神戸のシンガー・ソングライター/プロデューサーであるTsudio Studio(ツジオ・スタジオ)がリリースしたアルバム、『Soda Resort Journey』が話題だ。前作『Port Island』(2018年)(同郷のミュージシャン、tofubeatsからも太鼓判を押された)が評判を呼ぶなかで発表された本作は、Local VisionsとULTRA-VYBEというダブルネームのレーベルによる、記念すべき初の全国流通作となった。
〈架空の航空会社「Soda Resort Airline」で巡る旅〉というコンセプトのもと、軽やかなサックスの音色とドリーミーなリヴァーブの糖衣に包まれたTsudio Studioのサウンドは、夢見心地な音楽旅行へと聴き手をいざなう。台湾のMandark(I Mean Us/Sweet John)、大阪のゆnovation、岡山のさとうもか、東京のMIRU(JaccaPoP)、そして国籍不明のCrystal Colaといった個性豊かな音楽家たちの貢献によって、リスナーはさらに〈ここではないどこか〉へと連れ去られていく。
そんな『Soda Resort Journey』についてのロング・インタビューを、ここにお届けしよう。今回は特別に、アルト・サックス奏者/トラックメイカー/作曲家のhikaru yamada(hikaru yamada and the librarians)にもインタビュアーとして参加してもらった。同じくLocal Visionsからfeather shuttles foreverとして作品を発表している(そして、Tsudio Studioの大ファンである)yamadaと2人で、Tsudio Studioを質問攻めにした。
Tsudio StudioがTsudio Studioになるまで
――(天野龍太郎)wai wai music resortのエブリデくんによるインタビューでは、レディオヘッドからオウテカやエイフェックス・ツインなどのエレクトロニカを聴くようになったとおっしゃっていましたね。TSUTAYAでCDを借りまくっていた、とも話されていて共感を覚えました(笑)。
「TSUTAYAっ子でしたね。レコード屋さんでは、神戸にJET SETがあったのが大きくて」
――(hikaru yamada)JET SETって神戸にもあったんですね。
「そうなんですよ。短い期間でしたけど。神戸は文化的なおもしろい場所が根付きにくくて、ずっともったいないことをしているんです。街として文化を育てていく意識が低いのは残念ですね。
神戸の(三宮)センター街で海外の音楽を扱っていたのは、タワーレコード、HMV、ヴァージン・メガストア、JET SET、TSUTAYAと5つあって、それぞれを使い分けて見るのがルーティンでした。ヴァージンにはエレクトロニカの珍しいCDを置いている小さいコーナーがあったので、たぶん好きな担当者がいたんでしょうね」
――(天野)Tsudioさんがギターを弾き始めたのは?
「中1か中2やったかな。近所の商店街でフォーク・ギターを両親に買ってもらったのが最初ですね。アコギやったのは、見た目がかっこよかったからかもしれないです(笑)。そのうち友だちとバンドをやろうって話になって、エレキ・ベースを買いました」
――(yamada)打ち込みをやるようになったきかっかけはなんですか?
「バンドではカヴァーをやっていたんですけど、発展がなくて、〈自分たちで作り上げてなんぼやろ〉って思ったんです。それでメンバーとテンションが合わなくなってしまって。僕はメンバーの3人で買ったMTRを使いたおしていたんですけど、これなら1人でできるって気づいて、宅録を始めました。
高校時代にサンプラーでエイフェックス・ツインから影響を受けた曲を作って、MDに入れて友だちに聴かせたら、めちゃくちゃ褒めてもらったことが原体験ですね」
――(天野)DAWを導入したのは?
「大学入学後にバイトで頑張って9万円くらい貯めて、Cubaseを買いました。そのときはバンドを組むつもりはなくて、いまみたいな(ソロの)スタイルで最初からやりたかったんです。
歌モノもやりたかったんですけど、自分の歌をプレイバックで聴いたときの最悪な気持ちに耐えられなくて(笑)。そこでようやくミックスって概念に気づきました。
当時は作曲よりもミックスに興味があって、ある程度作ったもののアレンジやミックスにハマっちゃったんです。音そのものが好きで、音が完成されていないとすごく嫌だった。Myspaceも出てきたんですけど、〈これじゃアップできない〉って思って積極的じゃなかったんです。〈荒削りなままでいいからどんどん発表しなよ〉って当時の自分にアドバイスしたくなりますね(笑)」