2023年1月18日、81歳でこの世を去ったシンガーソングライターのデヴィッド・クロスビー。バーズに始まり、クロスビー・スティルス&ナッシュおよびクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング、ソロ、そして近年の新世代ジャズミュージシャンたちとのコラボレーションに至るまで、彼の歌と音楽はアメリカ音楽史に大きな足跡を残した。そんな浮き沈みのあるキャリアを通して築いた音楽遺産を、彼を敬愛する鍵盤奏者/プロデューサーの谷口雄が振り返る。 *Mikiki編集部
多くの音楽遺産を遺し、最期まで才気に溢れていた音楽家
この原稿のお話を頂いたとき、思わず〈クロスビーはCSNで一番長生きすると思っていた〉と返答したのだが、編集部の方からは〈そうは言ってもクロスビーが一番年上だから〉と至極真っ当な答えが。そういえばそうだった。2019年のドキュメンタリー映画「デヴィッド・クロスビー:リメンバーマイネーム」では健康不安をしきりに訴えていたけれど、コンスタントに届けられる新譜はどれも才気に溢れていたし、Twitterでは亡くなる前日まで活発に投稿していたものだから、まだまだ長生きしそうな気がしていた。それだけに寂しい。81年の生涯で、残した音楽的遺産は数知れず。波乱万丈なキャリアと共に振り返りたい。
ジャズからフォークへ向かった生粋のLAっ子
デヴィッド・クロスビーは1941年8月14日、ロサンゼルスの生まれ。ローレル・キャニオンのフォークロック勢には珍しく、生粋のLAっ子だ。母アリフは名門ヴァン・コートランド家の出で、司祭の父を持つ人道主義者。彼女の影響もあり、家庭では人権や平等について考える機会が多かったようだ。父フロイドは撮影監督としてアカデミー撮影賞(「タブウ」)やゴールデングローブ賞(「真昼の決闘」)を獲得した名手で、ハリウッド映画の最前線を肌で感じる幼少期を過ごす。一方でクロスビーは「父からの愛情を感じた記憶がない。注意をひくためにイタズラを繰り返す問題児だった」と振り返っている。
4つ歳上の兄イーサンはジョン・コルトレーンやマイルス・デイヴィス、デイヴ・ブルーベックなどを好んで聴いており、その影響でクロスビーもジャズにのめり込むように。やがてイーサンからギターをプレゼントされ、作曲を始める。高校時代はミュージカルに夢中だったが、やはり本分は音楽にあったようで、60年代に入ると、すでにミュージシャンとなっていた兄の後を追うように、グリニッジ・ヴィレッジやマイアミのココナツ・グローヴなど、各地のフォークシーンを周り始める。シカゴで知り合ったテリー・キャリアーとデュオを組んだり、兄と共にレス・バクスターのグループに参加したりと、徐々に活動の幅を広げていった。
バーズでの栄光と挫折
やがてLAに戻ったクロスビーは、ローレル・キャニオンに住みつくように。サンセット・ストリップのフォーククラブで12弦のエレキギターを掻き鳴らすジム・マッギン(後のロジャー・マッギン)と出会う。ビートルズとフォークの融合というマッギンのアイデアに感銘を受けたクロスビーは、ジーン・クラークを加えた3人でジェット・セットを結成。やがてクリス・ヒルマンとマイケル・クラークが加わりビーフイーターズに。彼らのデモテープをコロムビア・レコードが気に入り(マイルス・デイヴィスが推薦したという噂も)、バーズと名を改め65年に『Mr. Tambourine Man』でデビュー。ボブ・ディラン楽曲の〈電気化〉に見事成功し、フォークロック時代の幕開けを告げる大ヒットを記録した。

一躍時代の寵児となったバーズ。クロスビーは口髭に緑のマント、ボルサリーノのロシア帽でローレル・キャニオンのファッションアイコンに。歯に衣着せぬ発言も相まって反体制の若者の象徴的な存在となった。バーズ時代、最もクロスビーの創造性が発揮されたのは3枚目のアルバム『Fifth Dimension』。彼がツアーバスに持ち込んだラヴィ・シャンカールやコルトレーンのカセットテープがアルバムの方向性を決定づけた。作曲面でも貢献は大きく、クロスビーが作曲に参加した“Eight Miles High”や“What’s Happening?”はサイケデリックロックやラーガロックの発展に大きく寄与している。

バーズでの栄光も長くは続かず。独裁体制を敷こうとするマッギンとの軋轢、また67年の〈モンタレー・ポップ・フェスティバル〉で政治的発言を繰り返したこと、バッファロー・スプリングフィールドのステージで演奏したことが問題視され、『The Notorious Byrd Brothers』制作中にバーズを解雇される。
ジョニ・ミッチェルを発見、CSN&Yからソロへ
居場所をなくしたクロスビーは、ピーター・トーク(モンキーズ)に借りた金で帆船を購入、放浪の旅に出る。海上でのリラックスした時間は、後にCSNで歌われる“Wooden Ships”など作曲面でのインスピレーションをクロスビーに与えたが、この旅での一番の収穫は、マイアミのコーヒーハウスでジョニ・ミッチェルを発見したことだろう。クロスビーはすぐにジョニをLAへ連れて帰り、デビュー作『Song To A Seagull』のプロデュースを手掛ける。もちろん、ジョニほどの才能をもってすれば世に出るのは時間の問題だったが、クロスビーが彼女を西海岸に導いていなかったら、フォークミュージックの様相は全く違ったものになっていたかもしれない。

ローレル・キャニオンに移ったジョニの新居は、あっという間にミュージシャンたちのたまり場になり、日毎セッションが繰り広げられていた。ある夜居合わせたクロスビーとスティーヴン・スティルス、グラハム・ナッシュの声が重なった瞬間、魔法のようなハーモニーが生まれた。クロスビー・スティルス&ナッシュは69年にデビューアルバムを発表。3人の作曲能力の高さとハーモニーが存分に発揮され大ヒットを記録した。クロスビー作曲の“Guinnevere”は変則的なチューニングや譜割りが印象的で、後にマイルス・デイヴィスによるカバーも発表されている。

それぞれがキャリアを重ねてきたメンバーだけあり、政治的意識や社会問題を受け入れる懐の深さがこのグループにはあった。ニール・ヤングを加えクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングとして発表された70年のシングル“Ohio”は、同年に発生したケント州立大学銃撃事件をテーマにしている。作詞作曲はヤングによるものだが、リハーサル中にクロスビーがヤングに見せた報道写真が制作の契機となっており、クロスビーは「音楽人生で最も良い仕事ができた曲」と述懐している。

CSN&Yはメンバー間の性格の不一致により解散と再集結を繰り返すようになり、所属するアトランティック・レコードの意向もありメンバーはソロ活動に専念することに。クロスビーは71年にソロデビュー作『If I Could Only Remember My Name』を発表した。バーズ時代の『Fifth Dimension』やCSN“Guinnevere”で表現してきたサイケデリックな音響感をより発展させ、ハーモニーやジャズの旋律への深い理解が充分に発揮された、現在でもファンの多いサイケフォークの金字塔となっている。

薬物中毒から復活、息子との再会とCPR結成
その後はクロスビー&ナッシュやCSNの再集結などでヒットを飛ばすものの、80年代に差し掛かる頃には重度の薬物中毒に。85年には薬物と銃の所持で逮捕され、あろうことか逃亡を企ててしまい、数ヶ月を刑務所で過ごす。この服役生活をきっかけに心身の健康を取り戻したクロスビーは、妻や仲間の支えもあり、89年のアルバム『Oh Yes I Can』で復活を遂げる。

90年代に入ると、バーズ、CSN&Yとして二度のロックの殿堂入りを果たし、93年にはフィル・コリンズやジミー・ウェッブとの意欲的なコラボレーションを含むアルバム『Thousand Roads』を発表。ロンドンのバンド、ガリアーノが“Long Time Gone”をカバーしアシッドジャズ界隈から再評価が高まるなど、クロスビーの完全復活を印象づける。

一方で薬物の後遺症は深刻で、95年には肝移植の大手術を受ける。この治療中に「生物学上の息子」であるジェイムズ・レイモンドと出会う。レイモンドは父親の顔を知らぬまま養子に出されたが、クロスビーの深刻な病状を知り病室を訪ねてきたのである。すでにジャズキーボーディストとして活躍していたレイモンドは、以降クロスビーの作曲パートナーに。98年にはギタリストのジェフ・ピーヴァーを加えた3人でジャズロックバンドCPRを結成し、4枚のアルバムをリリース。CPRの解散後もレイモンドはCSNのツアーでバンドマスターを務めたり、2014年には久しぶりのソロ作『Croz』をプロデュースするなど、クロスビーの活動に欠かせない存在となった。

スナーキー・パピーら新世代ジャズとのコラボ
2016年の『Lighthouse』では、スナーキー・パピーのリーダー、マイケル・リーグをプロデュースに迎えているが、これはクロスビーがTwitterでスナーキー・パピーのアルバム『We Like It Here』(2014年)を称賛したところ、マイケルから逆オファーがあったことがきっかけ。マイケルとはベッカ・スティーヴンスとミシェル・ウィリスを加えた〈The Lighthouse Band〉として活動を共にすることに。同時期にグラハム・ナッシュやニール・ヤングとの関係が修復不可能になったことを思えば、若い世代とのコラボレーションはクロスビーにとってある種の救いとなっただろう。現時点での最新アルバムは彼らとのライブ盤『Live At The Capitol Theatre』となっている。


最後のスタジオアルバムである2021年の『For Free』は、パンデミックの苦しみから自らを救うかのような前向きな曲が並ぶ。再びレイモンドをプロデュースに起用し、同世代のミュージシャンを数多く迎えている。オープニングを飾る“River Rise”では、クロスビーが「最高のシンガー」と称賛するマイケル・マクドナルドがコーラスと作詞で参加。そのマイケルに負けない瑞々しい歌声で、人生の終わりを楽観的に歌い上げるクロスビーが印象的だ。“Rodriguez For A Night”ではドナルド・フェイゲンと初共作。同時代にジャズとロックの融合にトライしてきた両雄が初めて立ち並ぶ形となった。

世代を越えて愛された、正直すぎる男
今年の2月には全く新しい編成でのライブを予定していたそうで、クロスビーにとってもその死は突然だったに違いない。マイケル・マクドナルドの言葉を借りれば「彼は自分の信念を消して曲げなかった」。自分に正直すぎるが故に軋轢を生み、自分に正直な音楽表現が世代を越えて愛された男、デヴィッド・クロスビー。生涯現役を貫いた彼に敬意を表したい。どうか安らかに。
