松本伊代は、いったいどんなレコードを手に取るんだろう――とても安易な発想だと思いながらも、Mikikiが展開するTOWER VINYL企画に出演してもらえないか、本人にすぐさまオファー。Mikiki開設10周年のタイミングで、見事企画が実現した。

2024年10月12日(土)と13日(日)には東京・大手町三井ホールで〈松本伊代 Live 2024 “Journey” Tokyo Lover〉と題した単独コンサートを開催する松本伊代。4月10日にはゲスト参加したNight Tempoの新曲“Tokyo Love (feat. Iyo Matsumoto)”も配信リリースされ、今年はこれまで以上に充実した音楽活動を展開していくようだ。

そんな松本に、リニューアルして間もないTOWER VINYL SHIBUYAで好きなレコードを選んでもらった。松永良平(リズム&ペンシル)を聞き手に、選盤理由や当時のエピソード、そして10月のコンサートに向けた意気込みなどについて語ってもらった。 *Mikiki編集部


 

アイドルを目指していた頃の気持ちを思い出した

――伊代さんがデビューされた頃はまだCDもなく、レコードが音楽ソフトの中心でした。でも、今この時代にレコードがこんなにたくさんある売り場にいるのって、どんな体験でした?

「来たことない……とても新鮮でしたね!」

――そのなかで伊代さんが選んだレコードがすごく気になります。まずは、シングル盤からいきましょうか。キャンディーズ“哀愁のシンフォニー”(76年)。

「本当は、“微笑がえし”(78年)が自分でいちばん最初にレコード屋さんで買ったシングルなんです。今回はそれがなかったのでこの曲にしました。曲というより、キャンディーズさんは私が最初に憧れたアイドルだったので選びました」

キャンディーズ 『ゴールデン☆ベスト キャンディーズ』 Sony Music House(2002)

――やっぱりキャンディーズという存在は特別でした?

「そうですね。(キャンディーズが出演していたバラエティ番組の)『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』の公開収録を見に行って、生キャンディーズを体験したりしましたね」

――キャンディーズはコントも得意だったんですよね。

「そうなんです! みなさんコントもできて、歌もかわいくて。それに憧れちゃったのかな(笑)。今は(伊藤)蘭さんのライブも見に行かせていただくのですが、客席に(藤村)美樹さんがいらしたりすると、すごくテンションが上がります。当時の私は美樹さんの髪型を真似していました。買ったレコードを美容院に持っていって、〈このミキちゃんみたいにしてください!〉って言ったりしてました」

――続きまして、大場久美子さんの“追いかけないで”(77年)。

「“追いかけないで”は、私のレッスン曲だったんです。ビクタースタジオで最初にレコーディングしたのが、この曲でした。大場久美子さんは事務所の先輩で、憧れの人でしたね。私がスカウトされたとき、憧れの人の事務所だったのでうれしかったです。〈大場さんや岡田奈々さんがいるんだ。じゃあ、ここは本物の芸能事務所なんだ〉と思いました(笑)」

大場久美子 『追いかけないで』 東芝(1977)

――同じ事務所なので、日常的にも大場さんと話したり接点はありました?

「大先輩という感じでしたけど、お料理もお上手で、久美子さんの家に泊まらせてもらって朝ごはんをごちそうになったりしましたね。〈こういう写真を撮ったら?〉みたいな、アドバイスももらいましたし、すごく心強かったですね」

――3枚目のシングル盤は、河合奈保子さんの“ラブレター”(81年)。河合さんは80年デビューなので、アイドルとしては1年先輩になります。

「私がデビューする前、アイドルになりたくてオーディションを受けてたんですけど、そのときは河合奈保子さんの“大きな森の小さなお家”(80年)とかをよく選んで歌ってました。すごく難しい歌が多くて、〈なんでそんなことしちゃったんだろう? そりゃ(オーディションに)落ちるよね〉って今では思いますけど(笑)。“ラブレター”の頃は、私はもうデビューしていたのでオーディションでは歌ってないですけど、よく練習で歌ってカセットテープに吹き込んだりしてましたね。久美子さんもそうだけど、河合さんにも、私にはない感じの明るさがあって憧れてました」

河合奈保子 『COLLECTION Vol.1 1980~1984』 コロムビア(2022)

――その流れでいくと、4枚目に選んでいただいた太田裕美さんの“雨だれ”(74年)は、アイドル路線とはちょっと傾向が違いますよね。

「これは単に、この“雨だれ”という曲が好きだったんです。もちろん“木綿のハンカチーフ”(75年)も好きなんですけど、こっちも好きだったなと思って選びました。この曲の作者である(筒美)京平先生を偲ぶイベント(2021年4月に開催された〈~筒美京平 オフィシャル・トリビュート・プロジェクト~ ザ・ヒット・ソング・メーカー 筒美京平の世界 in コンサート〉)でも太田さんが歌われていたんですけど、とってもよかったです」

太田裕美 『太田裕美 Singles 1974~1978』 GT music/ソニー(2003)

――伊代さんもデビュー曲の“センチメンタル・ジャーニー”(81年)をはじめ、筒美京平さんの楽曲を歌われてます。あらためて、伊代さんにとってはどんな存在の方でしたか?

「私は京平先生の楽曲はそこまで多くは歌っていないんですけど、“センチメンタル・ジャーニー”のときは湯川れい子先生の歌詞を持って京平先生のところに行って、先生の弾くピアノで歌わせてもらいました。それが先生と最初にお会いしたときでしたね。すごく話し方が柔らかくて、怒られた記憶もありません。すごく優しい先生でした」

――筒美京平さんは、歌い手の個性を活かした曲を作られますよね。

「そうなんですよ! 京平先生の作る曲は、歌うその人に合った曲なんです。“センチメンタル・ジャーニー”も私の声やキーに合わせて作っていただいたと思うんです。たとえば、私が同じ京平先生の曲でも(早見優の)“夏色のナンシー”(83年)を歌うとちょっと変だなと感じます。やっぱりその方に合った曲を作られていたんですよね」

松本伊代 『センチメンタル・ジャーニー』 ビクター(1981)

――さて、前半はシングル盤について語っていただきましたが、やっぱり懐かしく感じます?

「私より先輩のみなさんの曲を選んだということもあるんですけど、アイドルを目指していた頃の気持ちを思い出して、ちょっとキュンとします。(シングル盤を)手に持った感じも懐かしいし、ここ(センターホール)にはめるもの(アダプター)もありましたよね。あれって今も売ってるんですか?」

――ありますよ。シングル盤の穴は大きいのに、アルバムの穴はどうして小さいのか、若い人たちも最初は不思議に思うらしいです。

「ですよね。それは私も思います(笑)」