闘病の中、キャンセルを幾度も余儀なくされながら、渾身の指揮を演奏会で刻んだテンシュテットの遺産にあって、指揮活動の最終期をロンドン・フィルと刻印した巨大なモニュメントにも等しい一組。マーラー作品が人間としての自らを映す鏡であるかのように音楽を現出させた、まるで深淵がこちらを覗き見るような1991年の“悲劇的”。1992年3月の来日では指揮ができずに帰国する。1993年5月の第7番がテンシュテット最後の指揮となった(この年9月に予定されたベルリン・フィルの登壇は叶わなかった)。テンシュテット特有の深く彫り抜く筆致が厳粛な響きとなる終楽章は、凝縮された迫真の音楽として聴く者の前に現れる。