追悼 ジェーンとの12年間に思いを寄せて。

 「日本にはどうしても来たかった、40年以上も愛し続けた国だから。」ジェーン(・バーキン)は2011年4月6日、渋谷クラブクアトロのステージからこう語りかけた。その数週間前、福島震災のニュースをパリで観たジェーンはすぐさま行動を開始する。「放射性物質」と言う言葉と共に日本の状況が語られていたその時期に「日本に行く」と言い出したのだ。彼女の病気を知る家族、親友、医師たちからの猛烈な反対を押し切って、4月5日成田空港に降り立った。ヘアーメイクもマネージャーも連れず本当にたった一人で。「チャータ機で来たわ!」(これは、当時日本行きの飛行機に誰も乗っていなかった事を表した彼女流の冗談。)

 ここで時間を少し巻き戻す。震災後、日本は未来をどのように描いて良いのか分からないまま時を過ごしていたように思う。私もいくつかのコンサートのキャンセルがあった。そこに一本の電話が入る。旧知の坂口修一郎くんからだった。「ジェーン・バーキンが日本に来てチャリティーコンサートを開くらしい。中島さんピアノで伴奏って可能?」という内容。以前からジェーンのコンサートを日本で開催してきた当時カンバセーションの中西幸子さん(ジェーンの長年の友人でもある)に「コンサートを行いたい、その伴奏を務める演奏家も探してほしい」旨連絡があったのだという。中西さんから話を聞いた坂口くんは私ならばピアノ一人でも対応できると考えてくれたようだ。「せっかくだから一緒に演奏しようよ」と坂口くんに持ちかけ、旧知のドラマー栗原努くんにも参加を願い、そこにマレー飛鳥(金子飛鳥)さんも合流することが決まり、ここにヴァイオリン、トランペット、ピアノ、ドラム、という不思議な編成が誕生した。

 来日は4月5日。リハーサルを行い、コンサートは4月6日に開催される事が決定した。私が編曲も担当することになったのだが、フランスから何も情報がもたらされないまま時間だけが過ぎてゆく。リハーサルの前日の夜「全然連絡無いんですよ。時間が無いなー」そんなことを青野賢一さんと(当時はまだ朝まで営業していた)渋谷のバールボッサで話していると、夜中にフランスから曲目決定との知らせが。計画停電で蝋燭が唯一の明かりだった店内を後にし、編曲に取りかかり少し仮眠をとって午後のリハーサルに向かった。リハーサル会場でもあったクアトロで譜面の確認などしているとジェーンがフワリと現れた。その身の軽さ、空気の軽さ。どこにも大げさな装いは纏っていない。「マカロン買ってきたわよー」と言ってみんなに配り始める。さて、リハーサルをしよう。「どの曲から?」「何でもいいわ」「じゃ……」、栗原くんがカウントを出し僕らは演奏を始めた。ジェーンが何の不安も無い表情で歌い始める。坂口くんの柔らかなトランペットの音色、飛鳥さんのヴァイオリンのふくよかな情感、栗原くんの繊細の極みとも言える柔らかなドラム。そこに身を委ねるジェーン。各曲一回くらい歌っただけで「素敵だわ!」と言い残して彼女は去って行った。

 前日のリハーサルだけでは足りないと思った私たち四人は本番直前にクアトロ近くの小さなリハーサルスタジオに入った。しばらくしてガチャッとドアが開く音がして入ってきたのはジェーンだった。「みんなが練習してるって聞いたから来ちゃった」「さっき渋谷の街角で歌ってきたわ」。その日の午後ジェーンは渋谷の街角で募金活動を行い「キヲツケテ」と語りかけていた。彼女が唯一知っている相手を気遣う日本語で。その日の夜〈震災復興支援コンサート Together for Japan〉が開催され、ジェーンは6曲を披露した。ステージから冒頭の言葉「日本にはどうしても……」と語った。「日本や日本に住むかた皆に寄り添い、被災した人々のそばに居ること、それが自分にまず出来ること」そう言葉を続けた。(実際は言葉だけでは無く、私物のバーキンバックを売り義援金にしていた。)「全てを失った東北、そこで苦しむ人々にも届くことを願いながら……」そう言って最後にアカペラで“ラ・ジャヴァネーズ”を歌った。

 コンサートが終了して会場で演奏メンバーで話していたときに噂話を耳にした。「ジェーンが今回の演奏を気に入って、このメンバーでこのままツアーに行きたいと言っている。」僕らはもちろん冗談だと思っていたが、本当にパリにいるマネージャーに終演後電話をしていたそうで、僕らは同じメンバーでその年の暮れからアメリカ、オーストラリア、韓国、でツアーをし、東京公演も行った。ヨーロッパツアーはヨーロッパ在住の山根星子さん、阪本琢磨くん、小野江一郎さん、そして私というメンバーが編成された。足かけ3年、全80公演にもなった世界ツアーは人々に日本の現状を記憶にとどめてほしいと願うジェーンの気持ちが反映され〈VIA JAPAN〉と名付けられた。ジェーンは来日時、折に触れ被災した方々に声をかけた。クアトロでの〈Together…〉の翌日には当時避難所として使われていた東京武道館を訪れ、2013年3月の東京オペラシティー公演の際には熱望していた東北慰問がついに実現し、石巻ニューゼや松島の松華堂菓子店でミニコンサートを行い、また松島中学校を訪問し学生達と交流した。