3人のオルフェーオを歌い分ける「天使の翼を持つ」カウンターテナー
フランスが誇るカウンターテナー、フィリップ・ジャルスキーの個性を、筆者は「飛翔感」と呼ぶ。頭声(裏声、ファルセット)の透明性ある響きを駆使し、しなやかさに満ちる彼の歌いぶりは、鳥のように空を軽やかに舞うものなのだ。
そこで、本人にインタヴューした折に、「貴方の芸術性を〈天使の翼をもつ声〉と表現しました」と伝えてみた。すると、ジャルスキーは、少しはにかみながら、「有難う」と答えた。どうも、「天使の声」とはよく呼ばれても、「天使の翼を持つ」と言われたのは初めてらしく、それなりに心に響いたようなのだ。
ジャルスキーは17歳で音楽院に入り、ヴァイオリンを専攻したが、声楽に目覚めたのはたまたま出かけた演奏会でのこと。あるソプラニスタの歌を聴き、突然、「自分も同じように歌えるかもしれない」と閃いたという。それで声楽のレッスンに傾注し、先生から「テノールでも、カウンターテナーでも、好きな方向に行ってみたら?」と励まされたことで、いまの道を選んだと教えてくれた。「デビュー直後はパニックで(笑)。歌いながら演技するなんて超人的だと思ったんです!」と語っていたが、それから20年余の今日、この名歌手は演奏集団アンサンブル・アルタセルセを率い、「歌いながら指揮する」状況もさらっとこなしている。
ここで、ジャルスキーの声の美質を説明しておこう。1600年頃にオペラが誕生した頃、主役はソプラノかテノールが担当し、男声ながら女声と並ぶ高い音域を歌うカウンターテナーやカストラート(去勢歌手)は脇を演じていた。しかし、声量あるカストラートが繊細なカウンターテナーを駆逐し、テノールやソプラノも押しのけてオペラの主役になるケースが激増。カウンターテナーの唱法は英国の宗教音楽界でほそぼそと伝えられてきた。
しかし、19世紀初頭にナポレオンの意向で去勢手術が禁止になり、20世紀初めにカストラートが絶滅すると、「女声に匹敵する高音域を操る」男性歌手はカウンターテナーだけになった。そこで、1970年代からこの声が再び注目され、いまや逸材が続々と出現。その中で、最も高い音域をもつ歌い手を「ソプラニスタ(男声ソプラノ)」と呼ぶが、ジャルスキーの声が保つ躍動感や青年性は、カウンターテナーの趣きがぴたりとくるだろう。
そのジャルスキーが来る3月に再来日し、「オルフェーオの物語」と銘打つコンサートを開催。コンセプトは、2016年の同名アルバムと同じく、亡妻を取り戻すべく冥界に赴く詩人を描いた17世紀のイタリア・オペラから、有名な3作――モンテヴェルディがマントヴァで初演した傑作(1607)、宰相マザランに招かれたロッシがパリで発表した名作(1647)、サルトーリオがヴェネツィアで初演し、次代への架け橋となった注目作(1672)から名場面を披露するというもの。ジャルスキーは「3人のオルフェーオ」を歌い分け、対する「3人のエウリディーチェ」は、ハンガリーのソプラノ、エメケ・バラートが担当。二人の二重唱も楽しみである。
同じ題材でも、作曲家や時代が違えば曲想は異なり、並べて聴くと、一つの物語からいろいろな「音の花」が咲いたと分かる。なお、アルバムでは別のオーケストラが歌を支えたが、今回はアンサンブル・アルタセルセとの共演になり、3作のうち、モンテヴェルディのオペラはテノールのために書かれたので、「敢えてカウンターテナーが挑戦します!」とジャルスキーも意気込んでいる。名曲〈強力な霊〉の力強さは是非お聴き逃しのないように。
本人曰く、「過去の埋もれた作を宝探しのように掘り起こすのは楽しい作業です。イタリアだと熱狂的なお客様が多いですが、日本の皆様は静かに集中して下さいます。でも、サイン会のときには皆さん積極的で驚きますが(笑)、いつも有難く思うんです!」とのこと。3世紀半以上も前の音楽が、ジャルスキーの声と腕を通じて、「時を超える使者」の如く、ヴィヴィッドに響き渡るさまが今から楽しみである。
フィリップ・ジャルスキー(Philippe Jaroussky)
カウンターテナー。フランスのヴィクトワール・ドゥ・ラ・ムジーク賞〈年間最優秀オペラ・アーティスト〉を2度、ドイツのエコー賞クラシック部門を複数回受賞するなど、国際的に最も活躍している歌手の一人。隅々まで磨かれたニュアンスと、アクロバティックなまでの超絶技巧を可能にする抜きんでた技術により、膨大なバロック音楽のレパートリーを可能にしている。また音楽研究の最前線にも立ち続け、カルダーラ、ポルポラ、ステッファーニ、テレマン、J.C.バッハなどの作品の発見・再発見にも大きく貢献している。
LIVE INFORMATION
フィリップ・ジャルスキー《オルフェーオの物語》
2023年3月1日(水)東京・初台 東京オペラシティ コンサートホール
開演:19:00
■出演
オルフェーオ:フィリップ・ジャルスキー(カウンターテナー)
エウリディーチェ:エメーケ・バラート(ソプラノ)
アンサンブル・アルタセルセ
■曲目
サルトーリオ:二重唱「愛しく心地よい鎖」
モンテヴェルディ:天界のバラ(オルフェーオ)
ロッシ:愛しい人、あなたと共にする苦痛は(エウリディーチェ)
ロッシ:二重唱「なんと甘美なのでしょう」
モンテヴェルディ:覚えているか、ああ暗い森よ(オルフェーオ)
サルトーリオ:オルフェーオ、眠っているの?(エウリディーチェの亡霊)
モンテヴェルディ:強力な霊(オルフェーオ) 他
https://www.operacity.jp/concert/calendar/detail.php?id=15030