飛躍と引き換えに払った精神的な代償に苦しむなかで経験した深い意識の変容――より前向きなエネルギーを秘めた新作『Tyber』は聴き手を何処へ導く?
フランス出身のFKJは、プロデューサー、シンガー、マルチ奏者など多くの肩書きを持つアーティストだ。彼の音楽を語るうえで欠かせないのは高度な折衷性だろう。ジャズ、ソウル、ファンク、ヒップホップ、R&B、ハウスといった音楽を編んだサウンドは、クラブ・ミュージックとホームリスニング向きのポップソングという両面性が際立つ。ライヴでは一人で幾多の楽器を演奏し、リアルタイムでトラックを重ねていくが、その姿からは即興音楽的なフリーキーさも感じられる。サウンドと同様、表現方法も多面的なところが目につく。
そんなFKJにとって2022年のアルバム『V I N C E N T』は飛躍作となった。〈コーチェラ〉などのフェスや、レッド・ロックス野外劇場、ロンドンのハマー・スミス、パリのル・ゼニスなど世界的に有名な会場を巡るツアーに恵まれ、もともと高かったライヴ・パフォーマンスの評価がさらに高まった。そうした声を受けるように、2024年には『V I N C E N T』ツアーの音源が収められたライヴ・アルバム『22_23 Live Sessions』をリリース。特定の公演でのみ披露された即興演奏も収録した内容は、FKJの優れた演奏力を堪能できる必聴作だ。
そのライヴ盤から約2年ぶりとなる作品がニュー・アルバムの『Tyber』である。オリジナル・フル・アルバムとしては『V I N C E N T』以来となった本作には、FKJの内観が反映されている。先述のツアーは大規模であるがゆえに、演奏を続けていくなかで精神的に疲弊していったという。そのような時期にFKJは、ヒンドゥー教の思想に基づく〈33歳は人生が大きく飛躍するか、下降線を辿るかの分岐点〉という概念を知ったそうだ。その概念について調べていくと、周囲の友人たちも33歳で似たような困難を味わっていたという。

こうした発見が制作のインスピレーションとなった影響か、聴き進めるとFKJの歩みを記録した写真アルバムを覗いているような感覚に襲われる。ロンドン、LA、パリ、ブラジル、フィリピン、メキシコを巡る旅のなかで生まれた曲群にはパーソナルな情動が迸り、自身の暗い心が光を得るまでの旅路が描かれている。時折ダークな雰囲気が顔を覗かせるのも、『V I N C E N T』以降に味わった辛さが滲んだ結果だろう。作曲のみならず、プロダクションやエンジニアリングまでみずから手掛けたのも、FKJの内面が色濃く表れた一因といえるかもしれない。
そのような特色が顕著なのは“Changes Rising”だ。ヒップホップ的な太いビートとFKJの甘美な歌声が響きわたり、〈どん底にいてもいずれは這い上がれる〉という楽観的な視座が基調にある。この視座はラストの曲“In Heaven”でも目立つ。ジャズ要素が強い艶やかなサウンドと晴れやかな気持ちを歌う歌詞が映え、最終的には光を得る本作のストーリーに相応しい前向きな姿勢が輝く。FKJいわく、この曲はパートナーへのオマージュだそうだ。本当の天国とは、〈どこにいるか〉ではなく〈誰といるか〉だというメッセージが込められている。
他者との繋がりを大事にする姿勢は作品全体にも見られる。長年の友人であるラッパーのバスが参加した“Heavy Heart”は、深い友情を共有できる人と過ごすリラックスした心地よい雰囲気を漂わせる。さらに“Burst”ではベイビー・ローズを迎えている。今年7月発表の新作『Yearnalism』も素晴らしかったこのシンガーとは、とあるパーティーで偶然出逢い、それ以来交流を深めてきたそうだ。印象的な出逢いと深く結びついたゲストが多く、そのため本作は終始親密感を醸している。
『Tyber』は、思わぬ偶然や出来事によって暗い情動が解きほぐされ、幸せに導かれる体験を記録したアルバムだ。他者との交わりから苦境を抜け出すチャンスが生まれ、そのチャンスを掴んだ者の喜びと余裕が感じられる。そこには、表現者としてだけでなく、人としても成長したFKJの新たな姿が刻まれている。そんな姿を見ると、他者との交流を介して、異なる文化、価値観、視点に触れて自分の可能性が広がることのおもしろさを知ることができるだろう。
FKJの近作を紹介。
左から、2022年作『V I N C E N T』、2024年のライヴ盤『22_23 Live Sessions』(共にFKJ)
関連盤を紹介。
左から、FKJが参加したクレヨンの2025年作『Home Safe』(Erased Tapes)、ソフィアン・パマートの2026年作『Movie』(88 Touches)、『Tyber』に客演したバスの2023年作『We Only Talk About Real Shit When We’re Fucked Up』(Dreamville/Interscope)、ベイビー・ローズの2026年作『YEARNALISM』(Secretly Canadian)