自由を象徴し、歌詞に現れる〈目〉
スピッツを好きな方はご存じの通り、『ハチミツ』は1995年に発表された6枚目のアルバム。オリジナルアルバムではスピッツの中で最も売れた作品であり、J-POP的であると同時に(ザ・ストーン・ローゼズ、ティーンエイジ・ファンクラブ、ウィーザーなどの)英米のギターポップを感じさせる、奇跡的なバランスを保った作品でもあります。16分音符で巧みにアクセントを作るベースとドラムスのコンビネーションが、ソウルやヒップホップにも通ずるグルーヴを作ることで、J-POPとギターポップ両方の魅力を担保している。元々録音の優れたアルバムでしたが、先日発売された30周年記念盤は人気エンジニアであるエミリー・ラザーのリマスタリングによって、細部までより豊かに響くサウンドになりました。
このアルバムから私が受け取るフィーリングを抽象的な言葉で表すなら、それは〈自由〉です。表題曲“ハチミツ”のイントロ、キラキラしたギターのアルペジオと前へ前へと押し出すベースラインが鳴った瞬間から、晴れた春の野で飛び跳ねるような自由を感じる。そうした自由を歌詞の上で象徴するのが、〈目〉という器官です。
『ハチミツ』には目や目線を表す言葉がよく登場します。“ハチミツ”においては、意地っ張りでシャイな女の子が〈僕をにらみつける〉。“ロビンソン”においては、待ちぶせた夢のほとりで〈驚いた君の瞳〉に出会う。“ルナルナ”では〈瞳のアナーキー〉が、“トンガリ’95”では〈青い猫目のビーム〉が登場する。にらみつける視線や驚く瞳に出会うことで、描写の対象となる人物や主人公との関係が具体的に示されます。歌の主人公は、あきらかにその瞳や目線によって恋をしている。恋に、自由の気配を感じ取っている。〈瞳のアナーキー〉というように、中心を欠いた無方向な感覚が、そこで目覚めています。
〈君の目に映る海〉に見出す自由
そして、〈目〉から〈恋〉と〈自由〉が一挙に押し寄せるのが、“愛のことば”の最初の一節です。草野マサムネが少し寂しげに歌い出します。
限りある未来を 搾り取る日々から
〈限りある〉と〈搾り取る〉の連続によって、枯渇した状態が想起されます。そこに
脱け出そうと誘った
という言葉が続く。お、この後に枯れ果てた状態から救い出す存在が登場するんだな。それはきっと〈君〉とか〈彼女〉だよなと、ラブソングに慣れた私たちは思います。ほら、予想通り、〈きみ〉って言葉が聞こえたぞ。
君の目に映る海
なんと、誘ったのは〈君の目〉ですらない、〈君の目に映る海〉だとは! このフレーズにはじめて出会ったときは本当に驚きました。〈目〉と〈映る海〉という、二重の物質的な描写。瞳の中に海が映っていることは、〈君〉の感情とは無関係な、物理的な現象にすぎません。さらに瞳の中に映る対象はとても小さい。よっぽどじゃない限り気づかないくらいに小さい。そのささやかさのなかに、海という広大な存在を感じ取る。小ささのなかに大きさを見いだすこと。それってまるで、〈自由〉の定義みたいじゃないですか?
限りある未来を 搾り取る日々から
脱け出そうと誘った 君の目に映る海
私はこの短いワンフレーズに、『ハチミツ』という作品、さらにはスピッツというバンドの大きな力が、すべて詰まってるように感じてしまいます。
瞳に映る海は、未来を約束しません。悲惨な未来を導くかもしれない。「チェンソーマン」のデンジのように、円を無限に重ねたような瞳を持つ相手に支配されてひどく傷つくかもしれない。「誓いの休暇」の主人公のように、母親やガールフレンドの瞳から遠ざかって果てるだけかもしれない。けれども、私たちはそこに自由を見てしまう。感情と無感情の間で揺れ続ける瞳の中に自由を感じ取ってしまう。支配の中に、自由がある。合理的には説明できない。ただ、そこに自由がある。私たちはスピッツを繰り返し聞くなかで、何度も自由に立ち返ります。