サイモン&ガーファンクルの詩情豊かな3作目が日本独自企画でリイシュー!!
ボブ・ディランのエレクトリック路線を推進し、のちにフランク・ザッパやヴェルヴェット・アンダーグラウンドを手掛けるプロデューサー、トム・ウィルソンの発案によってリズム・セクションをオーヴァーダビングした“The Sound Of Silence”が、66年の1月に全米シングル・チャートで1位を獲得。それまで鳴かず飛ばずで実質的に解散状態だったサイモン&ガーファンクルの運命が大きく変わった。流行りのフォーク・ロック調に作り替えられた同曲を聴いてポール・サイモンは困惑したそうだが、この予想外のヒットをフォローするために急遽まとめられたセカンド・アルバム『Sounds Of Silence』(66年)も全米21位まで上昇、一躍人気グループの仲間入りを果たす。
“The Sound Of Silence”に続いてヒットしたシングル“Homeward Bound”を含む3枚目のオリジナル・アルバムが『Parsley, Sage, Rosemary And Thyme』(66年)。プロデューサーのボブ・ジョンストン、エンジニアのロイ・ハリーとのタッグで、前作とは対照的にじっくり腰を据えて制作され、全米4位を記録した同作が、リリース60周年の今年、日本独自企画で7インチ紙ジャケ仕様のSACDハイブリッド・エディションとしてリイシューされる。8トラック・レコーダーを導入、多重録音によって構築された傑作が、高音質で甦った。今回は2001年にリマスター盤として発表された際の曲目が採用され、ボーナス・トラックだった“Patterns”と“A Poem On The Underground Wall”のデモも収録されている。
このアルバムに収められた曲の多くは、少し前にポール・サイモンがイギリスへと滞在していた際に書いたり、着想を得たりしたもの。“Flowers Never Bend With The Rainfall”や“Patterns”、そして“A Simple Desultory Philippic”はサイモンがイギリスで録ったソロ作『The Paul Simon Songbook』(65年)からの再録音。“The Big Bright Green Pleasure Machine”はロンドンにあるコインランドリーについて書いた曲だし、ファースト・アルバム『Wednesday Morning, 3 A.M.』(64年)のジャケットを思い出させる“A Poem On The Underground Wall”もロンドンで書かれた。“Patterns”はインクレデイブル・ストリング・バンドに通じるエキゾティックなアレンジに刷新されているし、あからさまにブリティッシュ・ビート風な“The Big Bright Green Pleasure Machine”や、歌詞にボブ・ディランやアンディ・ウォーホルと並んでローリング・ストーンズやビートルズの名前が出てくる“A Simple Desultory Philippic”は批評的だ。
また“Scarborough Fair / Canticle”では、ロンドンのフォーク・シーンと繋がったサイモンが、マーティン・カーシーのレパートリーだった伝承歌の“Scarborough Fair”に、自作の“Canticle”を対位法的に挿入。加えて、“Canticle”のなかでは、ソロ・アルバム『The Paul Simon Songbook』収録曲“The Side Of A Hill”の歌詞が抜粋されており、ラヴソングの形を取っている“Scarborough Fair”に反戦歌のニュアンスをもたらしている。マイク・ニコルズが監督、サイモン&ガーファンクルが音楽を担当した67年の映画「卒業」でも使用されたこの曲は、シングル・カットされて全米チャートで11位まで上昇した。
ソフト・ロック勢との接点を示す作品としても本作は重要だ。ジャズ・ミュージシャンを起用した洒脱な“The 59th Street Bridge Song (Feelin’ Groovy)”は、67年にハーパース・ビザールがカヴァーして全米13位まで上昇。シーカーズのブルース・ウッドリーとサイモンが共作した“Cloudy”は、66年に同コンビの“Red Rubber Ball”を取り上げて全米2位までヒットさせたサークルによりカヴァーされた。
また “The Dangling Conversation”や“For Emily, Whenever I May Find Her”などで内省的な詞世界を研ぎ澄ませた彼らは、大学を回る小規模なツアーを選ぶなど、自分たちの感性と周波数が合うリスナーにターゲットを絞っていく。アルバムのタイトルに選ばれた“Scarborough Fair”に登場する4つのハーブ……パセリ、セージ、ローズマリー、タイムは、魔除けに使われる薬草でもあった。本作はベトナム戦争真っ最中の母国へ、静かに掲げられたハーブの束でもあったのではないか。
最後に本作のセッション終盤で、次作『Bookends』(68年)に収録された“A Hazy Shade Of Winter”が録られていたことも指摘しておきたい。レッキング・クルーの面々によるフォーク・ロック然とした演奏は、『Bookends』では少し浮いている。このシングルが本作とほぼ同時期にチャートインして全米13位まで上昇したことも念頭に置きながら、66年の豊かなスピリットを味わってほしい。 *荒野政寿
サイモン&ガーファンクルの作品。
左から、66年作『Sounds Of Silence』、68年作『The Graduate』『Bookends』(すべてColumbia)
ボブ・ジョンストンが手掛けた名品の一部
『Parsley, Sage, Rosemary And Thyme』の制作を指揮したボブ・ジョンストンは、ボブ・ディランやジョニー・キャッシュらへの貢献で知られている。もともと作曲家として活動し、一時はコロムビア専任のプロデューサーだった彼は、アーティストが余計なことを気にせず、自由に創造できる空間を作ることに長けており、2015年に亡くなるまで、ウィリー・ネルソンやカール・パーキンス、ジミー・クリフら数多くの作品で腕を揮ってきた。ここでは、60年代半ばから70年代前半の代表的な作品を紹介しよう。
ボブ・ジョンストンが関わった作品を一部紹介。
左から、ジミー・クリフの78年作『Give Thanks』(Warner Bros.)、ウォーターボーイズの88年作のボックスセット『Fisherman’s Box』(Parlophone)
前作『Highway 61 Revisited』の制作途中からディランと組んだジョンストンは、NYでのセッションが停滞していた本作の録音場所にナッシュヴィルを進言。結果、芳醇さと酩酊感に溢れた傑作が生まれ、2人の関係はディランの70年作『New Morning』まで続いた。
アウトローの心情を歌ってきたカントリー・シンガーが長らく制作を渇望してきた刑務所でのライヴ盤は、ジョンストンの尽力で実現。以降、キャッシュは同じ趣旨でのアルバムを3作リリースしているが、69年の『At San Quentin』もジョンストン制作によるものだ。
奥深い歌声が魅力の詩人/自作自演歌手による3作目。ジョンストンはプロデュースだけでなくピアノ演奏も行い、無骨な手触りと繊細なメランコリアが剥き出しになったかのような音作りに一役買っている。なお、この時期の彼はコーエンのライヴ・メンバーでもあった。
コロムビアから独立したジョンストンがプロデュースした、英フォーク・バンドによる2作目。憂いを帯びたメロディーと仄かにサイケな音作りが妙味たっぷりで、全英1位を記録。そのギャラとして彼は、クロウバラに位置する古城への1年間の滞在権を贈られたという。 *田中亮太




