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インタビュー

ゆず『PEOPLE』人々の生活や価値観の変化とともにあった自分たちの音楽を1枚に

ゆず『PEOPLE』人々の生活や価値観の変化とともにあった自分たちの音楽を1枚に

デビュー25周年イヤーにゆずが放つ約2年ぶり、通算16枚目のオリジナルアルバム『PEOPLE』。現代美術家の松山智一が同じタイトルのもとに仕上げた作品をアートワークに起用するなど、すでに話題性十分なアルバムの中身を紐解くべく、ゆずの2人にインタビューを実施。そこで見えてきたものとは――。

ゆず 『PEOPLE』 SENHA(2022)

 『PEOPLE』と名付けられたアルバムに“PEOPLE”という曲は厳密に言えば入っていない。収録された全10曲で『PEOPLE』を表現している。そういう意味では前作の『YUZUTOWN』と近いものを感じるが、『PEOPLE』は各曲の結びつきがより密接な作品だ。

現在から遡って〈2年〉という時間は、今を生きる我々にとってある意味で共通の記憶が宿っている期間と言えるかもしれない。その2年間、ゆずは立ち止まらなかった。楽曲を制作し、発表し、ライブを実施した。刻一刻と変化する状況の中で、いつも通りを貫く姿勢に裏打ちされた活動が続く中、彼らの意識にあったのは、ファンであり、この困難な状況を共に生きている〈人々〉だった。

「2年間の足跡というか、僕たちの感じてきたことが中心になっている作品だと思います。人々の生活や価値観の変化とともにあった自分たちの音楽を1枚にまとめたという感じですね」(北川悠仁)

「2年間の集大成でもあるし、こうやってまとめてみると、明らかにこれからへの指針にもなっている作品ですね。感覚としては、ニューアルバムなのに、それぞれの曲との距離が近くに感じられる不思議な温度感を持っているアルバムです」(岩沢厚治)

まるでドキュメンタリーのように〈2年間〉が軸にはなっているが、手触りは驚くほどポップでカラフルだ。それはやはり、時代や社会がどう変化していこうとも、面白いことをやりたいという彼らの変わらないアティチュードのなせる技だ。

昨年10月25日に行った武道館のステージからデビュー25周年イヤーに突入した。その時に見せた2人だけの弾き語りのパフォーマンスは、必要最低限の照明とセットのみという、初期衝動を感じさせる剥き出しのものだった。

「僕たちがゆずを始めたのは、別に音楽的にどうこうということではなく、単純に2人でやっていると面白いなって思ったからっていうだけなんですよね。この先何がどうなるかわからないけど、楽しいじゃん、面白いじゃんっていうことをやろうよって言ってやっていたらそのままここまでたどり着いたという感じです」(北川)

「どうして2人でやろうと思ったんですか?って訊かれたら、2人が楽しかったからです、以上、なんですよね。そして25年経って、得意なことは何ですか?って訊かれたら、ゆずです、以上、みたいな感じです(笑)」(岩沢)

例えば“NATSUMONOGATARI”では、2004年にリリースされた“桜木町”のアフターストーリーとして、言うなれば時間を超えた自分たちとコラボを行ったり、“奇々怪界-KIKIKAIKAI-”では、TeddyLoidとGigaという気鋭の若い音楽プロデューサーとの三つ巴の共作を行ったり、ゆずという殻に閉じこもることのない攻めの姿勢を貫いているのが印象的だ。さらにそれは初めてアルバムに収録される楽曲の中にも言える。“春疾風”は、北川が嵐に楽曲提供した“夏疾風”のメロディはそのままに歌詞とコードを変えたものだし、“あの手この手”はあえてチープな音色を用いた実験的な作りとなっている。そこには、音楽的野心もさることながら、それよりも楽しむ感覚が上回っている。

「正直言って、〈バズらせたい〉とかあんまり思ってないんです(笑)。ゆずを始めた時もそうだったんですけど、人気者になりたいとか売れたいとかっていうよりも、僕たち2人が〈面白いなー〉っていうことをやっていたら自然とそこに人が集まってくれただけなんですよね」(北川)

「2人って最小の複数じゃないですか。ミニマムのPEOPLE。やっぱりそこが僕たちの原点なんです」(岩沢)

アルバムの最後を飾るのは“そのときには”。1回目の緊急事態宣言の中、なんとか曲を届けたいという意思のもとで作った弾き語り楽曲だ。考えられる限りの音楽的冒険を経て2人が立った地点は、2人だけの弾き語りという原点だった。それは、またここから始まるということの高らかな宣言であり、6月にリリースとなる次のアルバム『SEES』への確かなる予告として〈人々〉の真ん中で響く。

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