2019年、『U.F.O.F.』と『Two Hands』という2つの傑作によって、名実ともにUSインディーを代表するバンドになったビッグ・シーフ。そのフロントウーマンのエイドリアン・レンカーはソロ・アーティストとしても優れた作品を発表しており、このたび『songs』と『instrumentals』という2作を一度にリリースした。マサチューセッツの山小屋で録音されたという歌とアコースティック・ギターによるその音楽は、コロナ禍で混沌とした浮世から隔絶した内面世界を描き出している。
時を同じくしてリリースされたのが、ケイト・ステイブルズを中心としたバンド、ディス・イズ・ザ・キットの新作『Off Off On』だ。ナショナルのアーロン&ブライス・デスナー兄弟に愛される彼女の才能は、これまで以上に伸びやかに、ポップに花開き、フォーク・ミュージックの新たな可能性に挑んでいる。
今回は、高橋健太郎と岡村詩野という音楽評論家の2人に、エイドリアン・レンカーとディス・イズ・ザ・キットの新作を入口として、現在/現代のフォーク・ミュージックについて語ってもらった。テイラー・スウィフトの話題作『folklore』が発表された2020年、いま新しいフォークとはどんなものなのか? フォークを更新する才能とは? 2人の対話から、フォークの深い森に迷いこもう。

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エイドリアン・レンカーの鋭さ
――エイドリアン・レンカーの『songs』と『instrumentals』をお2人はどんなふうに聴きましたか?
高橋健太郎「ビッグ・シーフでは激しさのある音楽をやっているじゃないですか。そういうバンドのフロントマンがソロでフォーク的な音楽をやるとなると、音楽性や発声方法は優しいものになりがち。でも、彼女はソロでも鋭角な感性が強く出ている。
あと、アコースティック・ギターのミニマルなフレージングをかなり研究したんじゃないかなと思いました。スティーヴ・ライヒみたいな、ミニマル・ミュージックの感覚で弾いているように聴こえたりします。今回インストゥルメンタル・アルバムも出すのは、そのへんがあったんじゃないかと」

岡村詩野「健太郎さんが言うように、単なるソロ・ワークじゃなくて、バンドでは発揮されなかったギタリストとしてのプレイヤビリティーや特性が出ている。
近年、レオ・コッケが再評価されているじゃないですか。それ以前から、ジョン・フェイヒィも再評価されています。アコースティック・ギターで繊細な音を響かせる、刺繍をするかのようなプレイをするギタリストが再評価されているんです。エイドリアンのソロ作は、そういう流れとリンクしているように感じました」
――歌唱もバンドとちがって、内面の深いところを表現したヴォーカルに感じました。
高橋「僕は、パーソナルな感覚よりも、カッティングエッジでラディカルなものを感じましたね。現代、特にここ10年くらいは、フォークこそがエッジーな音楽だとする動きがあると思う。エイドリアンの音楽は静かで起伏もないんだけれど、その内奥に尖った感覚がむしろバンド以上にある。
フォーク的な音楽と一口に言っても、アメリカにはカントリーに接した音楽があるし、イギリスにはブリティッシュ・トラッドとアイリッシュ・トラッドに接したフォークがありますよね。でも、そういう伝統的なスタイルから一歩踏み出て、ロックよりもラディカルなフォークを追求する流れがあって、彼女の音楽もそういうものだと思う」
トラディショナルだけどエクスペリメンタルなサム・アミドンのフォーク
岡村「それは私も同意するところです。健太郎さんはなにがきっかけでフォークがラディカルだと思うようになったですか?」
高橋「ものすごくさかのぼっちゃうと、ボブ・ディランがエレクトリック・ギターを持って、〈ニュー・ポート・フォーク・フェスティヴァル〉で……」
岡村「そこまでさかのぼるんですか!?」
高橋「いや、このあいだザ・バンドの映画(『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』)を観たから(笑)。すごいでしょ、あのブーイング※を実際に映像で観ると? でも、ディランは演奏し続けた。あの時点で、フォークって一度置き去りにされたんですよ。つまり、ロックのほうがラディカルな未来の音楽で、フォークは古くて心優しい音楽だと。その関係は、あれ以降ずっと続いていた。
それがどこで逆転したか……。僕にとってすごく大きかったのは、サム・アミドンの存在かな。もちろんボン・イヴェールも重要だけど、彼はもともとロック的な感覚も強い。サム・アミドンは、ものすごくトラディショナルなフォーク・ミュージシャンなんだよね、バンジョーを抱えた。なのに、アイスランドへ行って電子音楽の人たちと一緒にやったり……。アコースティックだけど、姿勢はすごくエッジーですよね」
岡村「サム・アミドンは素晴らしいアーティストだと思います。日本でどうしてこんなに軽視されているかわかりません。彼はアメリカ人で、いまロンドンに住んでいますが、アメリカでの動きを視野に入れながら、折に触れてルーツを掘り下げている」
高橋「Bandcampとかをまめにチェックしていると、フォーク系の人たちって、みんなものすごく演奏が上手くて、一定のクォリティーを保った素晴らしい音楽をやっているんです。豊かな伝統の上で。でも、そこから頭一つ抜ける人って、一握りなんですよ。
サム・アミドンは〈これ、なんなんだろう?〉っていう抜きん出たものを最初から持っていた。トラディショナルな音楽を追求しながら、一方でものすごくエクスペリメンタル。そういう人たちが次々に出てきたのは、2010年代からじゃないかな」
岡村「ジム・オルークもそうじゃないですか。彼はジョン・フェイヒィとかロイ・ハーパーとか、フォークのアウトサイドにいた人たちを早い段階から再評価していました」
高橋「でもジムってさ、フォーク・ミュージシャンじゃなくない? サム・アミドンのベースには、〈バンジョーを弾いて歌う〉ということがあるから。
フォーク・ミュージシャンにはフォーク・ミュージシャンとしてのなにかがあるって僕は思うんだよね。一人で人前に出て行って生で弾いて歌っても、光るなにかを感じられるのがフォーク・ミュージシャン、っていう感じがする。音響派の流れでフォークをやるんじゃなくて、もうちょっとゴロっとした〈アコースティックなのに、なんだろう、これ?〉っていう音楽のほうが、いまの感覚ではおもしろいと思う」
アメリカとイギリスの交流が生んだフォークの革命
岡村「サム・アミドンも、最初はメイン楽器がバンジョーじゃなかったですよね。
90年代は、アメリカ音楽がルーツに回帰するきっかけとして、ハリー・スミスの『Anthology Of American Folk Music』のCD化(97年)がありました。それから、デヴェンドラ・バンハートとか、いわゆるフリー・フォークの人たちが出てきた、という流れがあります。サム・アミドンも昨年、ハリー・スミスにトリビュートした『Fatal Flower Garden EP (A Tribute To Harry Smith)』を発表しています」
高橋「う〜ん。ハリー・スミスってコレクターだよね。ミュージシャンに会いに行って録音するアラン・ローマックスのような人ではない。彼のコレクションは、1927年より後の音源しかないんです。1927年より後の音楽だけ聴いていたって、おもしろくないよ(笑)。〈ルーツ〉なんて言っても、そこで止まっちゃうんじゃないかな。レコードの歴史は、それ以前に少なくとも40年はあるから。
ハリー・スミスのコンピレーションがカルト化、古典化したせいで、彼がコレクトしたレコードを作った人たちがいるのに、その存在が忘れられがちなのはバランスが悪いなって思う」
岡村「そんなことはないと思いますよ。サム・アミドン以降では、誰が重要ですか?」
高橋「彼の交友関係を見るだけでも、すごくおもしろいよね」
岡村「ブレイク・ミルズとか?」
高橋「彼やベス・オートンもそうだけど、僕のなかですごく大きいのはジェスカ・フープ。彼女はカリフォルニア出身だけど、今はマンチェスターに住んでいる。サム・アミドンもそうだけど、ひとつ重要なのはイギリスを目指したことですよ。
これまた64年くらいにまでさかのぼると、アメリカン・フォークの重要なミュージシャンってみんなロンドンの文化の洗礼を受けて、アメリカに帰ってきて、すごい曲を書いてヒットさせている。ボブ・ディランも、ポール・サイモンも、ジェイムズ・テイラーも、みんなそう。その一方で、アメリカ人のジョー・ボイドがイギリスでインクレディブル・ストリング・バンドとかフェアポート・コンヴェンションとかを見つけて、ブリティッシュ・フォークの一大帝国を築いた。当時は英米間の交流がすごくあって、それがアメリカのカントリー・フォークやイギリスのトラッド・フォークから一歩踏み出したプログレッシヴなものを作り出していたんだと思う。
だけど、その後は〈アメリカはカントリー・フォーク〜アメリカーナ〉〈イギリスはブリティッシュ・フォーク〉みたいに固まっていっちゃった。でも、最近はまた、アメリカとイギリスがすごくクロスしていると思う」

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ディス・イズ・ザ・キットのアフリカンな躍動感
岡村「それこそ、ディス・イズ・ザ・キットがそうですよね。彼女はイギリス出身でパリに住んでいますが、ナショナルのアーロンとブライス・デスナー兄弟と交流が深い。
ちなみに、ブライスもパリに住んでいて、彼の奥さんはフランス人シンガー・ソングライターのミナ・ティンドルです」
――ディス・イズ・ザ・キットの新作『Off Off On』はいかがでした?
高橋「僕は先に相棒のロジ・プレイン※のことを知って、彼女からディス・イズ・ザ・キットを知ったんです。ケイト・ステイブルズもサム・アミドンのように、ベースに〈バンジョーを弾くフォーク・ミュージシャン〉ということがありつつ、いろいろなことをやっている。
交友関係がすごく広いんですよね。パリに移住してフランスのミュージシャンと一緒にやっているのもおもしろいし、一方でブライス・デスナーやナショナルと交流している。その中心にディス・イズ・ザ・キットというバンドがいるのはおもしろい」

岡村「ケイト・ステイブルズの出身はウィンチェスターですね」
高橋「ウィンチェスターでロジ・プレインと高校時代まで過ごして、一緒にブリストルに移住したんだよね。
ブリストルは港町だから、ジャマイカンやアフリカンが多い。今回のアルバムを聴いて、アフリカンなミニマルのリズム感を感じたんです。それは、ブリストルで生活していたことからきているんじゃないかなって」
岡村「私もアフリカンなものを感じました。チューンヤーズ(tUnE-yArDs)に近い感じがしましたね。チューンヤーズが取り入れるアフリカ音楽は必ずしもフィジカルでエネルギッシュなものだけではなくて、室内楽的な要素もある。そこがディス・イズ・ザ・キットに通じるところです」
高橋「アフリカンということでは、去年ケイト・ステイブルズはフォーク・シンガーのアナイス・ミッチェルと(アフロ・ロック・バンドの)オシビサのカヴァー・シングル(“Woyaya”)を出しています。たしかに曲はオシビサなんだけど、アンサンブルはアメリカーナ/フォーク的。
いろいろな音楽をフォークにできちゃうフレキシビリティーが、いまのフォークの感覚だと思う。フォークっていうと、凝り固まっちゃった形式があるんだけど、それをもっと柔らかく使えるミュージシャンが出てきた。僕はそこにエッジを感じる」
女性バンジョー奏者たちの活躍
高橋「あと、アコースティック・ギターよりもバンジョーを持つほうがかっこいい時代になってきたと思う」
岡村「そのとおりですね」
高橋「初期のスフィアン・スティーヴンスがバンジョーを持っていたことも大きいけど、いまは女性がバンジョーを持つようになってきた。ケイト・ステイブルズもロジ・プレインもリサ・ハニガンもレイチェル・ダッドもバンジョーを弾いている。そんな状況は、20世紀では見たことがなかったですよ。
ケイト・ステイブルズはそのあたり、すごく意識的みたいです。インタビューで、20世紀初頭のイギリスに女性だけのストリングス・バンドがいてその写真が残っていること、そこにバンジョー奏者がいることに言及していたりする。いっぽうアメリカにはリアノン・ギデンズがいて、アワ・ネイティヴ・ドーターズという全員バンジョーの女性4人組バンドを組んでいる。
白人の太ったおっちゃんが弾くものって思われていた楽器を女性が取り上げているんです。バンジョーって、もともと武器じゃないですか。そういう戦闘的な楽器を女性たちが持っている、という」
岡村「実は私、昔バンジョーを弾いていたんですよ」
高橋「おお、リスペクト!」
岡村「弦が硬いし、指痛くなるからフィンガー・ピッキングが大変。高校1年生のとき、〈女性には無理だ〉って言われましたもん。ずっと弾き続けていればよかったなあ(笑)」
――ミュージシャンたちがいま、バンジョーに立ち返る意味とはなんなのでしょう?
高橋「リアノン・ギデンズはアフロ・アメリカンだから、白人のカントリー・ミュージックで使われる楽器っていうバンジョーのイメージを変えようとしている。
しかも、彼女が使っているのは、ナイロン弦を張った19世紀のミンストレル・バンジョーなんだよね。ケイト・ステイブルズが弾いているのも、イギリスに古くからあるツィター・バンジョー。ヘッドがクラシック・ギターみたいな形をしています。みんな、より古いものを掘り下げているように思う」
岡村「女性がバンジョーを持つようになったのは、どうしてなんでしょうね?」
高橋「女性のフォーク・シンガーといえば、ストレートの長髪の人がアコースティック・ギターをつま弾いている、っていうイメージがあったじゃないですか。ジョーン・バエズとかジュディ・コリンズとか初期のジョニ・ミッチェルとか。そういう型にはまらない、戦闘性を示すアイテムなんじゃないかな」
岡村「たしかにそうですね。いま名前が挙がったジョニ・ミッチェルの『Ladies Of The Canyon』(70年)を、また最近よく聴くんです。単なるフォークでもロックでもない、すごく越境した音楽ですよね。エイドリアン・レンカーやケイト・ステイブルズのような新しいフォーク・シンガーの予感は、すでにあのアルバムにあると思うんです。実際、ジョニの音楽に改めて立ち返る若手女性アーティストも多いようです」
高橋「ファースト・アルバム(68年作『Song To A Seagull』)から、すごく越境的ですよね。
ジョニはさ、20世紀のミュージシャンのなかでもマイルス・デイヴィスと並ぶくらいすごいから。彼女の影響を受けていない女性SSWってまずいないけど、でもジョニが持っているなにかを自分のものにできている人ってほとんどいない。ジョニはすごすぎて、フォーク・ミュージシャンの枠のなかには入らないかも」
テイラー・スウィフト『folklore』が与えたインパクト
――今年の最大の話題作として、アーロン・デスナーやボン・イヴェールが参加したテイラー・スウィフトの新作『folklore』があります。お2人はどう聴きましたか?
高橋「ものすごく強い影響力を持った時代のアイコンが、あえて〈folklore〉というタイトルでアルバムを作った。しかも、ジャケットはモノクロ写真。そのインパクトは大きかったと思います。つまり、いまなにがいちばんファッショナブルか、時代のフロントラインかを示している。さっき言ったように、ロックは時代の最先端でかっこいい音楽、対してフォークは心優しいエコな音楽、っていう関係がずっとあったんです。でも〈いやいやそうじゃない、『folklore』がかっこいいんだよ〉と、もっともメジャーなポップ・アーティストが宣言した、そのインパクトを感じました。
ただ僕は、本当のフォーク・ミュージシャン――バンジョーを持つ人が好きだからさ(笑)。コロナ禍の2020年にあのアルバムが出たという、時代の出来事としてはおもしろいと思うけどね」
岡村「海外では〈テイラー・スウィフトがインディー・フォーク化した〉という評価が多いですね。
ただ、スタジオを使えなかったから急場のひらめきでアーロンに連絡してリモートで作ったというから、一作限りのものじゃないかと思います」
高橋「COVID-19でステイ・ホームを強いられたことは、ある意味でフォーク・ミュージックを後押ししたところはあると思う。ミュージシャンはソングライティングとパーソナル・レコーディング以外やることがなくなっちゃったわけだから。バンドで集まることには限界があるけれど、フォーク・ミュージシャンは一人でいくらでもできる。
今年、やたら作品を出す人が多いじゃないですか。ビル・キャラハンなんて、今年に入って何枚出した(笑)? ギリアン・ウェルチも、ブートレッグ・シリーズなどを3作出している。今年はそういうモードなんでしょうね。
フォーク・ミュージシャンって、毎日誰かの前で歌うのが基本なわけです。それをできない状況が、録音に向かわせているんじゃないかな。今年リリースされたほとんどの作品から、そういうことを感じます」
ワクサハッチー、ジョシュア・バーンサイド、シンダー・ウェル……注目のフォーク・ミュージシャン
高橋「岡村さんが注目しているフォーク系の新しいアーティストは誰なんですか?」
岡村「ワクサハッチーはおもしろいと思います。同じSSWのケヴィン・モービーのガールフレンドで、もともとインディー・ロック系の音楽をやっていたんですけど、ここにきてフォーク的な音楽をやっていて。今年のアルバム(『Saint Cloud』)がすごくいいんですよ。リリックのテーマはドラッグ中毒。2020年屈指の一枚だと思います。
あと、ワクサハッチーはベドゥウィンとハレイ・フォー・ザ・リフ・ラフと3人でビッグ・スターのカヴァー・シングル(“Thirteen”)を出していました。女性同士の連帯、シスターフッドみたいなものをフォーク系ミュージシャンから感じるのが、今年の特徴のひとつですね」
――高橋さんがエッジーなものを感じるフォーク・ミュージシャンは誰ですか?
高橋「新作(『Into The Depth Of Hell』)を出した、北アイルランドのジョシュア・バーンサイドはおもしろいと思いますね」
岡村「彼もバンジョー奏者ですよ」
高橋「ケイト・ステイブルズと一緒にライブをやっていますよね。アルバムは、いきなりインダストリアル・ノイズみたいな音から始まるんですよ。ヘヴィーな電子音とディープなアイリッシュ・フォークを融合している。サム・アミドンがやってきた音楽の先にあるような、その極北みたいなことをやっている。イマっぽいなってすごく思った。
あと、シンダー・ウェル(Cinder Well)。アメリア・ベイカーというカリフォルニア出身の女性なんだけれど、アイルランドに移住して、すごくダークでヘヴィーなアイリッシュ・トラッド的な音楽をやっている。
それから全然ちがうポップな方向では、イーサン・グルスカっているじゃない」
岡村「イーサン・グルスカはすごくいいですね」
高橋「彼の曲作りはすごいね。〈ロン・セクスミス以来〉くらいの感じがする。ジャズとかR&Bとか、いろいろな音楽が入っているから、フォーク・ミュージックとは言えないかもしれないけど」
岡村「イーサン・グルスカはLAに住んでいて、フィービー・ブリジャーズやモーゼズ・サムニーと絡んでいることも重要です。
モーゼズ・サムニーの存在も大きいですね。彼もフォーク・ミュージシャンとは言いきれないけれど、原点のひとつにフォークがある。黒人だけど、黒人音楽的ではないものをやるミュージシャンとして、ひとつのお手本になっている気がします」
高橋「アメリカでも、黒人がフォーク的な音楽をやるとか、フォーク系のバンドのメンバーに黒人がいるとか、そういう例を普通に見るようになりましたよね。たとえば、ダーリンサイド(Darlingside)っていうバンドのフィドル奏者はアフリカンだし」
〈これまで了解されていたルーツ〉の先へ
岡村「私が重要だと思うのは、若い世代はフォークをフォークとして捉えていないふしがあること。サム・アミドンのように学究的にフォークを学ぶ人もいますが、感覚的にやっているアーティストもたくさんいるわけです。特に女性はそうで、実際にそう語る20代のミュージシャンもいます」
高橋「僕はむしろ、歴史をより深く振り返ったうえでやっている動きがあると思うな。
これまで了解されていたルーツ・ミュージックというのは、音楽的なスタイルが決まっている。名人がたくさんいて、さらに彼らを真似して上手くなった人が大勢いる世界。そうじゃなくて、もっと深いところまで掘ってみよう、そのうえで新しいことをやろう、っていう動きがあると思う。
あと、フォークにもインディー・フォークとかサイケデリック・フォークとか、あいまいなものがあるじゃないですか。正調のフォークは修練が必要だけれど、あんまり上手くない人は混ぜ物をして、サイケなほうにいったり、音響的にしたりするわけです。そういうものと、もっと〈生なフォーク〉みたいなものがあると思うんだけど、僕はいまは〈生なフォーク〉のほうがおもしろいと思う。かつ、これまでの伝統志向じゃないやり方で、〈こういうのもあったんだ⁉〉っていうのを出してきたり、そこにいろいろなものをミクスチャーしたりするようなミュージシャンが出てきている」
岡村「アーティストは、それを自覚的にやっているんでしょうか?」
高橋「もちろん、感覚的にやっている人もいると思う。だって、ジョニ・ミッチェルがなにを参照して、なにから影響を受けたかなんて、わからないもん。ジョニは絵を描くように、音楽を感覚的にぱっとやれちゃう天才だから」
岡村「どうしてそうなると思いますか?」
高橋「天才のことはわからないよ。でも、フォークの世界は上手い人が本当にたくさんいるから、なにかエッジーなものがないと抜けられないんだと思う」
アフリカ系がイギリスにバンジョーを持ち込んだ
高橋「90年代とか2000年代とかのサイケ・フォークと、いまの人たちはちがう気がするんですよ。バンジョーを持っているというだけで、ちがって見えるし」
岡村「ギターはまだしも、バンジョーって本当に難しい楽器で、おいそれと演奏できるものではないから、覚悟が必要だと思いますね」
高橋「バンジョーをメインの楽器にする人たちは、意識的だと思う。〈ギターじゃなめられる〉という意識があったりするのかもしれない。
あと、アメリカのバンジョーはカントリーやブルーグラスとともに奏法が発展した歴史があるけれど、イギリスはまたちがうんです。20世紀の初めにカナダ出身のボーヒー兄弟っていうバンジョー奏者がいて、彼らはアフリカンだった。2人が渡英して、その影響でイギリスでバンジョーが広まったらしいんです。
アイリッシュ・トラッドの人たちが弾いているバンジョーはアフリカンが持ってきたものだと考えると、ディス・イズ・ザ・キットの音楽がブルーグラスよりもアフリカンを感じさせるのは、ひょっとしてそういう歴史に繋がっているんじゃないかな、と想像が膨らむわけです」
――いま、Spotifyなどにはチルなフォークのプレイリストがたくさんありますよね。それを聴いて癒されようということじゃなくて、〈フォークはエッジーな音楽なんだ〉というお話はとてもおもしろかったです。
岡村「新しいフォーク・ミュージシャンたちは、ぼんやりした音響でごまかさないっていうことですよね」
高橋「そうそう。2000年代まではオブスキュアなものがかっこいいと思われていて、フォークもそういう表現に向かった。もうそこを過ぎたから、いまはまたちょっとちがうことが起こっていると思います」
