映画にしたいお嬢さん純情一代記
3年前に76才で亡くなったジェーン・バーキン(1946-2023)が幼少期から晩年まで56年間も書き続けた日記の日本語版が遂に登場した。フランスでは上巻「Munkey Diaries」が2018年に、下巻「Post Scriptum」が2019年に出版され、当時かなり話題になったが、日本語版はその2巻にポストカードなどいくつかの特典を追加して美しい特製ボックスに収めた豪華版として販売されている。

なにしろ半世紀以上にわたる記録。上下合わせて本文だけでなんと900ページ超という大ヴォリュームだ。「Munkey Diaries(マンキー日記)」と題された上巻は、11才(1957年)から始まり、セルジュ・ゲンズブールと別れてジャック・ドワイヨンと暮らし始めた35才(1981年)まで。36才(1982年)から始まった下巻の「Post Scriptum(追記)」は67才(2013年)で突然終わっているが、これは長女ケイト・バリー(最初のパートナーである作曲家ジョン・バリーとの娘)の自殺によるショックのため何も書けなくなったからだ。上巻の「マンキー」というのは、幼少期に宝くじで引き当てて以来ずっと肌身離さず持ち歩いていた猿のぬいぐるみ(セルジュの71年のアルバム『メロディ・ネルソンの物語』のジャケットでジェーンが抱いている)の名前であり、この親友に語りかける形で少女の日記はスタートしたのだった。また、日記本文以外に、後日自身で書き加えた回想録や註釈が大量に追加されているため、結果的に自伝としても読めるだろう。
日記の記述は全体を通して、仕事のことよりも、愛する家族のことが中心だ。尊敬する両親、兄と妹、愛した男たち(3人の伴侶ジョン・バリー、セルジュ・ゲンズブール、ジャック・ドワイヨン、最後の恋人だった作家のオリヴィエ・ロランなど)、そして3人の娘(ケイト・バリー、シャルロット・ゲンズブール、ルー・ドワイヨン)や孫たち……。そうした半径5メートル以内の人々に対する過剰なまでの気遣いと無尽の愛の言葉を発しながら、同時に「怒りっぽくて、エゴイストで、めんどくさくて、思慮の浅い」自身を卑下する言葉が随所で綴られる。特に際立つのが、3人の娘の母親としての懺悔の情か。また、そういった極めて率直かつプリミティヴな心情吐露の一方で、社会問題に対する積極的行動(死刑廃止運動、旧ユーゴスラヴィア内戦の復興支援、ミャンマーのアウン・サン・スー・チー解放運動など)も盛んだったりする。その人生の通奏低音として流れ続けていたのは、英国アッパーミドル出身のナイーヴなお嬢様のどこまでも錆びないイノセンスとヒューマニズムである。

上巻の終盤、セルジュとの別離の頃からは、シンプルな感情吐露を超えた内省的/文学的心理描写が増えてゆき、特に面白い。ジェーンは80年に2人の娘を連れてセルジュの家を飛び出し、ドワイヨンと暮らし始めた(第3子ルーも誕生)が、その後もセルジュはしょっちゅう彼女たちの家を訪れて一緒に食事をしたりする奇妙な生活が続いた。ジェーンはセルジュのもとを去ったけど、彼に対する尊敬と愛情は終生変わらなかった。いや、別れてからの方がより強くなったと言うべきか。実際、歌手としてのジェーンの最高傑作は別離後にセルジュと作った『Baby Alone In Babylone』(83年)や『Lost Song』(87年)だったし、その表現力は90年代以降、セルジュの死と日々向き合う中で深められていった。81年の記述/回想にはこんなくだりも。
「今はその相手(ジャック・ドワイヨン)が自分を愛し、本当に必要としてくれているから一緒に暮らしている。それは一時的な避難。そして1年も経つと、前の相手(セルジュ)の顔や話し方が恋しくなり、嫌だったことはすべて赦し、良かったことだけを思い出すようになって、あげく自分はなぜ別れたんだろうと考えるようにさえなる。本当の理由が曖昧になり、切迫した状況も他人事のように思えて、また何も選択できないような状態に戻っている」
「私はふたり(セルジュとジャック)を愛している。あり得ないことじゃない、実際私はそう感じている。だから、みんなで一緒に暮らせたらいいんだけど、もちろんそうもいかない……」
別れても好きなヒト。それもまた彼女のイノセンスゆえか。このあたりの複雑な人間関係と心理劇は映画的でもある。
個人的にうれしかった発見もちらほら。たとえば、セルジュが71年に書き、死後の94年に正式にレコード・リリースされた名曲“La noyée 溺れる女”(カーラ・ブルーニやバンジャマン・ビオレなどもカヴァ)は、実際の事件が元になっていた(と思われる)こととか。70年、セルジュと大喧嘩したジェーンは腹立ちまぎれにセーヌ河に飛び込んだのである。この無鉄砲さもまたジェーンならではか。