーティストと契約して新譜の制作も手がけている」