何をしたっていいじゃない――自由な生き方を選び、NYへと飛び立ったピアニストから9作目のジャズ・アルバムが届いた。DTMからトリオでの演奏まで越境的に音を紡ぐ『HOMEWORK』には、摩天楼の煌めきが息吹いている!!
名うてのシンガー・ソングライターとして鳴らした大江千里は、18年前に渡米し、ジャズ・ピアニストとして活動を開始。ロバート・グラスパーやロイ・ハーグローヴらを輩出したニュースクール大学で学んだのち、NYを拠点に8作のジャズ・アルバムを発表している。彼の地に居続ける理由を大江はこう語った。
「NYはいつも混沌としていて、街を歩いていてもありとあらゆる感情や音が渦を巻いています。忙しないけど、そのぶんモチヴェーションをもらえますね。多様な出自の人たちが共存していて、予測不能な出来事がたくさん起こる。でも一方で、それらを全部受け止めてくれる自由さや懐の広さがあると思います。それは音楽を作るうえでもプラスになっていますね。僕の出身である大阪と近いグルーヴがあるかもしれないです(笑)」。
同じくNYを拠点にするトランペッターの黒田卓也も〈NYは刺激に満ちた街で、創作意欲を掻き立てられる〉と話していたのを思い出した。
「そう。とにかく刺激がたくさんある。ブロードウェイで観るお芝居やコンサートもそのひとつです。お客さんと演者が直接コミュニケーションを取っていて、音楽を通じて一体感が生まれている。舞台と客席の境界を越えたサウンドトラックが出来ているというか。自分もそういう空間を作り上げたいと思いました」。

そんな大江の3年ぶりとなる新作は、1960年生まれの彼いわく「初老の男性のリアリティを表現したサウンドトラック」とのこと。パンデミックで近しい人を亡くし、途方に暮れていた時期もあったという大江だが、2023年にはセルフリメイクを中心にした『Class of ’88』を制作。続いて本作では、ジャズを起点にしながらも、実にヴァラエティーに富む楽曲群を作り上げた。
「現在進行形で自分のなかにある音楽を全部出してしまおう、全方位的に自分なりのジャズを演奏しよう、というところから制作が始まりました。あとは、デジタルなビートと生のドラムが共存しているアルバム、というイメージがあって。具体的には、ハービー・ハンコックの“Rockit”やYMOのようなビート。それにブラッド・メルドーの作品やノウワーのルイス・コールが叩くドラムの音も念頭にありました。メルドーは、ジャズに取り組んだ末に一周してポップスの領域にいる人だと思っていて、憧れますね。ルイス・コールは彼の来日公演と僕の帰国がニアミスして残念ながらライヴを見られなかったんだけど、大好き。手紙を書いて彼の音楽への想いを伝えたいくらいです」。
アルバムは、16曲中6曲が大江1人で作った曲で、彼とマット・クロージー(ベース)との2人での録音が2曲、そこにロス・ペダーソン(ドラム)が加わったトリオでの8曲から成る構成。ピアノ・ソロの曲はいずれも内省的な響きを帯びているが、大江みずからビートを組んだ“Dear X”などは明らかに新機軸。まさにジョン・ブライオンがプロデュースを手掛けたメルドーの『Largo』や『Highway Rider』、あるいはルイス・コールが叩くタイトでラウドなドラムに通じるものがある。“First Wish”はボサノヴァをはじめとするブラジル音楽のフィーリングを取り込んでいるし、“Half Done”は大江なりのエリック・サティ解釈と見た。
「僕がジャズを好きなポイントって、他のジャンルへも軽々と越境していくところなんです。いろいろな音楽を呑み込むダイバーシティ、多様性がある。そのリベラルな思想を新作でも出せたらなと思っていました。ジャズはこうあるべき、こんなのはジャズじゃない、っていう人もいるかもしれないけど、僕はこれもあれもジャズなんだっていう自由な考え方が尊重されるべきだと思っているんです」。
シンガー・ソングライターとしての生活を手放し、現在も日々、新しい出来事に出くわしているという大江。その口ぶりからはいまの日常がいかに充実しているかが伝わってくる。アルバム・タイトルの『HOMEWORK』は、直訳すると〈宿題〉だが、この言葉は大江にとって義務ではなく、「人生を豊かにするための探求」ということだそう。
「自分がNYにいることには意味や価値がある。選んで選ばれて、この瞬間、いま、ここにいるんだ――そう思えるようになりましたね。その思いは新作にも込められていると思います」。
大江千里の作品。
左から、2023年作『Class of ’88』、2021年作『Letter to N.Y.』、2019年作『Hmmm』、ベスト盤『Senri Oe Singles ~First Decade~』(すべてソニー)
大江千里が参加した作品。
左から、森山良子の2024年作『Life Is Beautiful』(ソニー)、坂本真綾の2024年のシングル“抱きしめて”(flying DOG)、渡辺美里の2023年作『Face to Face ~うたの木~』(エピック)