1975年、国内シーンは英米の音楽から影響を受けたニューミュージックやロック、フォークが成熟しはじめ、シティポップの全盛期に向かう重要な時期に差し掛かっていた。そんななかで重要な役割を果たしたのはほかでもない、細野晴臣だった。

はっぴいえんどが1972年に解散してから3年、この年、細野はソロアルバムをリリースするとともにセッションバンドのティン・パン・アレーの一員として、プロデューサーや作編曲家として、ベーシストとして、歌謡曲や日本のポップ/ロックシーンで八面六臂の活躍を見せている。そんな細野が関わった名盤の数々を、50周年を機に振り返ってみよう。

★連載〈名盤アニバーサリー〉の記事一覧はこちら


 

小坂忠 『ほうろう』 マッシュルーム(1975)

まずは日本のポップス史に残る名盤で、この国でソウル/R&Bに本格的に取り組んだ先駆けとして聴き継がれている小坂忠『HORO(ほうろう)』が1月25日にリリースされている。細野とはバンド、エイプリル・フールで活動をともにしていた仲で、本作の共同プロデューサーを務めた。さらに表題曲や“ボン・ボヤージ波止場”“しらけちまうぜ”“流星都市”“ふうらい坊”といった5曲を作曲、全曲を編曲した(一部、矢野誠と共同編曲)。

演奏にはギターの鈴木茂、キーボードの松任谷正隆、ドラムスの林立夫というティン・パン・アレーのメンバーが集結。さらに鈴木晶子(=矢野顕子、キーボード)、吉田美奈子(コーラス)、山下達郎(同)、大貫妙子(同)、矢野誠(ストリングス&ホーンアレンジ)と、今からすれば超大物ミュージシャンが参加している。

本作が名盤とされる理由は、寂寥感が滲む切ない歌詞とそれを力強くエモーショナルに表現する小坂の歌があってこそだが、細野のアレンジや手練れたちの名演も大きい。一方でアメリカのソウルをストレートにやっているだけではないハイブリッドな感覚によって日本流のソウルに仕上がっている点が素晴らしく、だからこそシティポップの源流としても聴けるのだろう。米国にも英国にも、世界のどこにもない唯一無二のソウルミュージックだ。

 

ハイ・ファイ・セット 『卒業写真』 EXPRESS(1975)

コーラストリオの1stアルバム『ハイ・ファイ・セット』(のちに『卒業写真』に改題)は、2月5日に発売された。赤い鳥の元メンバー3人が結成したこのグループは、細野が名付け親になっている。

荒井由実(現・松任谷由実)の提供曲“卒業写真”のヒットで知られる本作は、細野が全編でベースを担当。これまたユーミンの曲“海を見ていた午後”ではギターとボンゴも担当しており大活躍。序盤の威勢のいい“エイジズ・オブ・ロック・アンド・ロール”、ファンキーな“今日と明日の間に”“フィッシュ・アンド・チップス”でのプレイも冴え渡っている。

 

かまやつひろし 『あゝ、我が良き友よ』 EXPRESS(1975)

グループサウンズを代表するバンド、ザ・スパイダースの元メンバーかまやつひろし aka ムッシュかまやつは、GS世代とその後のロック/フォーク/ニューミュージック世代との懸け橋になったことで知られている。4月5日にリリースされたこの5作目のソロアルバムにもそれは表れており、ヒットしたシングル“我が良き友よ”は当時の新世代の象徴=吉田拓郎が作詞作曲したもの。大滝詠一やサディスティック・ミカ・バンドの面々、井上陽水、りりィ、南こうせつ、伊勢正三、遠藤賢司が楽曲提供しており、60年代と70年代を架橋している。

細野は冒頭の“仁義なき戦い”を作曲(作詞は松本隆)。スラップベースがうねる強烈なファンクナンバーで、『HORO』と地続きのグルーヴィな曲だ。