今の世界だからこそ生まれて初めて聴く音楽=子守歌を
ウィーンと日本を拠点に一線の演奏活動を続けるピアニスト、菊池洋子が古今東西の作曲家の子守歌29曲を収めた新譜『子守歌ファンタジー』をキングインターナショナルからリリースした。モーツァルトに始まりショパンやレーガー、ロータらを経て美智子上皇后の作品まで網羅。伸びやかで癖のない菊池のピュアなピアニズムが冴えわたる。
――前後してavexから発売した新録音はJ・S・バッハの『ゴルトベルク変奏曲』。かなり対照的なレパートリーが突然現れ、びっくりしました。
「実は最初から、一対のアルバムと考えていたのです。『ゴルトベルク』は不眠症に悩んでいた委嘱者のカイザーリンク伯爵を心地よい睡眠に誘うだけでなく、眠れない時間もリラックス、あっという間に過ぎてしまう目的で書かれ、主題と30の変奏からなります。『子守歌』もバッハの先例に倣い、2023年4月、キングレコード関口台第1スタジオのセッション録音では30曲を入れました。ところが1枚のCDへ収めるには時間オーバー、やむをえずグラズノフが最晩年に書いたオリジナルのピアノ曲を割愛し、29曲のアルバムに落ち着きました」
――もともと子守歌のマニアだったのですか?
「いえ、実際に弾いたことのある作品は少ないです。2021年にキングインターナショナルが私の恩師、田中希代子先生(1932-1996)のリサイタル盤を発売する際、ブックレットに先生の思い出を書かせていただいたことで、レアな作品の楽譜コレクターでもあるレコーディング・プロデューサーの宮山幸久さんと知り合い、協奏曲を弾いた後のアンコールにふさわしい小品の相談などにも乗っていただくうち、子守歌の話に発展しました。昨年(2022年5月7日)、飯守泰次郎先生指揮の仙台フィルハーモニー管弦楽団とブラームスの“ピアノ協奏曲第1番”を演奏した折のアンコールも、アルフレッド・コルトー編曲の“ブラームスの子守歌”でした。宮山さんからは、子守歌と子守唄の違いも教わりました。子守歌は作曲家の創作、子守唄は“江戸子守唄”や“中国地方の子守唄”など民族的に伝承されているものだそうです。英語ではララバイ。今回のアルバムタイトルにはドイツ語のヴィーゲンリーダー(Wiegenlieder)を使いました」
――最初は〈子守歌ばかり何十曲も聴かされて、どうなる?〉とも考えたのですが、ごくごく自然に耳に入って難なく聴きおおせた上、〈えっ、この作曲家にこんな可愛いらしい側面があったの!〉と驚く場面も多々ありました。
「大方の人々にとって、生まれて初めて聴く音楽は子守歌です。サン=サーンスは6歳目前、バーバーは11歳で子守歌を作曲しました。モーツァルトはリート(ドイツ語歌曲)の名ピアニストだったジェラルド・ムーアの編曲、チャイコフスキーの編曲者はラフマニノフといった意外性もありますし、田中先生や安川加壽子先生の恩師であるラザール・レヴィ、ご自身がピアノを奏でられ田中先生のファンでもいらしたという美智子上皇后それぞれの作曲も収めるなど、選曲には関連性があります。ショスタコーヴィチの愛らしさも意外ですし、フィンランドの作曲家ライティオの“猫の子守歌”は鳴き声の模写で意表をつきます。もちろん、“ゆりかごの歌”は私の周りの日本人の皆さんに好評です。誰もが感じる懐かしさ、癒しはコロナ禍やロシアのウクライナ侵攻など多くの困難に直面する今の私たちが、心から求めているものなのではないかと思います」
菊池洋子(Yokon Kikuchi)
前橋市生まれ。故田中希代子、故林秀光の各氏に師事。桐朋学園女子高等学校音楽科卒業後、イタリアのイモラ音楽院に留学、フランコ・スカラ、フォルテピアノをステファノ・フィウッツィに師事。2002年第8回モーツァルト国際コンクールにおいて日本人として初めて優勝。その後、ザルツブルク音楽祭に出演するなど国内外で活発に活動を展開。2007年第17回出光音楽賞受賞。
LIVE INFORMATION
菊池洋子 ピアノ・リサイタル
2023年11月11日(土)長野・サントミューゼ 小ホール
開演:14:00
2023年11月17日(金)大阪・あいおいニッセイ同和損保 ザ・フェニックスホール
開演:14:00
日本センチュリー交響楽団 豊中名曲シリーズ
2023年12月9日(土)大阪・豊中市立文化芸術センター 大ホール
開演:15:00
リサイタル ウィーン紀行
2023年12月28日(木)群馬・前橋市民文化会館 大ホール
開演:18:30