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〈素灯り〉でライブをやるバンド

松本「YMOのコンサートは1回か2回見に行ったけど、豪華な舞台装置が出てくるし、照明とかもすごく絢爛豪華じゃない? それで国立競技場でのはっぴいえんどの再結成の時に〈照明はどうしますか?〉って訊いたら、細野さんが〈はっぴいえんどは素灯りでいいなぁ〉と言っていた(笑)」

会場「(笑)」

松本「下手に装飾すると、はっぴいえんどらしくないから、いじらないようにって。本当に素灯りだったよね(笑)。はっぴいえんどって(照明は)ずっと真っ白。どこへ行っても。だから、どこのコンサートでも照明に凝ったりはしなかった」

安田「きっと当時ってPAとかも満足になかったですよね。出音が全然聞こえないとか」

鈴木「自分の声さえ聞こえなかったね」

松本「ひどかったよ。まぁ、それはビートルズも同じだったみたいだからね。ビートルズはそれであれだけハモっていたんだから」

安田「はっぴいえんどの残されたライブ音源も聴きましたけど、すごかったですよ。やっぱりすごくいいバンドですよね」

松本「ありがとう。ただ当時は〈下手だ下手だ〉と……」

鈴木「色々言われたね」

会場「(笑)」

安田「現場では歌詞とかもまともに聞き取れなかったでしょう?」

松本「聞き取れてもね、僕の詞だから」

安田「確かに一回じゃ分からないですよね」

松本「確か真夏の暑い盛りの時期の中津川(フォーク・ジャンボリー)でさ、カンカン照りなのに〈お正月といえば……〉って歌って。〈この詞はちょっと合ってないかもな〉ってドラムを叩きながら思ったよ(笑)。もうちょっと季節感を考えるんだったな」

安田「季節感のある歌詞が多いですもんね」

松本「僕は嘘をつけないから、はっぴいえんどの時はその季節の歌を作っちゃったんだ。でも発表するのは半年後だから、ずれるんだよね。松田聖子とかの詞を書き始めた頃はプロになっていたから、真冬に“小麦色のマーメイド”を書いたりとか、真夏に雪の歌も書けるようになっていたね。はっぴいえんどは正直。素灯りなんだよ。形容詞がないんだよね」

 

〈松本隆色〉の言葉

安田「はっぴいえんどは〈やりたくないことはやらない〉というのが暗黙の了解であるように見えるんです。例えば、結成時はグループサウンズの人気がすごかったと思うんですけど」

松本「はっぴいえんどはアンチグループサウンズだったけど、(ムッシュ)かまやつさんのやっていたことはすごくよかったと思っていたし、一概には言えないね」

鈴木「かまやつさんは例外だね。あの人は珍しく世代を超えてコミュニケーションを取るのが上手い人。こっちの言うことを理解してくれるし、僕らもかまやつさんがイメージしていることが分かるし。あの人が前の世代と繋いでくれたんだよね」

松本「よく考えるとさ、グループサウンズの曲ってほとんど筒美京平作曲なんだよね。だから、そんなに悪口は言えない(笑)」

安田「ところで3枚目が出た頃は、みんなしらけていた感じだったんですか?」

松本「もうね、次の仕事が忙しくて。僕はプロデュースを4枚やったんだよね。あがた森魚(74年作『噫無情(レ・ミゼラブル)』)、南佳孝(73年作『摩天楼のヒロイン』)、岡林信康(73年作『金色のライオン』、75年作『誰ぞこの子に愛の手を』)ですね」

安田「それぞれのアルバムタイトルに、さっきおっしゃっていた松本さんのクセの強さが出ていますよね(笑)」

松本「『摩天楼のヒロイン』なんてタイトル、はっぴいえんどで付けようとしたら却下されるよね(笑)」

南佳孝 『摩天楼のヒロイン』 SHOWBOAT/TRIO(1973)

安田「それを見るだけで〈松本色〉というのが分かるわけです」