Mikikiで連載中の〈ポップの羅針盤〉。ポップミュージックがはらむ〈予感〉について、社会の〈羅針盤〉になり得る可能性について、音楽評論家/ジャーナリストの柴那典さんがその時代性を読み解く連載です。今回のテーマはlilbesh ramko、Kabanagu、PAS TASTA、Peterparker69。 *Mikiki編集部

★連載〈ポップの羅針盤〉の記事一覧はこちら


 

〈ニューポップスタンダード〉が到来している。

 人工音声のボイスサンプルが「New Pop Standard」と告げる。激しく音割れした電子音が上から下まで音域を埋め尽くし、その隙間から、まるで悲痛な叫びのような、もしくは祈りのような歌声が聴こえる。

なんでもいいからさ
楽しい話を聞かせて
全てがどうでもよくなるような
(lilbesh ramko“New Pop Standard”より)

 この切実さに、心当たりがある。lilbesh ramkoのアルバム『Ramko Helvetica』を聴いて最初に思ったのは、そういうことだった。2002年生まれ、SoundCloudを拠点に活動を始め、インディペンデントな活動形態ながら日本のハイパーポップムーブメントの中心人物となっていった彼。一聴して伝わるそのサウンドのシグネチャーは、極限まで音を歪ませたシンセと、みっちりと詰め込まれたグリッチノイズのビート。でも、その向こう側に、シンガーソングライターとしての本質というか、〈歌わずにはいられなかったこと〉の発露を感じる。

 一人の孤独な胸の内に宿る衝動や葛藤や渇望が、たしかな熱量として音に宿る。それは、鳴らすサウンドの手法やジャンルとは関係なく生じる。ディストーションギターをかき鳴らして歌うときも、ベッドルームでGarageBandに向き合うときも、変わらない。

 『Ramko Helvetica』は、これまでにリリースした『終末collection』『徘徊collection』という2枚のアルバムに続く新作。全37曲、1時間48分の大作だ。アルバム1枚の分量としては、明らかに過剰である。音楽のみならず、すべてのエンタメがファストに消費される時代。その趨勢には明らかに背を向けている。でも、その〈過剰さ〉に意味がある。

 そもそもハイパーポップやデジコアと呼ばれる音楽ジャンルが生まれ、定着していった背景にも、そういう〈過剰さ〉がある。源流としてのSOPHIEやA. G. Cookにも、既存の枠組みに収まりきらない音色に自らの存在を託した美学を感じる。100 gecsは極端な音の加工や唐突な展開に感情の爆発を見出し、glaiveは焦燥を、underscoresは夢想を膨らませていった。音割れやノイズの手法自体はいくらでもチュートリアル的に学ぶことはできる。でもその〈収まりきらなさ〉や〈どうしたってハミ出てしまうもの〉に何を見出し、何を願うかに、アーティスト性が宿る。

 『Ramko Helvetica』ではピアノ弾き語りに接近した“Hatena Archive”や“Nothing”、アコースティックギターの音色を用いた“Backseat Survivor”や“All The Things I Said”など、あえて音数を減らして一人称の歌にフォーカスをあてた曲も印象的だ。従来の作風にも、ハイパーポップという括りにも収まりきらないlilbesh ramkoの歌への欲求を感じる。

 Kabanaguの新作アルバム『図の図』にも、そうした〈過剰さ〉に彩られた歌心の輪郭を感じる。1998年生まれのシンガーソングライター/トラックメイカーで、PAS TASTAのメンバーでもある彼。同じくPAS TASTAのメンバーであるhirihiri、phritz、quoree、ウ山あまね、yuigotと並び、DAWによる緻密な音作りを得意とし、ネットコミュニティから登場したクリエイターだ。2021年の1stアルバム『泳ぐ真似』では、特徴的な音割れをサウンドの突破口にしてきたが、2022年の2nd『ほぼゆめ』では歌を主軸にした作風を展開。約4年ぶりとなる新作は、前2作から続く三部作の最終作に位置づけられている。

 『図の図』は、Kabanaguのルーツにあるオルタナティブ・ロックに立ち返り、バンドサウンドへの接近も試みたアルバムだ。サポートミュージシャンの参加もトピックだろう。“プロト”では、ギターにシノダ(ヒトリエ)、ベースに西口直人(Age Factory)を迎えている。シノダが奏でるギターの音色にはNUMBER GIRLから脈々と連なる〈焦燥をかき鳴らすギター〉の系譜を感じる。

 “目送”では波多野裕文(People In The Box)がアコースティック・ギターを担当している。Kabanaguの凛として真っ直ぐな歌声、言葉選びの感性には波多野裕文に通じるものも感じていたので、とても相性のいい組み合わせだと思う。

内緒の炎で羽をかたどる
風も報いも受けて滑走路を行く
はずんでふわり浮く
(Kabanagu“目送”より)

 曲にはこんな言葉が歌われる。内に込められた思いが、羽や滑走路のモチーフを借りて、飛翔していく。そこにみずみずしい詩情を感じる。

 PAS TASTAが9月にリリースしたシングル“LAG”にも、何かしら通じ合うものを感じる。もちろんKabanaguがメンバーであり、この曲では歌唱も担当しているので当たり前ではあるのだけれど、それだけじゃない。畳み掛けるようなリズム、エモーショナルなメロディに、たしかな推進力を感じる。

 今年8月にリリースされたPeterparker69のEP『outernet 開く』にも、確実に〈次のポップのスタンダード〉が芽吹いているのを感じた。野田洋次郎(RADWIMPS)をゲストに迎えた昨年の“Hey phone”も話題となった彼らは、JeterとY ohtrixpointneverの2人組。ルーツや拠って立つシーンの磁場は少し異なるかもしれないが、彼らにもlilbesh ramkoとの同時代性を感じる。ハイパーポップやデジコアのエッセンスというよりも、やはり歌心の発露に通じ合うものを感じる。

 2010年代のEDMやメロディアスなヒップホップ、実験的なエレクトロニック・ミュージックなど、様々な音楽を源流に持つ彼ら。これまでの作品では、声もトラックの素材のひとつとして聴かせるような風合いがあって、それが夢想的なムードにつながっていた。でも、『outernet 開く』は、より芯が強くなったJeterのボーカルが軸になっている。“where 2人”のハイトーンのファルセットに、特にそれを強く感じる。

 Peterparker69は〈ポップデュオ〉を名乗り、ポップスであることを重視している。PAS TASTAは〈J-POPプロジェクト〉として活動を展開している。lilbesh ramkoは〈New Pop Standard〉を標榜し、12月3日、Zepp DiverCity (TOKYO)で自身最大規模のワンマンライブを予定している。

 いろんなアーティストが、音響の冒険と歌心を両立しつつ〈誰にも使い古されていない「エモさ」〉を探し求めている。

 そうやって解き放たれた情動が、リスナーやオーディエンスの胸の内に伝播して、輪を広げていく。そういう現象を象徴する言葉のひとつが〈ポップ〉なのだと、僕は思う。

 


PROFILE: 柴 那典
1976年、神奈川県生まれ。音楽評論家/ジャーナリスト。京都大学総合人間学部を卒業、ロッキング・オン社を経て独立。音楽を中心にカルチャーやビジネス分野のインタビューや執筆を手がけ、テレビやラジオ出演など幅広く活動する。著書に「平成のヒット曲」(新潮新書)、「ヒットの崩壊」(講談社現代新書)、「初音ミクはなぜ世界を変えたのか?」(太田出版)、共著に「ボカロソングガイド名曲100選」(星海社新書)、「渋谷音楽図鑑」(太田出版)がある。ブログ〈日々の音色とことば〉。
X:@shiba710
note : https://note.com/shiba710/