©Nina Westervelt-JoniJam

ザ・ジョニ・ジャムを、ニューポートでも再現! 集まった誰もがジョニの回復を祝い、音楽を共有する喜びを感じた一日

 「さあ、一緒に歴史を作りましょう、1969年以来のニューポートのステージです、ジョニ・ミッチェル!」。普段からきりっとした姿がさまになる女性だが、いちだんと熱のこもったブランディ・カーライルのMCで始まった。それはもう、奇跡とさえ呼びたくなるような、忘れがたい夏のひとときの始まりでもあった。2022年7月24日、ロードアイランドで開催されたニューポート・フォーク・フェスティバルでの出来事だ。

 そもそも、2000年代に入って、正確には、2007年のアルバム『シャイン』以降になるが、パフォーマーとしてのジョニ・ミッチェルは、体調も思わしくなく、ほぼ引退状態にあった。2015年には脳動脈瘤の破裂で生命さえ危ぶまれたくらいだ。それ以降、リハビリを重ね、2018年の生誕75周年を祝うトリビュート・コンサートを含め、幾度か公式の場に姿をみせたり、少しずつ回復していることが伝わってはいたが、こうやって沢山の聴衆の前で、本格的に歌うのは20年ぶりだったらしい。この『ジョニ・ミッチェル・アット・ニューポート』は、そのときの模様を収録したライヴ・アルバムだ。

JONI MITCHELL 『Joni Mitchell At Newport』 Rhino/ワーナー(2023)

 ベレー帽にサングラス、夏の日射しに映える華やかな衣裳のジョニが、登場する。

 友人たちの手を借りながら足どりこそ弱いが、ステージの中央までくると、表情はにこやかさを増し、ブランディと軽やかにステップを踏み、踊ってさえみせた。ここ数年、ジョニは、カリフォルニアの自宅で、友人たちを呼び、一緒に歌い、演奏するようになった。ザ・ジョニ・ジャムと呼ばれるそれを、ニューポートでも再現しようとしたのが、これだった。だから、ステージも決まりきったものではなく、彼女のリビングルームさながらにセッティングされ、ソファに座ったジョニを中心に、そばにブランディが、そして友人たちが囲む形で一緒に歌い、演奏する。

 当日は、アルバム『ブルー』からの“ケアリー”がオープニング・ナンバーだったが、ここでは、“ビッグ・イエロー・タクシー”が幕開けに変わった。ハワイで自然
が破壊されて駐車場が作られる様子を見て、環境問題への警告として書かれた初期の代表曲を、賑やかにリズムを弾ませながら演奏する。ブランディの他に、マーカス・マムフォード、ドーズのテイラー・ゴールドスミス、ワイノナ・ジャッド、セリース等々が、その演奏に加わったり、ピアノ、ギター、ベース、パーカッション、チェロなどの簡素な楽器編成で盛り立てながら、当日は13曲が披露された。そこからカヴァーものが2曲カットされ、曲順にも手を加えながら今回のアルバムは11曲で構成されている。

 ジョニが全てを歌いきるのではなく、ブランディと、時には他の誰かを交え、掛け合いをしたりしながら、楽しそうに進んでいく。それでも、ジョニが、ここぞとばかりのフレーズを一言口にするだけで、歌の存在感がガラリと変わる。品位というか、風格というか、尊厳というか、そういう力が加わるのだ。例えば、“ケイス・オブ・ユー”。ピアノだけの伴奏で、ジョニとブランディ、そこにマーカスも加わってのシンプルな構成だが、なんとも言えないくらいに心が揺さぶられる。「フェイバリット・アルバムは?」というブランディの問いかけに、『逃避行』をあげ、その中から女性飛行士アメリア・イアハートのことを歌った“アメリア”をしみじみとやったり、“この汽車のように”では、エレクトリック・ギターのソロで見事なインストゥルメンタル・ナンバーに仕上げる一幕さえあった。

 “サークル・ゲーム”を、友人たちはもちろん、観客も含めて、会場が一体となり、文字通りのシンガロングで盛り上がって幕を閉じる。ジョニも、ブランディも、他の友人たちも、リラックスはしているけれど、誰一人としてその瞬間を疎かに、粗雑に扱っている人はいない。音の一つ一つ、言葉の一つ一つを、生れたばかりの命を手のひらで大切に包み込むように手渡していく。ステージの上でも、下でも、この日集まった誰もがジョニの回復を祝い、音楽を共有する喜びを感じ、それを誰かに伝えたい気持ちで繋がっていく。音楽が好きで良かったと、誰かにとではないけれど感謝したくなるのは、こういうときでもある。