KANが2023年11月12日に死去した。

シンガーソングライターのKANが死去したことが、所属事務所アップフロントクリエイトのオフィシャルサイトで発表された

事務所のコメントによると、KANこと木村和は今年メッケル憩室癌であると診断され、3月から療養生活に入り、入退院を繰り返しながら活動再開に向けて治療に励んでいたという。10月には留学したことのある仏パリを訪れ、最期まで復帰への思いは途切れることがなかったそうだ。

KANは、87年にシングル“テレビの中に”と同名のアルバムでデビューした。5作目のアルバム『野球選手が夢だった。』(90年)の収録曲“愛は勝つ”が91年に「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」のエンディングテーマソングになったことでヒットし、シングルの売上は200万枚を超えた。

2002年にはパリに転居し、クラシックピアノを基礎から学び直すためにエコール・ノルマル・ドゥ・ミュジーク・ドゥ・パリに入学、翌2003年に修了した。

2004年に帰国後は、ライブ活動を実施するとともに『遥かなるまわり道の向こうで』(2006年)、『カンチガイもハナハダしい私の人生』(2010年)、『6×9=53』(2016年)、『23歳』(2020年)といったオリジナルアルバムを発表、山崎まさよしとのユニット〈YAMA-KAN〉などでの活動や楽曲提供も盛んにおこなっていた。

36年にわたって活動してきたKANは、桜井和寿(Mr.Children)、草野マサムネ(スピッツ)、aikoといったアーティストに多大な影響を与えてきたことで知られている。aikoは、Xで次のコメントを発表した。

また山田邦子、中西圭三、スガシカオ、ダイアモンド☆ユカイ、佐藤竹善(SING LIKE TALKING)、きゃりーぱみゅぱみゅといった多くの関係者・著名人・アーティストも、KANの死去を受けて次々とコメントを発表している。

J-POPの黎明期において、J-POPに輪郭を与えて発展させるような名曲を生み出してきたKAN。ロック、ポップス、ソウル、AORといったジャンルからの影響を見事に昇華させた作品を作り上げ、ファンからの根強く熱い支持に支えられてきた彼の亡きあとも、遺された音楽は不滅だ。