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地獄のスタジオ作業

 スティング(ヴォーカル/ベース)、スチュワート・コープランド(ドラムス)、アンディ・サマーズ(ギター)から成るポリスは、パンクのムーヴメントを活かす格好で77年にデビューを果たすも、初作『Outlandos d’Amour』(78年)からレゲエを導入した“Roxanne”や“Can’t Stand Losing You”が成功を収めると、テクニカルな演奏や多彩なアイデア、知的なムードを纏ったスタイリッシュな存在感がパンク以降の新しい波として別格的な評価を高めていった。2作目『Reggatta De Blanc』(79年)とそこからの“Message In A Bottle”“Walking On The Moon”はいずれも全英1位を獲得。最小限のスリーピース編成ながらもジャズやプログレの素養がある個々のメンバーは貪欲に多彩な表現を模索し、3作目『Zenyatta Mondatta』(80年)、4作目『Ghost In The Machine』(81年)と作品を重ねるごとにシンセサイザーの導入やアフリカ音楽やボサノヴァなど(いわゆる)ワールド・ミュージック志向の高まりなどをバンドの内外で表現していくことになる。そこまで毎年アルバムを出してきた彼らが初めてオリジナル作を出さなかった82年には、俳優業に進出していたスティングの初主演映画「ブリムストン&トリークル」が公開され、そのサントラにはポリスの新曲とスティングのソロ曲が収録。妻との離婚調停中でもあったスティングは新恋人とのスキャンダルでメディアの監視に疲弊する日々だったようだ。

 そんな状況下で82年12月から5枚目のアルバム制作がスタート。カリブ海のモントセラトにあるAIRスタジオを訪れたメンバーたちは、前作『Ghost In The Machine』でも関わったヒュー・パジャムをプロデューサーに迎え、6週間にわたってレコーディングを進めていく。その前作とは対照的にオーヴァーダブを減らしてトリオとしての演奏を主軸にしたぶん、楽器ごとの鳴りやミックスがより重視され、3人の演奏はそれぞれ別々の部屋で注意深く録音された。この方式が独特の簡素でクールな音像を生んだのは言うまでもない。ただ、それぞれエゴの強さを自認するリーダー気質の3人は衝突を続け、レコーディングは困難を極めた。その際の深刻な対立ぶりはこれまでも述懐されているし、リイシュー版のライナーノーツにも詳しいが、食事の時間を和やかに談笑して過ごしつつ、いざ作業に戻れば地獄が待っているという毎日の繰り返しだったという。それがいわゆる不仲ではなく、創作上の美意識にまつわる対立だっただけに議論が尽きなかったのは想像に難くない。

 それでも『Synchronicity』が完成を見たのは、スティングの楽曲がぐうの音も出ないほどの出来映えだったからであり、スチュワートとアンディがその楽曲をどう輝かせるかに真摯に向き合っていたからだろう。そのあたりの繊細な心情は後年の3人の発言からも推し量れるが、どうにか揃った10+1曲はアンディの案によってテンポが早い曲と遅い曲でA/B面に振り分けられた。オープニングを飾るのは、触れれば切れそうな緊迫感に溢れた“Synchronicity I”。そこでシーケンサーを導入したスティングが初めて自身でプログラミングしたのは続く“Walking In Your Footsteps”で、パーカッシヴなドラムマシーンと管の絡みがエキゾチックに響く。小気味良いニューウェイヴ・ファンク“O My God”の軽めな味付けも楽しい。A面にはアンディがアヴァンギャルドなキャプテン・ビーフハート趣味を見せた悪名高い“Mother”(シアトリカルな歌唱もアンディが熱演)、スチュワート作のリズミックで祝祭的な“Miss Gradenko”も収まり、それらをサンドイッチにする形でブライトな解放感に満ちた“Synchronicity II”がA面を締め括っている。

 一方のB面にはスティングによるベスト盤のクリーンナップがズラリと並ぶ。スティングいわく「嫌味で邪悪な」所有欲や独善的な愛を歌った至高の名曲“Every Breath You Take”はもちろん、こちらもシングル・ヒットした“King Of Pain”と“Wrapped Around Your Finger”の美しい重苦しさはバンドの成熟を示していた。LP本編でラストを飾る“Tea In The Sahara”は、アンディに貰ったポール・ボウルズの小説「シェルタリング・スカイ」を読んでスティングが書いたアンビエント色の強い逸曲だ。当時のカセットテープ/CD用のボーナストラックだった“Murder By Numbers”はアンディとスティングの共作。ヒュー・パジャムの恐ろしい緊張感はカナダのスタジオでミキシング作業が終わるまで続いたというが、ともかくポリスの最高傑作はそのようにして完成したのだ。