時代に愛され、弄ばれ、時には深く傷つき、自分を見失うこともあったけど、それでもポップ・シーンの王位に返り咲かんと、麗しい姿であの男が戻ってきた──ボーイ・ジョージ。優しさと慈しみに溢れた彼のソウル・ミュージックは、年輪を重ね、往時とは違う深みを伴いながら、ふたたび輝きを放ちはじめる。音楽の神様がくれた何度目かのビッグ・チャンスを物にするのはいま。スポットライトを一身に浴びて、さあ、ステージの中央へ!
レディ・ガガの台頭で奇抜なファッションやチープなシンセ・サウンドもすっかり市民権を得た今日この頃。頻繁に引き合いに出され、語られるようになったのが、〈80年代〉というキーワードである。マドンナ、プリンス、ワム!、デュラン・デュランらが時代の顔だった80年代。もちろん、彼らと並んで華々しく活躍を繰り広げたボーイ・ジョージ率いるカルチャー・クラブのことも忘れちゃいけない。同じく〈ニュー・ロマンティックス〉から頭角を現したデュラン・デュランが正統派アイドルとして人気を誇ったのに対し、カルチャー・クラブはボーイ・ジョージというアンドロジナスなシンガーの個性や非日常的な存在感で支持を集めた。いまでも世代を超えて愛される“Karma Chameleon”は普遍的な魅力を持った楽曲だが、しかし、それを歌ったシンガーの半生は普遍とは程遠い波瀾万丈なものだった。
特異なキャラクターを武器に変えて
本名、ジョージ・アラン・オダウド。61年にロンドン東部はベクスリーで誕生する。現在52歳。アイルランド系ワーキング・クラスの大家族のもと、5人の兄妹と共に育った。幼い頃から浮きまくっていたジョージだが、本人は気にすることもなくスクスクと成長。しかし、学生生活に関しては苦々しい思い出しか残っていないようで、学業や運動にはまるで興味が持てず、将来的な展望もなかった彼にとって学校は教師との戦いの場でしかなかった。そして、服装やメイク、振る舞いがどんどん過激にエスカレートし、やがてハイスクールから追い出されることに。
退学を機にロンドンでスクワット生活(空きアパートを不法占拠)を始めたジョージは、その個性的なルックスやファッション・センスを買われてヴィサージのスティーヴ・ストレンジが経営/ドアマンを務めるクラブ、ブリッツでコート・チェック係の職を得る。70年代後期〜80年代初頭にかけてのブリッツといえば、ニューロマ・ムーヴメントのメッカ。スパンダー・バレエが、デッド・オア・アライヴが、ジョージの親友であり悪友でもあったマリリンらが常連客で、デペッシュ・モード、シャーデー、デヴィッド・ボウイらも訪れる社交の場であった。そんなナイトライフの遊び場からアーティストやバンドが生まれ、ユース・カルチャーが発祥したのだから、セレブ2世や3世やスポンサー企業で作られる現在のクラブ・カルチャーとは根本的に異なるものか。とにもかくにも、ジョージはその頃に付き合っていたカーク・ブランドン(シアター・オブ・ヘイト、スピア・オブ・デスティニー)の影響でシンガーになろうと思い立ち、自分が本当にやりたいのは音楽だと悟るに至った。そして、すぐさまセックス・ピストルズなどを手掛けた凄腕マネージャー、マルコム・マクラーレンにみずから売り込みを掛けている。マルコムの計らいでバウ・ワウ・ワウのメンバーとしてステージに立ったが、数回で仲違い。ならば自身のグループを作ろうとメンバーを集め、こうして81年に生まれたのがカルチャー・クラブだ。
アイルランド系のジョージ(ヴォーカル)、ユダヤ系のジョン・モス(ドラムス)、ジャマイカ系黒人のマイキー・クレイグ(ベース)、イングランド系白人のロイ・ヘイ(ギター)という4人で構成。バンド名には〈多様なカルチャーやバックグラウンドを持ったメンバーの集合体〉という意味が込められている。ちなみにグループの実質的なリーダーは、ダムドやアダム&ジ・アンツでの活動経験も持つジョン。公にされていなかったが、彼とジョージは恋仲でもあり、「カルチャー・クラブの楽曲には2人の関係を歌ったものが多かった」と後にジョージは明かしている。
そして、当時ヒューマン・リーグやシンプル・マインズらUKの新進アクトの獲得に積極的だったヴァージンと82年に契約を交わす。最初のシングル2枚“White Boy”“I’m Afraid Of Me”こそチャート・アクションはイマイチだったものの、3枚目のシングル“Do You Really Want To Hurt Me”で見事ブレイク。まずUKチャートでNo.1を記録すると、あれよあれよと世界へ拡散し、ヨーロッパ各国で軒並み1位を獲得したのみならず、USチャートでも2位まで上昇する。デュラン・デュランやユーリズミックス、ポリス、ウルトラヴォックスをはじめとするUKのグループが〈第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン〉の波に乗って次々と全米上陸を果たしたが、そのなかでもやはりボーイ・ジョージの存在感は光っていた。女装のような出で立ちで〈僕を本当に傷付けたいの?〉と繰り返すシンガーの歌が、多くの人の胸に突き刺さったのだ。それは日本においても同様で、彼らの人気の凄まじさはいまでも語り草となっているほど。もしかしたら社会の枠組にはめられた多くの日本人が、ジョージのように自分らしく自由に生きられたら……と憧れたのかもしれない。余談だが、その後の低迷期にも、ジョージのもとには常に日本から励ましのファンレターが送り届けられていたそうだ。