深い耽美性とエロスとノスタルジアから時にイノセンスにも似た凶気/侠気を匂わせる作曲家

 

中島ノブユキを“発見”したジェーン・バーキン

 作・編曲家/ピアニストの中島ノブユキの名が、いよいよワールドワイドなものになろうとしている。少なくともフランスでは、最近急速に知名度が上がっているはずだ。きっかけは、3月に欧米諸国でリリースされた(日本では4月末発売)ジェーン・バーキンの『シンフォニック・バーキン&ゲンズブール』。このニュー・アルバムは、オーケストラをバックにジェーンがセルジュ・ゲンズブール(以下SG)作品を歌ったものだが、なんと、そのオケ・アレンジはすべて中島ノブユキが一人で担当しているのだ。これはジェーンの強い希望で実現したプロジェクトである。

JANE BIRKIN Birkin Gainsbourg Le Symphonique Parlophone/ワーナー(2017)

 ジェーン・バーキンと中島ノブユキの出会いは、2011年4月。東日本大震災から間もなく、ジェーンは慰問のために単身日本にやってきて、急遽チャリティ・コンサートをおこなった。その時、伴奏のために編成されたユニットでアレンジャー/バンマスを務めたのが中島である。ユニット・メンバーは、金子飛鳥(ヴァイオリン)、坂口修一郎(トランペット)、栗原務(パーッカション)に中島(ピアノ)の計4人。このコンサートに確かな手応えを感じたジェーンは、そのまま〈Via Japan〉なる日本チャリティ・プロジェクトを始動させ、以後およそ3年にわたり世界各地でコンサートを続けた。欧米豪に韓国など計73公演。ヨーロッパ・ツアーでは、現地の日本人演奏家たちが参加したが、唯一中島だけは〈Via Japan〉の音楽監督として、すべての公演に参加した。それほど中島に寄せるジェーンの信頼は厚かったのである。

 2013年春、東北慰問のチャリティ・ライヴのためにジェーンが再び来日した際の取材で、彼女は私にこう語った。

 「〈Via Japan〉プロジェクトでは、ノブ(中島ノブユキ)のアレンジが本当に美しく、しかも、私のヴォーカルがしっかり活きるように工夫してくれた。各楽器の密度がとても高い一方、ヴォーカルが前に出る感じのアンサンブルなの。セルジュ(・ゲンズブール)の姉も、セルジュの歌詞の言葉がこんなに美しく聴こえたことはかつてなかったと絶賛してくれたのよ」

 普段はメディアの評は無視しているジェーンも、母国イギリスの新聞で「これまでのジェーンのライヴで最高の出来」と書かれたことが心底うれしかったという。更に続けてこうも。

 「〈Via Japan〉は〈アラベクス〉(アラブ系音楽家たちと組んで、アラビックなアレンジでSG作品を歌うプロジェクト。02年にアルバム『アラベスク』を発表)と並び、私の音楽キャリアにおいて最も美しいできごとになったと思っている。実は先日、フランスのレコード会社に、次のアルバムはノブと組んで作りたいと提案したら、OKが出た。ライヴ盤ではなく、スタジオ録音盤を作りたいわ」

 それからおよそ4年近くが経ったが、ジェーンの希望どおり、中島と全面的に組んだアルバム『シンフォニック・バーキン&ゲンズブール』が今回ようやく完成したというわけである。中島の元に「今作の仕事の依頼が正式に届いたのは2015年秋だった」と中島は語る。

 「ジェーンが〈Via Japan〉の頃から、僕のアレンジでアルバムを作りたいと考えていたのは知らなかったけど…僕は2013年にNHK大河ドラマ『八重の桜』の音楽を担当し、そのサントラ・アルバムなど近年の僕の作品をジェーンの事務所に送っていた。もしかしたらそれも、オケ・アルバム制作の決め手になったのかもしれない」

 

タンゴと演歌に育まれた静かなる凶気/侠気

 中島ノブユキがパリ留学から帰国し、日本の音楽界で活動を開始したのは90年代半ばだが、一般のリスナーにも徐々に名前を知られ始めたのは、やはり初ソロ・アルバム『エテパルマ』以降だろう。その少し前、菊地成孔の新プロジェクト〈ペペ・トルメント・アスカラール〉でのアレンジャーとしての特異な才能に目をつけた菊地担当ディレクターが、中島にソロ作品の制作をもちかけたのだという。今聴き直して改めて感じるのだが、このアルバムには、作・編曲家、ピアニスト、表現者としての中島のエッセンスがほとんど漏れなく詰まっている。クラシック、ジャズ、ラテン等々いろんな音楽スタイルや手法が昇華された上でのスケールの大きなサウンドは実に穏やか(クワイエット)であり、甘美なリリシズムが漂っているのだが、表現全体を通奏低音のように流れる深い耽美性とエロスとノスタルジアからは時にイノセンスにも似た凶気/侠気のようなものが匂ってくる。レコード店ではヒーリング・ミュージックの棚に入っていてもおかしくない(実際入っていた)作品だが、この凶気/侠気という点で彼は決定的に違うのだ。この作品を初めて聴いた時に私がまっさきに思い浮かべたのはカルロス・ダレッシオだったが、ダレッシオもまたクワイエットな衣装をまとった凶気/侠気の人である。

 以前彼から興味深いエピソードを聞いたことがある。彼の作品でしばしばバンドネオンが使用されることに関して、彼はこう語った。

 「実は僕の父が大変なタンゴ好きで、子供の頃は家でいつもタンゴのレコードがかかっていたんです。父は演歌の作曲家だったんだけど、聴くのは他の音楽が多くて。でも僕も子供の頃はよく演歌を聴かされていたし、弾かされてもいた。レコード会社に持ってゆく新作のデモ・テープをエレクトーンやピアノで。あと、タンゴなどラテン音楽からの影響ということだと、祖父が自宅の離れで社交ダンス教室をやってたことも関係あるのかも。その練習場からタンゴやジャズのレコードの音、人々のざわめきなどがかすかに聴こえてくるのが幼い記憶に焼きついている。中学頃からは、そういう音楽とは距離をおいていたんだけど、仕事でストリングスの編曲などをやるようになった近年、いつのまにか影響を受けていたんだなと気づいた」

 タンゴと演歌。そこにある情念こそが、実は中島のクワイエットな世界をヒーリング・ミュージックと峻別しているように思えてならない。『エテパルマ』以降に彼が発表してきた作品群…『パッサカイユ』、『メランコリア』、『pianona』、『カンチェラーレ』、『クレール・オブスキュア』、『散りゆく花』といったソロ名義アルバムだけでなく『八重の桜』や『悼む人』他のサントラ作品などでもこういった彼の特性というか血は、静かに、そして強烈に自己主張している。

 

「天国のセルジュも泣いたと思うわ」

 再び『シンフォニック・バーキン&ゲンズブール』に戻ろう。SG作品だけで構成されたスタジオ・アルバムとしては『アラベスク』以来なんと15年ぶりとなる本作に収められたのは計21曲。その収録曲も曲順も、実は、録音と前後しておこなわれたライヴ・ツアーとほぼ同じである。SGの担当ディレクターだった、そして本作のプロデューサーでもあるフィリップ・ルリショームが練りに練ったコンサート・プログラムをほとんどそのままの形でスタジオ盤としてパッケージしたアルバムというわけだ。録音の大半は昨年10月、ワルシャワで現地オケを使っておこなわれた。楽曲は、SGがジェーンのために書いたものだけでなく、SG本人の持ち歌や、ジェーン以外の歌手(カトリーヌ・ドヌーヴやイザベル・アジャーニなど)のために書かれたものも含まれている。アルバムは《ロスト・ソング》で幕を上げる。そのオープニングの編曲からいきなり意外性に富みテンションが上がるわけだが…詳細は伏せておこう。

 代わりに、完成した作品を前にジェーンが語ってくれた言葉を最後に紹介しておきたい。

 「このアルバムでは、私の歌は昔よりうまくなったと思う。確実に私の価値を高めてくれている。また、一部の曲には、昔には無かった悲しさもある。娘が亡くなったから…。ケイトの死後、私は孤独の殻に閉じこもっていた。でもこのアルバムが私を孤独から救い出してくれた。今、確かにそう言える。これを聴いたら、天国のセルジュも泣いたと思うわ。絶対に。感動して。セルジュが生きていたら、ノブのような音楽家がこうして人生の一部を私の作品に捧げてくれたことをきっと喜んでいたにちがいないわ」

 中島ノブユキが活躍の場を海外にまで広げる日は遠くないと思う。

 


中島ノブユキ(Nobuyuki Nakajima)
作曲家/ピアニスト。ソロアルバム『エテパルマ』『メランコリア』『散りゆく花』等発表。大河ドラマ「八重の桜」やドラマ「神様のボート」、映画「人間失格」「悼む人」の音楽を担当。近年はジェーン・バーキン ワールドツアー「Via Japan」及び「GAINSBOURG SYMPHONIQUE」に音楽監督(編曲/ピアニスト)として参加。また全曲のオーケストラ編曲を担当したジェーン・バーキン最新アルバム「BIRKIN / GAINSBOURG - Le Symphonique」が2017年3月世界発売(日本盤は4月末のリリース)。

 


寄稿者プロフィール
松山晋也(Shinya Matsuyama)

音楽評論家。本稿を書きながら、先日入稿した『シンフォニック・バーキン&ゲンズブール』のライナーに大きなミスがあったことを発見。もう間に合わない。ショックです。ピエール・バルー/サラヴァに関する本(夏に刊行予定)を現在執筆中。