シャンソンの女王バルバラ、そして盟友ケラスとの20年の歳月
独自の進化を続けるパリ生まれのピアニスト、アレクサンドル・タローが来日。昨秋リリースされたシャンソン歌手バルバラへのトリビュート・アルバムと、盟友ジャン=ギラン・ケラスとのデュオによる最新アルバム『ブラームス:チェロ・ソナタ、ハンガリー舞曲』について話を聞いた。
「彼女が一歩ステージに足を踏み入れると、その場の空気がガラっと変わるんです」と身振り手振りを交えながら熱心に語るタローは、自他ともに認めるバルバラ・フリーク。17歳のときシャトレ座でライヴを聴き、人生がひっくり返ったという。
「本当に特別な存在感で、彼女の人生のすべてが自分たちに向けられていると感じられる瞬間でした。歌はもちろんですが、ピアノも素晴らしいんです。子どもの頃はピアニストを夢見ていたという彼女は、楽譜こそ読めませんでしたが、なにが正しいかということを究極まで追求する人だったので、たった3つの音符からオーケストラのような効果的な音を引き出すことができました。マイルス・デイヴィスのようにね」
バルバラが世を去った97年、葬儀のあと墓前に集ったファンたちが歌うのを聴いて、タローはいつかトリビュート・アルバムを作ろうと心に誓った。それから20年、フランスを代表するシンガーや俳優たちを1曲ごとに迎え、新しくアレンジをし、仲間たちの協力も得て制作された渾身の2枚組アルバムがついに完成した。
「一人ひとりのメンバーに、自分で声をかけていきました。ジュリエット・ビノシュには、ぜひ 《ウィーン》という曲に参加していただきたくて、打診したら引き受けてくださいました。インディ・ザーラが英語で歌っている《いつ帰ってくるの?》は、彼女からの提案です。ヴァネッサ・パラディは面識がある程度の間柄でしたし、ジェーン・バーキンに至ってはまったくの初対面でした。ジェーンに《鏡の向こう側》を聴かせて、“死んだ後の世界を歌っているような曲だけど、いかがですか?”と提案したら、“素晴らしい曲だから絶対に自分がやりたい”とお返事いただけて。とても嬉しかったです」
日本ではある一定の年齢層より下の世代にとって、あまりなじみが深いとは言えないバルバラ。タローのアルバムは、そんなバルバラの魅力を若い世代に知ってもらいたい、新しい形で世界に伝えたいという想いにあふれている。
「やはりシャンソンというものは、フランス語圏以外ではなかなか聴かれませんよね。けれど私はクラシックのピアニストですから、世界各地で演奏しています。ですから、もし自分がバルバラのトリビュートをすれば、もっといろいろな国の人々が興味を持ってくれるかもしれないと思ったのです。でも、じつはちょっと複雑な気分なんです。このアルバムを作ったことで、自分だけのものだったバルバラの世界が皆のものになってしまう、自分から離れていってしまうような感覚もあって……矛盾していますよね(笑)」
さて、もう一枚のブラームス・アルバムについて話を振ろうとしたとき、「そういえばケラスとはじめて共演したのも、バルバラが亡くなった年でした」という言葉が口を出た。これまで何度となく共演を重ねてきたデュオも、20年という歳月をかけてゆっくりと成熟のときを迎えている。
「最初のコンサートからうまくいったわけではありませんでした。けれど不思議なことにその後すごく仲良くなって、いまだに一緒にやっているわけですから、相性が良かったのでしょうね。お互いに歳をとって落ち着きましたし(笑)、音楽的にもどんどん本質に近づいていると思います」
タローにとっては初のブラームス録音となる本作だが、2つのチェロ・ソナタの後に、ふたりの編曲による《ハンガリー舞曲集》が収録されている点にも注目だ。
「ソナタがあまりにもチェロの大傑作として名高い2曲ですから、それと組み合わせるにはどんな曲がいいだろうと考え、私が提案しました。ソナタの後にリラックスして、アンコール・ピースのような気持ちで聴いていただけたらと思います」
2019年秋にはケラスとのデュオによる来日公演も予定されているとのこと。今秋にはベートーヴェンの後期三大ソナタのリリース予定もあり、ますますタローから目が離せない。
アレクサンドル・タロー (Alexandre Tharaud)
68年生まれ。パリ国立高等音楽院卒業。89年、ミュンヘン国際コンクールにおいて第2位を獲得し、以後国際的な演奏活動を展開している。現代フランスを代表するピアニストの1人。また、ソロ・ピアニストとしてだけでなく、チェリストのジャン=ギアン・ケラスとのデュオでコンサートやレコーディングなどを行い、2008年、2011年には来日コンサートも実施している。