(左から)田中克海、大沢広一郎

日本が世界に誇る、福生生まれのハイブリッド民謡バンド、民謡クルセイダーズ。2017年にリリースされたファーストアルバム『エコーズ・オブ・ジャパン』は、面白音楽を探求する和モノリスナーから根っからのお祭り好きな盆オドラーなどを巻き込んで大きな反響を呼んだ。

ありそうでなかった彼らのユニークなミクスチャーサウンドの噂は海を超えて響き渡り、イギリスのレーベル〈Mais Um〉からアルバムの世界リリースが実現、ジャイルズ・ピーターソンといった有名DJのレコメンドなどもあって幅広いファン層を獲得することに。一時期は日本へ旅行に来た外国人旅行客が、ファーストのアナログレコードを買い求める光景をあちこちのショップで目撃したものだが、海外からのラブコールは止むことなく、2019年からは毎年のようにヨーロッパを中心としたツアーを実施し、好評を博している。

バンドの5年間を追ったドキュメンタリー映画「ブリング・ミンヨー・バック!」が全国各地の劇場で公開されるなか、いよいよ6年ぶりのニューアルバム『日本民謡珍道中』がリリースされた。マイティ・スパロウの名曲“Tour Of Jamaica”になぞられたタイトルを持つ本作は〈民クルのマジカル・ミステリー・ツアー〉といった趣を持った作品となっており、彼らのことをお気に入りだと公言しているイギー・ポップをふたたび笑顔にさせるに違いない痛快巨編に仕上がっている。

そんな充実作を作り上げた彼らが現在どんな状態なのかを確認しに行ってみると、相変わらず飄々とした雰囲気を漂わせながら、いつもどおりニコニコと微笑んでいるメンバーがそこにいた。

民謡クルセイダーズ 『日本民謡珍道中』 ユニバーサル(2023)

 

こだわりと意思が反映された民クルの発展形

――ファーストアルバム『エコーズ・オブ・ジャパン』からここまでの道程を振り返ると、まさに激動と呼ぶのが相応しい期間だったのではないかと。

田中克海(ギター)「ファーストをリリースする前からピーター(・バラカン)さんがラジオでデモ音源をかけてくれたり、これまでにない広がり方をしていて、おもしろいなぁとは思っていたんです。

リリース後も〈フジロック〉に出させてもらったり、コロンビアのフレンテ・クンビエロと出会い、彼らと交流していくなかで2019年にコロンビアのフェスに呼んでもらったり、それからイギリスのレーベル〈Mais Um〉からリリースされたりだとか、いろんなことがトントン拍子に進んでいったんで、自分たちも追いついていくのがやっとというか、あれこれやってるうちに6年経っちゃったっていうのが正直なところですね」

――その結果ってバンド活動の理想形だったりしたんですか?

田中「いえいえ、ぜんぜん。もともと福生でやっていたパーティーで、みんなが盛り上がればいいなと思って始めたようなところもあったんで、このような拡がり方は想定してなかったですね」

――僕らがいつも思い描く民クルらしさが今回のアルバムではどのような発展・進歩を遂げているのかをいまから説明していかねばならないわけですが。

田中「そういう民クルらしさ、っていう感覚を持ってくれていること、そういうイメージが根付いているのが嬉しいですね」

――まず音の感触がガラリと変わった。

田中「レコーディングは前回と同じく福生の米軍ハウスで行ったんですけど、今回はコーちゃん(大沢)が段取りを組んでくれたおかげでちゃんとしたサウンドプロダクションを施せたので、単純に音のクオリティーは上がりましたね。

前作はライブレコーディングみたいな形でわりと素直に録ったところがあったけど、今回はトラックを用意してもらってそこに音を重ねていく形をとったり、楽譜があるなど前準備がしっかりできていたところが違った」

――それぞれの楽曲の青写真はかなり練ってあったんですか?

大沢広一郎(サックス)「もともとライブでやっていたアレンジのパターンがいっぱいあって、レコーディングのときにそれらをブラッシュアップしていった感じですね。基本的にはメンバーみんなから自然発生的に出てきたものを私が最終的にまとめたっていう感じですかね」

――なるほど。アルバム全体としてはよりカラフルになった印象ですね。有名な民謡と世界各国のルーツミュージックのリズムを大胆に合体させる、という足し算方法だけじゃなく、もっと一歩踏み出して〈混ぜるな危険〉的要素があちこちに忍び込んでいるような、刺激的なおもしろさが味わえる。あと低音がグッと出ていて、ダンスミュージックとしての機能性もアップしているし、世界を渡ってきた成果がしっかり出ているなと。

田中「たしかに。ただ、前のレコーディングのときは何も知らなすぎたんですよ。自分なんかは、レコーディングのときにちゃんとしたギターを持っていなくて、福生の中古楽器屋にギターを借りに行ったくらいでしたし(笑)。ファーストアルバムは、それまでライブでやってきたことを音源として形に残すことが目的でしたが、短時間で作らなきゃいけない制約もあり、いろいろとすったもんだがありました。

今回は、それぞれのプレイヤーの〈こういう音を出したい〉という意思がだいぶ反映されていますね」