〈BETH GIBBONS JAPAN TOUR〉が2025年12月1日(月)、2日(火)に東京・錦糸町すみだトリフォニーホールで、3日(水)に大阪・難波Zepp Namba (OSAKA)で開催される。貴重な来日ライブに向け、ライター/編集者の粉川しのにベス・ギボンズの魅力を解説してもらった。 *Mikiki編集部
いま再評価されるベス・ギボンズの歌
いよいよ来週に迫ったベス・ギボンズの初単独来日ツアー。昨年のフジロックでは、息を呑むような緊張と深い溜息に変わる安寧が交互に訪れる、素晴らしいステージを披露してくれたのも記憶に新しい。現在〈FUJI ROCK FESTIVAL〉の公式YouTubeチャンネルでは、苗場でサプライズで披露したポーティスヘッドの名曲、“Roads”のライブ映像が特別に公開されている。まずはこちらをチェックして、単独来日への期待を高めていってほしい。
そんなフジロックに対して今回の単独公演のポイントは、何と言っても彼女のパフォーマンスを室内会場で観られるということだろう。もちろん、苗場の開放感と溶け合うオーガニックな感覚も捨てがたいが、か細く震えながらも、芯に痛いほどの熱を秘めたベスの声が密室で凝縮されるそれが別次元の体験となることは、例えばポーティスヘッドの傑作ライブアルバム『Roseland NYC Live』を聴くと明らかだ。彼女の声はもちろんのこと、バイオリンやビオラが繊細に重なり合う今回のツアーのサウンドは、そこにじっくり没入できる数千人規模の着席ホールが相応しいと改めて思うし、しかも今回の東京公演の会場は都内屈指の音響の良さで、クラシックファンからも絶大な信頼を寄せられているすみだトリフォニーホールなのだから、一期一会の音楽体験となることは間違いないだろう。
ベス・ギボンズの今回の公演は、昨年リリースされたソロデビューアルバム『Lives Outgrown』のツアーでの来日となる。構想から実に10年以上の歳月をかけて完成した同作は極めて高い評価を獲得。彼女自身に再び脚光が集まると同時に、ポーティスヘッドの再評価もさらに角度をつけて進むに至った。
とは言え、ポーティスヘッドの現時点でのラストアルバム『Third』からは既に17年が経っている。ベス自身もラスティン・マンことポール・ウェッブ(元トーク・トーク)とのコラボアルバム『Out Of Season』(2002年)や、ポーランド国立放送交響楽団とやったヘンリク・グレツキの『交響曲第3番』(2019年)などの作品はありつつも、オーバーグラウンドではやはり20年以上のブランクがあったアーティストでもある。故に、ここでは来日を前に、改めてベス・ギボンズを〈トリップホップ〉、〈ポーティスヘッド〉、〈ソロ〉の3つのタームで紐解いていくことにしよう。
トリップホップとは何だったのか?
マッシヴ・アタック、トリッキーらと共にトリップホップの代表的バンドとしてその名が知られるポーティスヘッドだが、まず最初に確認しておくべきは、ジェフ・バーロウを筆頭に多くのトリップホップのオリジネイターは、トリップホップと呼ばれることを嫌っているという点だ。理由としてはルーツへのリスペクトや本質の欠如が挙げられており、確かにとりわけ今日のトリップホップは、スローで暗いエレクトロニカに片っ端から貼られる大雑把なレッテルとなっているのは否めない。
それだけ後世に広範な影響を及ぼしているジャンルであり、例えばアトモスフェリックなノイズの総称と化したシューゲイザー同様に、90年代UKのインディー/オルタナティブ精神の象徴であり、ロンドン中央集権的なシーンへの明確なアンチとしてパンク的姿勢を誇っていたトリップホップが、今や90年代UKのどんな音楽トレンドよりもメジャーポップに参照・借用されている、という現象は興味深いものがある。
英南西部の港街、ブリストルで1980年代後半から1990年代前半にかけて形成されていったトリップホップのルーツは、ジャマイカ移民のコミュニティーを中心に発展していったサウンドシステムのカルチャーだ。例えばマッシヴ・アタックの原点も、80年代前半に結成されたサウンドシステム〈ワイルド・バンチ〉だった。彼らのやっていたサウンドのルーツは多岐にわたるが、特に中核をなしていたのがヒップホップで、そこにレゲエやダブ、レアグルーヴ、ファンクetc.が折り重なり、80年代後半に入るとレイヴカルチャーやアシッドジャズとのクロスオーバーも進行した。
そうして醸成されていったのが、地を這うようなビートのコラージュ、ダビーなベースライン、アンニュイな女性ボーカル、シネマティックな弦楽奏……といったキーワードと共に語られるトリップホップだった。1991年にはマッシヴ・アタックの『Blue Lines』がリリースされ、これが私たちがトリップホップとして知る最初期の傑作だったと言える。
ちなみに『Blue Lines』がレコーディングされたスタジオでアシスタントとして働いていたのがジェフ・バーロウで、彼は同年ベス・ギボンズとポーティスヘッドを結成。後にギタリストのエイドリアン・アトリーが加入し、ポーティスヘッドは1994年にデビューアルバム『Dummy』をリリースした。
『Dummy』は今日までに350万枚を超すセールスを記録する大ヒット作となり、マーキュリー・プライズも獲得するなど、批評性と商業性の両方においてトリップホップの金字塔となった。同年にはマッシヴ・アタックの『Protection』、翌1995年にはトリッキーの『Maxinquaye』やビョークの『Post』、1996年にはDJシャドウの『Endtroducing.....』やラムの『Lamb』、といった画期的作品が次々にリリースされていることからも、90年代半ばがムーブメントとしてのトリップホップの最盛期だったことがわかる。