ポーティスヘッドの神話性と特異性
ポーティスヘッドは1997年にセカンドの『Portishead』をリリース。同作はアメリカでもヒットし、ツアーのNY公演では、ニューヨーク・フィルハーモニックと共演。同公演を収録したのが前述の『Roseland NYC Live』(1998年)だ。
しかし、2枚のアルバムでポーティスヘッドが獲得した名声とプレッシャーは、アンチメジャーのパンク精神を旨とするバーロウを苦悩させ、極度の人見知りであったベスを心身共に蝕む結果となってしまった。ちなみに1998年に予定されていたポーティスヘッドの来日公演は、バンドは成田に到着したにも拘らず、ベスの体調不良で土壇場のキャンセルになっている。以降の彼らは活動を極端にセーブし、3作目の『Third』の完成までに11年もの時間を要した。こうした彼らの寡作体質や、インタビューを殆ど受けず、人前に出ることが滅多にないベスのミステリアスなイメージもまた、ポーティスヘッドの神話性を高める結果になったとも言えるだろう。
トリップホップは今やかなり大雑把なジャンルの括りになっていると先に書いたが、そもそもオリジネイターの三巨頭と称されるマッシヴ・アタック、ポーティスヘッド、トリッキーのやっている音楽自体にも違いは明確にあって、特にポーティスヘッドは三者の中で最も特異なスタイルを誇るバンドだ。
ポーティスヘッドの特異性は主に三つあり、まず一つ目は何と言ってもサウンドの生々しくローファイな感覚だろう。アイザック・ヘイズの“Ike’s Rap II”を使った“Glory Box”を筆頭に、数々のサンプリングを用いる曲作りを行なってきた彼らは、サンプリングの手法もアナログにこだわっていて、踏みつけたり、擦ったりして敢えて傷だらけにしたヴァイナルを使うことで、アルバムのザラザラとした質感を生み出している。古い屋敷の片隅に捨て置かれていたピアノの埃を払い、何十年ぶりに弾いてみたかのような、もったりとしたローズ・ピアノの音色も特徴的だ。
二つ目には、特に『Dummy』に特徴的な映像喚起的な音作り、とりわけフィルムノワールな質感だ。彼らはラロ・シフリンをサンプリングし、ジョン・バリーのような作曲家を敬愛している。そんな映画音楽へのオマージュが、例えばもう一つのオマージュ元であるウータン・クランのヒップホップとフュージョンされた時、えもいわれぬ漆黒シネマティックな世界が生み出されていくのだ。なお、ポーティスヘッド、ベス・ギボンズのソロの両方でストリングスは重要な役割を果たしており、どちらもノワールではあるが、ポーティスヘッドはよりスパイ映画的というかバリー的で、ベスのソロはもう少しオーセンティック、という差がある。
唯一無二の〈重さ〉を抱える声
そして三つ目が言うまでもなく、ベス・ギボンズの声それ自体だ。トリップホップ界隈に限った話ではなく、彼女のような声と情感を持つシンガーは二人と存在しない。ホレス・アンディを筆頭に、曲毎に曲調に相応しいゲストシンガーを招いて歌ってもらうシステムを採用したマッシヴ・アタックとは対照的に、ポーティスヘッドの曲調はベスの声が定義している。彼らのサウンドの生々しさも、ノワールな感覚も、ベス・ギボンズが歌わなければあそこまで切実に響かないし、例えば彼女が〈私の味方は誰一人いない、そしてそれは間違っている。絶対に間違っている〉(“Roads”)と歌う時に訪れる冷たく硬質な絶望が、ポーティスヘッドのノワールの濃淡を決めているのだ。
そんなポーティスヘッドの音楽に、ベス・ギボンズの声に魅了され、影響を受けたアーティストは枚挙に暇がない。かつてトム・ヨークとジョニー・グリーンウッドが“The Rip”をカバーしたように、ポーティスヘッドと同時代を生きたレディオヘッドも彼らをリスペクトしていたバンドだ。
しかも彼らは時代を経る毎に影響の及ぶ範囲を拡大しつつあり、特に2010年代以降はその傾向が顕著に立ち現れつつある。例えばFKAツイッグスやThe xxの登場はポーティスヘッドのDNAを直接受け継いだものである一方で、ジョルジャ・スミスやアーロ・パークスのような、一聴して軽やかなUKネオソウルのアーティストたちにも、その根底にはポーティスヘッドとべスの声の〈重さ〉が存在する。
ヒップホップアーティストとZ世代に愛される才能
ポーティスヘッドと近年のメジャーヒップホップとの関係も見逃せないだろう。ベスはケンドリック・ラマーのシングル“Mother I Sober”にフィーチャリングされ、大きな話題を呼んだ。イェことカニエ・ウェストもポーティスヘッドからの影響を公言しているラッパーの一人で、トラヴィス・スコット、ヴィンス・ステイプルズ、チャイルディッシュ・ガンビーノetc.、現代の多くのヒップホップアーティストがポーティスヘッドをサンプリングしているというのも、ポーティスヘッド自身のルーツがヒップホップであることを思えば、歳月を介した回流を感じずにはいられない。また、ザ・ウィークエンドは“Belong To The World”でポーティスヘッドの“Machine Gun”を勝手にサンプリングしていると、バーロウからの怒られが発生したことも(ザ・ウィークエンド側は否定)。
ことベス・ギボンズの〈声〉という点にフォーカスするならば、その影響が最もビビッドに投射されたのはいわゆるサッドポップのトレンド時期だったと思う。例えば、呻き声と囁き声の間で揺らぐビリー・アイリッシュの歌声には、ベスの成分が多分に含まれていると思うし、ビリーも“It Could Be Sweet”を聴いている自分の写真をアップしたことも。また、“Glory Box”を聴いて、ラナ・デル・レイを連想せずにいるのも難しいのではないか。今年のリリースで言うと、インフルエンサーから本格派シンガーへの転身を成功させたアディソン・レイが、アルバムにトリップホップを取り入れていたのも面白かった。Z世代の平熱としてのアンニュイや、プリセットされた喪失感を伝えるムードとして、ベス・ギボンズの声、ポーティスヘッドの音楽が重宝されている、とでも言うべきか。