等身大のジャズ・ピアニスト大江千里を描いた最新作『Collective Scribble』
2008年に、J-Popでのシンガー・ソングライター活動を休止し、長年の夢だったニューヨークの音大のジャズ科に留学し渡米、2012年にジャズ・ピアニストとしての再デビュー作『Boys Mature Slow』をリリースした大江千里から、ジャズ・ピアニストとしての3作目『Collective Scribble』が届いた。コンセプチュアルなビッグバンド作品だった第2作『Spooky Hotel』 から、大きくシフトしピアノ、サックス、ベースのトリオで、シンプルなメロディを美しく響かせる、大江のジャズ・ピアニスト/コンポーザーとしての新たなステージへの到達を思わせる作品だ。昨秋のレコーディングの直後、大江がアルバム・カヴァー撮影、PV撮影の舞台に選んだ、カラフルな、しかしすぐに描き換えられてしまうグラフィティの壁画が並ぶ、今注目を集めるアート・ディストリクト、ブルックリンのブッシュウィック地区。そこのとあるカフェで週末の午後、大江のニュー・アルバムに込めた熱い思いを語ってもらった。
「サックスのヤシーンと、自宅で練習していたときに、彼が、千里はオールド・スクールのヴェテラン達の中でハード・スウィングを演奏するタイプでもないし、ロバート・グラスパー(p,kb)みたいなR&Bやリズム・コンシャスなコンテンポラリー・ジャズを目指すのも違うだろう。でも千里の音楽は素晴らしく尊敬してるし、フィットするポジションを必ず作り出せると言われたのが、このアルバムのスタートです」
大江は、ニューヨークでプライヴェート・レーベルを運営するタフな生活の中で、人の優しさに触れた瞬間や、友人の印象、コンペに向けて書いた曲、また毎月のレギュラー・ギグにテーマを決めて作曲をし書きためた曲が60曲にも及んだ。それらの曲をコ・プロデューサーの有田純子とともに選りすぐり、またNHKの「みんなのうた」に書いた『秋唄』のカヴァーを加えて12曲に絞り込む。
「いろいろなパイを、一つにするのが大変だったけど、 日々の生活の走り書き(Scrible)のような曲を集めて、ストーリーのあるオペラや、20分ほどのコンチェルト、一つのポエムのような構成でまとめてみました」
共演者は、ニューヨークでの日々のギグで行動を共にしている、音大(ニュースクール大)の若き先輩のシカゴ出身のジム・ロバートソン(b)と、同級生でチュニジア人の父をもつフランス人のヤシーン・ボラレス(bs,ss)のトリオで、ドラムレス。異なったバック・グラウンドを持つ3人が、絶妙のブレンドを醸し出す。ピアノ・ソロの小品もあり、ジャズ・ピアニストとしても1作ごとに進化を遂げ、ニューヨークのローカル・ギグで聴ける等身大の現在の大江千里の姿と、素敵な友人に囲まれて愛おしいと感じているリアルな日常生活が映し出されている。水の中に小石を投げて、波紋が広がるように、大江がアメリカでジャズ・ミュージシャンになると決意したアクションが波紋となって拡がり、様々な人との出逢いによって完成したアルバムだ。ポップスの曲は、エモーショナルになって曲を書いていたが、ある種の行き詰まりを感じていた。ジャズの作曲を始めてから当初は、ポップスのような制約やフォーマットがなく、自由すぎて戸惑いを覚えたが、音列から曲を組み立てたりと、別のアプローチも出来るようになり世界がひろがった。一つの目標をクリアーすると、また次の困難なチャレンジが始まる日々だそうだ。
「ジョシュア・レッドマン(ts)のグループ等で活躍しているアーロン・ゴールドバーグ(p)に、千里はメロディの人だから、心底美しいと思ったメロディを紡ぎ出せばそれでいいと言われて励まされました。僕の名前は、ふる里がたくさんふえていくと言う意味だと思っています。この先どこにふる里が出来るか分かりませんが、一生懸命にやっていると道が開けてくるニューヨークで、ジャズをまだまだ追求していきたいと思います」
ニューヨークの大江千里の近況を語る美しいメロディのサウンド・レターが、ヴァレンタイン・デイを鮮やかに彩る。