2023年8月9日、ザ・バンドのギタリスト/ソングライターとして知られた北米音楽界の重鎮ロビー・ロバートソンが、80歳でこの世を去った。前立腺がんとの闘病を長期間続けていたという。

ロビーの音楽家としての深く豊かな才能は、ザ・バンドで遺した多くの名曲はもちろん、ボブ・ディランとの共演作、ソロワークスや映画音楽の仕事の数々で聴ける。一方でザ・バンドの元メンバーたち、特にリヴォン・ヘルムとの軋轢があったことは知られているとおりで、彼の音楽人生は起伏に富んだものだ。

そんな彼への追悼の意を込めて、ミュージシャンの谷口雄がロビーとザ・バンドの物語を綴った。全3回に分けて掲載するうち、第1回に続く第2回はザ・バンドの伝説的デビュー作『Music From Big Pink』から解散コンサート〈ラスト・ワルツ〉まで。 *Mikiki編集部


 

デビュー作『Music From Big Pink』と名曲“The Weight”、お祭りムードのバンド

1967年の終わりごろ、アルバート・グロスマンがホークスとキャピトル・レコードとの契約を取り付ける。時を同じくしてリヴォンを呼び戻し、2年ぶりにバンドに復帰。ウッドストックで知り合ったジョン・サイモンをプロデューサーに迎え、アルバム『Music From Big Pink』の制作がスタート。録音は主にA&Rスタジオとキャピトル・スタジオという一流どころで行われたが、あえて楽器ごとにセパレートせず、全員が顔を合わせて演奏、安物のダイナミックマイクで収録するという、地下室時代と同じ手法が取られた。

THE BAND 『Music From The Big Pink』 Capitol(1968)

ザ・バンドと名を改め1968年7月にリリースされたこのアルバムは、先述の『The Basement Tapes』とともに、エリック・クラプトンやジョージ・ハリスンを始めとする同時代の音楽家に計り知れない影響を与えた。

ザ・バンドの代表曲で、ソングライター、ロビー・ロバートソンの最高傑作でもある“The Weight”も本作収録だが、元々は曲が足りなかったら録音しよう、という程度の扱いだったらしい。試しにメンバー全員で演奏したところ、そのハーモニーに特別なものを感じて収録されることになったという。ロビーの楽曲においてザ・バンドの面々がいかに重要だったかを示すエピソードだ。

1968年作『Music From The Big Pink』収録曲“The Weight”

デビューアルバムをリリースした直後のメンバーたちは、ロビーいわく「お祭りムード」。年長者のガースと、すでに家庭をもっていたロビーを除く3名は、ご自慢のクラシックカーで暴走行為を繰り返すようになる。アルコールやドラッグも相まって、事故は日常茶飯事。そのうちにリック・ダンコが街路樹への追突事故を起こして重症を負い、ツアーに出ることが不可能になってしまう。こうした問題を表に出すまいと、ロビーはバンドのスポークスマンとして振る舞うようになる。

 

〈アメリカ〉を奏でた傑作『The Band』、バンド内の軋轢

ステージに立てない分、曲作りは量産体制に入っていた。2枚目のアルバム『The Band』(1969年)の制作は、ビッグ・ピンクの地下室の録音機材をそのままハリウッドの一軒家に持ち込むという異例の手法が取られ、音像はより一層生々しく、ありのままのザ・バンドの姿を伝えている。

THE BAND 『The Band』 Capitol(1969)

ホークス時代にアメリカ全土を回って得た音楽的な経験と、西部劇の田舎町や南北戦争の苦悩をテーマにしたロビーの虚実入り交じったストーリーテリングが織りなす、さながらザ・バンド版〈ディスカバー・アメリカ〉のようなコンセプチュアルなアルバムに仕上がった(実際、タイトルの候補に〈アメリカ〉が挙がっていたという)。リヴォン、リチャード、リックのゴスペル的なハーモニーは完璧で、より洗練されたバンドのアンサンブルとともに充実期を感じさせる。全米チャートも9位と大ヒットを記録する。

1969年作『The Band』収録曲“Up On Cripple Creek”

しかしながらこの傑作が、バンドに新たな分断を招くことになってしまう。『The Band』の収録曲がすべてロビーの作詞曲(一部はレヴォン、リチャードとの共作)であることに、アルバート・グロスマンの暗躍を疑ったリヴォンは、ロビーにクレジットの修正を直談判する。リヴォンの言い分としては、「曲の基本的コンセプトから、それを練ってレコードにしていくまでにでてきた素晴らしいアイデアは、必ずしもロビー1人によるものではなかったはずだ」。ロビーはのちに「バンドを結成した時は、メンバー全員が曲を書くことになっていたけど、そうしなかったメンバーもいて、僕は彼らにやる気がないんだと思っていた」と振り返っており、真相は闇の中。

この一件以降、バンドの共同作業は停滞、ドラッグ禍も悪化の一途を辿る。3枚目のアルバム『Stage Fright』(1970年)のエンジニアを務めたトッド・ラングレンによれば、「レコーディングは永遠に終わらなかった。スタジオに現れないメンバーもいたし、全員の気持ちをひとつにさせるのが一苦労だった」。全米チャート5位を記録するヒット作となったが、トータルの完成度では過去2作に及ばず、徐々に不穏な空気が漂い始める。

THE BAND 『Stage Fright』 Capitol(1970)

1970年作『Stage Fright』収録曲“The Shape I’m In”