〈音楽〉と〈クラフトビール〉という2つのテーマを柱に、昨年8月に記念すべき第1回が実施されたイヴェント〈CRAFTROCK FESTIVAL〉。その第2回が、5月30日(土)に東京・晴海客船ターミナル特設ステージで開催されます。青空が広がり潮風も薫る最高のロケーションのなか、こだわりのブッキングで集められたアーティストたちの音楽を聴きながら、国内外の銘柄60種類以上という、さまざまなスタイルの樽生クラフトビールが楽しめる〈CRAFTROCK FES〉。Mikikiでは、そんなフェスの魅力に迫る特集のスペシャル・コンテンツとして、97年から2001年までの短い活動期間ながら国内のエモ/ポスト・ハードコア・シーンに多大な影響を与え、今回のフェスの舞台で約14年ぶりの復活を果たすbluebeardの超貴重なロング・インタヴューをお届けします!
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【メンバーそれぞれの歩み】
――みなさんキャリアの長いミュージシャンなのですが、あえて自己紹介からお願いできますでしょうか。
高橋良和「bluebeardの高橋です。ギター/ヴォーカルを担当しています」
ジョージ・ボッドマン「ギターのジョージです。bluebeardが止まってからはNAHTというバンドに入って3年くらい活動しました。NAHTを辞めた後、 しばらく学生生活をしっかり送ろうと思っていたタイミングで、愛知の豊田を拠点にしているTURTLE ISLANDに加入しました。もともと10代の頃からの仲間がいたこともあって。東京から豊田まで通い始めて今年で12~13年くらいになります」
――bluebeardが止まっていた期間とほぼ同じくらいですね。
ジョージ「そうですね。それとは別に、3年くらい前にenvyのドラマーのダイロクくん(Dairoku Seki)と、FC FIVEでベースを弾いているTokuちゃんの3人でSTORM OF VOIDを始めました。その2つをやりつつ、仕事として通訳をやっていて、海外アーティストの通訳や歌詞の対訳、日本のバンドの日本語詞を英語にすること、映画/CMの撮影現場だったりでも仕事をしています」
鶴沢志門「bluebeardのドラムの鶴沢志門です。僕はいまは音楽活動をしていなくて、今回の話をもらって12年ぶりくらいに音楽に関わりました。それまでは、bluebeardの前にSOBUTのメンバーとしてライヴを中心に活動していた時期もあって、それ以前にもちょこちょことはバンドをやっていたんですが……」
高橋「俺の同級生ともやってなかったっけ?」
鶴沢「そうなの!?」
高橋「タクって覚えてない?」
一同「あぁ~」
戸川琢磨「俺しか知らないんじゃない?」
鶴沢「それは音源を出していたバンドじゃなくて……」
戸川「でも面白いメンツだったよね」
鶴沢「当時僕はボディーピアスに凝っていたんですが、そういうお店にたむろしていたときに、タクくんというギタリストに〈いまドンキーコングというプロジェ クトをやっているから参加しない?〉と誘われて。スタジオに行ったら、当時SOBUTをやっていたモトアキくんと、モアイくん(上杉隆史:ENDZWECK)だったかな……ちゃんと覚えていないんですが、そのメンツで遊んでいるうちにSOBUTのドラムが辞めるという話になって〈入らない?〉という流れになったんです」
――SOBUTへの加入はそんな経緯だったんですね。
鶴沢「SOBUTとしての音源はプリプロで一枚録っただけで、実際世には出ていないです。ツアーをしばらく周った後に僕から〈辞めたい〉という話をして。辞めた後にレコード屋でブラブラしていたら、いまOSRUMでベースを弾いている羽田さん(羽田剛:元nine days wonder、NAHT、AS MEIASなど)に偶然会って〈bluebeardというバンドがいて、ドラムがいないんだけどどう?〉と聞かれて、2曲入りのデモテープをもらったんです」
――それはbluebeardの1番最初の音源ですか?
鶴沢「そうですね。僕はbluebeardのことはまったく知らなかったけど、家に帰って聴いてみたら〈カッコいいな〉と思って。当時メンバーだった北村くん(北村琢二:元SOME SMALL HOPEなど)に電話をして〈元SOBUT〉という部分を全面に出しつつ、半分ゴリ押しで(笑)。bluebeardに関してはそんな風にアプローチしてやらせてもらうことになりました」
高橋「いい話だね(笑)」
――このエピソードは本邦初公開では?
戸川「そうかもしれないですね。僕はbluebeardの後はwordやBROKEN BOYってバンドをやっていて。それとcomeback my daughtersですね。その前にmayonnaiseというバンドもやっていました。いまはサポートでHUSKING BEEの磯部正文くんのバンドや、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのゴッチ(後藤正文)のバンドなど、こまごまとやっています。あと、昨年までChurch Of Miseryというドゥーム・バンドでギターを弾いていたカワベくん(Ikuma Kawabe)がやっているMakhno(マフノ)という重めのロック・グループにも参加しています」
【いま明かされる結成秘話】
――bluebeardは結成が97年ですよね。
戸川「たしか12月だったと思います」
――どういった経緯で結成に至ったんですか?
高橋「bluebeardの初代メンバーの川上くんというドラマーと、北村くんというもうひとりのヴォーカルがいて……僕がbluebeardの前にやって いたバンド(STANDSTILL)の頃の話ですが、僕から〈辞めたい〉と言ったときに2人に引き止められたんです。〈お前のバンドでいいから、一緒にやらせてほしい〉って。じゃあ自分のバンドにしようと思い立って、ベーシストを探していたときに中高の同級生だったタックン(戸川)が……」
戸川「違う、先輩ね(笑)」
高橋「あ、ごめん1コ上の先輩だ(笑)。失礼しました。軽音部の先輩でずっと知っていたんです」
戸川「よっちゃん(高橋)は当時から先輩に敬語を使えない後輩で(笑)、でも僕もなんとなくそういう人が放っておけないタイプだったんです。よっちゃんがよく夜中に電話をかけてきて、当時やっていたバンドの愚痴をこぼしていたのを励ましていた記憶があります」
高橋「COURAGE II CARE(戸川とジョージが当時在籍していたバンド)がきっかけじゃなかった?」
戸川「川上くんと偵察がてらライヴを観に来てたよね。〈ABC PARTIZAN GIG〉ってイヴェントに」
高橋「でもなんでタックンと連絡を取り合っていたか思い出せないな」
戸川「名前は忘れちゃったけど、よっちゃんはあの頃もうひとつバンドをやってたよね? そっちで〈やらない?〉って誘いを受けていて」
高橋「たしかにbluebeardの曲を、同級生たちと組んでいたbluebeard以前のバンドでやろうとしていましたね。そのときはメンバーにギター/ ヴォーカルがいたから、仕方なくドラムを叩いたりしていたんです。でも練習に来ないメンバーもいたことでバンドがダメになって。ただ、曲がもったいないから、それを演奏するために北村くんたちとやろうという話になり、タックンを誘った気がします」
――それがbluebeardだったんですね。
【活動当時のエモとの距離感】
戸川「当時僕はメロディック・パンクにはあまり興味がなくて、ハードコアやメタルがすごく好きだったんです。その流れでポスト・ハードコアも聴いていて、エモも知っていました。初期のエモがやっと日本に入ってきはじめて〈知ってる人は知ってる〉くらいのタイミングで」
――まだかなりアンダーグラウンドな音楽だったと思います。
戸川「よっちゃんたちとそういった音楽の話もしていたから、〈どこで練習してるの?〉と聞いたら家から歩いてすぐのスタジオだったので〈じゃあやってみようかな〉と。それが最初でしたね」
――97年といえば、ゲット・アップ・キッズとミネラルのファースト・アルバムがリリースされた年でした。テキサス・イズ・ザ・リーズンの初アルバムが96年、サニーデイ・リアル・エステイトの代表作『How It Feels To Be Something On』が98年と、後々エモの名盤と呼ばれる作品が続々と出ていたタイミングで……
高橋「でも当時はあまりエモという意識はなかったかな。俺はUKメロディック(・パンク)がすごく好きで、テキサス・イズ・ザ・リーズンも聴いていたけど、 その頃はよさがまだわかっていなくて。わかりやすいメロディーが好きだったので、UKメロディックや、その元になったダグ・ナスティやハスカー・ドゥのほうが好きだった。それを土台にして曲を作っていましたね」
――当時のエモを意識していたわけではなかったんですね。
高橋「でも結局それらもエモのもとにあたる音楽だと思うんです。だから自然な流れでbluebeardの音楽性ができていったんじゃないかな。テキサスやサニーデイは、どちらかといえばbluebeardを始めてから意識するようになった」
――並走していた感覚に近いのかもしれないですね。
高橋「そのうちエモのよさも段々とわかってきて。レヴェレーションのバンドなんかも聴くようになって、徐々にミドルテンポのロックのカッコよさに気付いていくんです。最初はテンポの早い曲が多かったけど、だんだんミドルテンポになっていって」
――最初のデモテープに入っていた“Bittersweet”も、後のスタイルから考えるとちょっと早いですよね。
高橋「アップテンポの曲が多かったですね」
――では当時のエモを聴いて、どういった部分に惹かれたんでしょうか?
高橋「エモという言葉の意味がよくわからなくて、最初はNAT RECORDS(西新宿のレコードショップ)の店員がただ騒いでいるだけ、くらいの認識だったかな(笑)。個人的には、総じて〈ハスカー・ドゥっぽいバンド〉と呼んでいて。UKメロディックもそうだし、水面のようにギターがキラキラしている感じのバンドをすべて〈ハスカー・ドゥっぽい〉と判断していましたね。そういう音のバンドは全部聴くくらいの勢いだったけど、いわゆるエモとして意識しはじめたのは、サニーデイ・リアル・エステイトの音がわかってきてから」
――サニーデイがポイントだったんですね。
高橋「サニーデイも最初の頃は、バランスが悪くて変な曲だなと思っていて。綺麗なところがあるのに、唐突に狂気じみたものを感じる瞬間があるというか。精神的にアンバランスな人が作った曲に思えた。でも聴いていくうちに魅力がわかってきて……病的だけど強い美意識を持っているような。それが自分のなかでのエモと呼べるものになっていって、サニーデイ=エモという認識に変わっていったんだと思います」
戸川「僕はよっちゃんと少し違うんですが、ずっと聴いていたハードコアの音楽をリリースしていたレヴェレーションというレーベルがあって、そこが急にカレッジ・ロック的な音楽を出し始めたんです。鶴井くん(元STATE CRAFT)という友達がそれを聴かせてくれて。その流れでゴリラ・ビスケッツというハードコア・バンドのウォルターという人が、クイックサンドというバンドを組んだときに〈ポスト・ハードコアという音楽があるんだな〉と知ったんです。あとはシフトというバンドなんかもそうですね。実はその括りのなかにテキサス・イズ・ザ・リーズンがいた印象で」
――テキサスといえばレヴェレーションですもんね。
戸川「そういった音楽の文脈のなかで聴けたんじゃないかな」
ジョージ「僕もそんな感じでしたね」
戸川「僕とジョージくんはベーシックな部分で似たようなところがあって。お互いがもともとストレート・エッジ(享楽的な生き方にアンチを唱えるハードコアのスタイル)のようなところがあったから、その延長で知った感じですね」
ジョージ「僕もよっちゃんが好きなようなUKのバンドは、もともとよく聴いていました。もとを正すとハスカー・ドゥに当たって……といった同じあたりを聴いていて。同時にハードコア・シーンのゴリラ・ビスケッツだったりも聴いていたんですが、それまではリアルタイムじゃなかったものが、クイックサンドやテキサス あたりから同期しはじめたことが大きかったんじゃないかな。〈ハードコア・バンドでもこういう音はアリなんだ〉という気付きがあって。僕はその頃はbluebeardのメンバーではなかったんですが、彼らが鳴らしていた音がまさしくそういったサウンドだなと思っていました」
――エモのスタイルが出来上がってから影響を受けたのではなくて、海外のバンドと同じような背景を持ったまま音を作り上げていったような……
高橋「聴いていた音楽が彼らとたまたま一緒だっただけだと思うんですけどね。エモを意識しはじめた頃は、まずテキサスを意識して、徐々にサニーデイに移っていった意識が自分のなかであります。リフの感じだったり、テキサスはスマッシング・パンプキンズとか聴いてたんじゃないかな? 俺も中学の頃はスマパンが好きだったから。テキサスにはスマパンだけじゃなくサニーデイ的な要素も入っているけど、それらがうまく消化されてジャンルとして確立されていくのを〈うまく更新されてるな〉と見ていました。そこから影響も受けたし」
――自分たちの進化と同時進行で海外の動きを眺めながら刺激を受けていたような。
高橋「土台はハスカー・ドゥやスマパン、クイックサンド……ルーツをうまくミックスしたのがテキサス・イズ・ザ・リーズンだったのかな」
【日本のエモ/ポスト・ハードコア黎明期の記憶】
――一方といいますか、当時bluebeardが国内で一緒にライヴをやっていたようなバンド、NAHTやnine days wonder、YOUR SONG IS GOOD、BREAKfAST、comeback my daughterだったり……音だけで考えるとみんなbluebeardとは違うじゃないですか。どんな風に意識していたのかな?と思って。
戸川「みんないい距離感で意識し合っていたから、音的に〈似せよう〉とは思わなかったんじゃないですかね」
高橋「俺のなかでは〈活動している界隈が違う〉っていう意識はあったけどね。それぞれ違う場所でやっていたけど、スタジオ・ライヴという都合のいい場所があったから結果的に出会っていったんじゃないかな。300円でお客さんを入れて、気軽にライヴができるし。そこにちょろちょろとみんなが集まってきたんだと思う」
――その界隈のバンドに限らず、当時国内で影響を受けたバンドはいましたか?
高橋「国内はいたかな?」
ジョージ「同じ時期にやっていたバンドは、音は違えど身近な人ほどいい影響を受けていた気がします。それこそnine days wonderやenvy、NAHT……まったくジャンルは違うけど田舎が同じで仲間だったNICE VIEWもそうだし、いろんなファストコアのバンドも、 近くにいる人たちのほうが〈ヤバい、すごい曲作ってきた!〉とか影響があったんじゃないかなと思います。みなさんはいかがでしょうか?」
高橋「俺は奢り高ぶってる性格だから(笑)、常に外人しか意識してない状態だったかな。〈負けねー!〉って。これもいまだから言える話だけどね(笑)。それがよかった気もする。ただ、nine days wonderなんかは実際対バンしてみて〈外人みたいだな〉と思ったけど」
【それぞれの技術論】
高橋「基本的には、演奏力がなくても曲作りでは絶対負けないって意識がすごく強かった」
ジョージ「それと同時にメンバー内では、例えばシモンくんはドラムに関しては海外の一流プレイヤーまで幅広く聴いていて。当時は全然知らなかったセッション・ド ラマーとか。タックンとよっちゃんも、演奏のスキル面はすごく高いところを目指して、幅広く音楽も聴いて吸収しようとしていたし、テクニカルな部分や機材面に関しても貪欲だった」
――メンバー間で刺激を受けることもあったと。
ジョージ「プログレやら、スタジオ・ミュージシャンのセッション・ワークだったり色々聴いて。そういった細かいところはメンバー間で情報交換しながら〈こんな風に弾けるようになりたい〉とか話していましたね。短い活動期間のなかでも濃く話していたと思います」
――ちなみに鶴沢さんがその頃に聴いていたドラマーって、どういった系統の人ですか?
鶴沢「僕はもともとメタル上がりなんですが、当時はいま話に出たようなスタジオ・ミュージシャン系のドラマーとか、bluebeardの音楽性に少し近いところだとデフトーンズのドラマー(エイブ・カニンガム)かな。〈リズム&ドラム・マガジン〉に載っているようなドラマーの音を聴いて、ちょっとずつ技を盗んで手を加えたりして」
ジョージ「俺がすごく覚えているのは、シモンくんがパール・ジャムで叩いているマット・キャメロンが好きだったこと。部屋に遊びに行くと、超テクニカルなデス・メタル・バンドのシニックのドラマー(ショーン・レイナート)のヴィデオをすごく観てたね。ヴィニー・カリウタ(フランク・ザッパ門下生のセッション系ドラマー)の話で盛り上がったり」
戸川「シモンくんはデス・メタルから何から本当に幅広く聴いてたよね。いまで言うシック・ドラマー(メタル/エクストリーム・ミュージック系ドラマーを扱うUSのメディア)系で括られるような人たちを当時から聴いていたイメージ」
鶴沢「そういえば当時から彼(戸川)とメシュガーの話をしてた覚えがある」
戸川「シモンくんがbluebeardに入る前に下北沢SHELTERにライヴを観に来てくれたことがあって、帰りの電車が一緒の線だったんです。そこでそういった音楽の話になって〈すごいの聴いてるんだな〉と思って」
ジョージ「一方ではスティーリー・ダンとか聴いてたしね。〈バーナード・パーディーのパーディー・シャッフルがヤバい!〉とかさ。よくエモって一括りで言われるけど、当時僕らが聴いていたものは本当に違ったジャンルのものばかりで。とにかく楽器が上手くなりたい、いいものが作れるようになりたいって気持ちが強かったですね」
高橋「ほかの3人はそうだったけど、俺は全然違ってたかも」
ジョージ「でも彼(高橋)が一番テクニカルなことを求めていたんですけどね。曲も全部書いてきて」
高橋「そういう意味では俺が一番天然だったね。スタッカートを注意されたのを覚えてる」
鶴沢「天然だけど上手いんだもん(笑)」
高橋「〈スタッカートが甘い!〉とかよく言われてた気がするよ。俺はもともとバンドが好きになる前は映画音楽やクラシックが好きだったから、そういった感じで曲を作っていたけど、この3人はメタルをよく聴いていたからイメージを具現化するスキルは彼らのほうがあって。俺はニュアンスだったり抽象的な伝え方しかできなかったから、理論的にはまとまっていなかった。音符が前にあったほうがいいとか、その頃はそういった説明は全然できなかったよね」
――でも結果的には役割分担としてはうまく機能していたのでは?
高橋「たしかにそうですね」
鶴沢「バラバラだったけど面白かった」
高橋「実際のところbluebeardは話が早かった。スタジオで〈こういうプレイがしたい〉というときにはすぐにできたし」
ジョージ「俺が一番足を引っ張っていたんです。あまりスキルにはこだわらない部分も勝手にあって。よっちゃんが全部曲を書いてきて、その時点でギターもできていたので、みんなが納得する水準までちゃんと弾けるようになりたい、というところに一生懸命でしたね。〈自分らしさ〉みたいな部分はまだ全然わかっていないくて、そういうエッセンスを入れる余地も余裕もなかった。そのあたりはみんなに理解してもらいながらやっていたかな。みんな20代前半だったけど、とにかく向上心はすごくあったと思う」
――切磋琢磨していたんですね。
ジョージ「まわりも向上心の塊みたいなバンドばかりだったので。〈nine days wonderの練習量は絶対すごい〉とか〈NAHTのリハは半端じゃない〉とか〈envyのスタジオは怖くて遊びに行けない〉とか(笑)。そういう状況のなかにいたので、いまよりスタジオでもギスギスしながらやっていたと思います」
戸川「いま考えると、一回のライヴで死んじゃうんじゃないかと思わせる人たちが多くて(笑)。そういう状況のなかで影響を受ける部分は確実にあったと思う。身近な人たちの影響はライヴに依るところが大きいんじゃないかな」
ジョージ「他人のリハーサル・スタジオは見に行けないしね。ほかのバンドのリハスタのことをすごく気にしていた時期があって。〈え? 4時間も入ってるの?〉とか(笑)」
高橋「2時間以上入った記憶がないもんな。特別なライヴが決まらないかぎり、基本的には毎週1回2時間だったよね」
【bluebeardの眼に映るエモ・リヴァイヴァル】
――5月27日には唯一のアルバム『bluebeard』がリマスター盤で再発されます。いま振り返ってみて、当時では見えなかった部分もあると思うのですが、現在のみなさんがどう捉えているのかという部分を訊きたくて。
戸川「録った当時は、もっと頑張れたなと思うこともあったけど、いまはいい思い出でしかないですね」
高橋「あのときは全員そのときのベストを尽くしたんじゃないかな。みんな全力でやっていたから、いまだに誇っているし。いまの音楽と比べるものじゃないと思う」
――なるほど。少し話は逸れますが、今年ミネラルの来日公演が一部完売になって、6月のアメリカン・フットボールのライヴもチケットが即完売となりました。ここ数年、特に海外のオリジナル・エモ世代のバンドの再結成/リヴァイヴァルのような流れがあるかと思いますが、そのあたりの動きはどんな風にご覧になっていますか?
戸川「ミネラルは観に行かなかったんです。たぶんうちは全員あまり興味がなくて」
ジョージ「全員ないと思います」
鶴沢「当時はミネラルってバンド自体僕は知りませんでした」
戸川「最初のLP(97年作『The Power Of Failing』)が出たときは〈いいバンドだな〉と感じたんですが、再結成したときには〈盛り上がっているんだな〉と思った程度で」
高橋「俺は好きだったけどね。ミネラルはよくサニーデイと比較されていたんですが、俺はサニーデイよりはU2の影響を感じていて。昔からU2が大好きだったからその流れでよく聴いていました。あのバンドもサニーデイとは違う意味で不安定さが味になっている部分があるから、当時リアルタイムで観てみたかったという気持ちのほうが強いかもしれないですね。リヴァイバルで観たい気持ちもあったけど、忙しかったりで結局行けなかったんです」
ジョージ「ミネラルは、当時NICE VIEWでドラムを叩いていた太郎ちゃん(竜巻太郎)と車のなかで聴きながら〈こんな泣き虫バンド聴いたことないな〉って笑いながら聴いてたのは覚えていますね。でも僕はそれ以降聴き返していなくて、いまの自分の趣味の形成には影響していないかな。いまのエモ・リヴァイヴァルで出てくるバンドに対しても、特に観たいと思うようなバンドはいないですね」
【若い世代のミュージシャンたち】
――例えばbluebeardも含めて、その世代のバンドに影響を受けて活動している若い世代のミュージシャンたちについてはどう思っていますか?
ジョージ「レコードのレヴューで、いわゆるエモだとかbluebeardっぽいとか書かれても、僕は興味がまったく湧かなくて。名前を挙げていただけること自体はすごくありがたいんですけどね。若いバンドの人でもたまに〈bluebeardが好きだったんです〉と言ってくれる方がいて恐縮するんですが…… 若手をフックアップすることは素晴らしいことだと思うけど、残念ながら自分から掘り進めたりはしていなくて」
高橋「興味がないというのとは違うんだけど、単純にそこまで聴いてチェックする時間がなくてフォローしきれていないというか。CD屋さんや批評する人に 〈bluebeardの影響が云々〉と書かれちゃうのはかわいそうだなと思います。きっと違うものに影響を受けていたりするのに、同じ日本人だからってbluebeardを引き合いに出されちゃうのはかわいそう。実際に何人かに言ったこともあるし」
――〈bluebeardの影響じゃないでしょ?〉とか?
ジョージ「でも本人が影響を受けたって言ってるのならそうなんじゃないの?」
高橋「でも他人にそれを言われるのは、曲を作っている人間からすると癪な部分もあると思うんです。個人的にはエモかどうかということより、不器用だけどはっちゃけているバンドだったら聴くかも。ジョージとも昔よく話していたけど、演奏力の部分の問題ではなくて〈技術があってもそれだけじゃダメだよね〉って。 奇麗に演奏するというのは作品を表現するうえではもちろん大切なことだけど、それよりもエネルギーやパワーやソウルが感じられるバンドに惹かれるんじゃないかな」
ジョージ「少なくともライヴはそうだよね」
高橋「俺は音源にもそれを求めちゃう。ジャンルがどうって話ではなくて、そういう部分が感じられるかどうか」
【復活の舞台〈CRAFTROCK FESTIVAL〉について】
―― 今回、5月30日に行われるフェス〈CRAFTROCK FESTIVAL〉がbluebeardの正式な再始動の舞台となるわけですが、通常のライヴや音楽イヴェントではなく、音楽とクラフトビールの2つが柱になる〈CRAFTROCK FES〉となった理由は何だったんですか?
ジョージ「それは僕ですね。僕がそもそもすごくクラフトビール好きで、自分で言うのもなんですが5年くらい前からかなりハマっていて。日本でまだあまり流行る前に、アメリカに行った際に知って好きになったんです。それでCRAFT BEER MARKET(フェス主催者のSTEADY WORKSが運営するショップ)の田中さんとたまたま知り合いになって、一緒に飲んでいる席でbluebeardのファンだと話してくれて。〈こういうイヴェントをやっているので、もしbluebeardが再結成するならぜひ出ていただきたい〉とおっしゃってくれたんです」
――意外な縁がきっかけだったんですね。
ジョージ「〈CRAFTROCK FES〉は昨年第1回が行われて、僕は行かなかったんですが、出演していたenvyのダイロクくんから話は聞いていました。たしかに、いきなりクラフトビール関連のフェスでbluebeardが14年ぶりのライヴをするというのは脈絡があまりにもなさすぎるから〈どうかな?〉という疑念はあったんですが、 田中さんの〈ぜひ!〉という熱意と、そもそも僕らはしっかり解散を銘打っていなくて、アルバムを出した後に1回もライヴをやらずに休止してしまったので、 〈タイミングとしてはいまなのかな〉というのがみんなのなかにもあって」
――では最後に、復活を楽しみに待っている人たちにメッセージをいただけますでしょうか。
戸川「天気がいいといいですね(笑)」
ジョージ「僕は一度TURTLE ISLANDとして晴海で〈KAIKOO POPWAVE FESTIVAL〉というイヴェントに出たことがあるんですが、あれはたしかに天気が悪いとしんどいかもしれない(笑)」
戸川「天気がいいことを祈るだけだな。特別なメッセージはないですね」
高橋「普通すぎるな(笑)」
〈CRAFTROCK FESTIVAL '15〉
http://craftrock.jp/fes2015/
日時:5月30日(土)
会場:東京・晴海客船ターミナル特設ステージ
開場/開演:11:00/12:00
出演:bluebeard、THE APPLESEED CAST、the band apart、jan and naomi、関口シンゴ、iri、QUATTRO、蔡忠浩
ビールリスト:Left Hand Brewing、コエドブルワリー、サンクトガーレン、BLUE MOON BREWING CO.、CRAFT BEER MARKET
【チケット販売】
http://craftrock.jp/fes2015/ticket/
前売/当日:4,800円/5,300円(共に税込)
※リストバンド交換時にIDチェックを行いますので、必ず身分証明書お持ち下さい。
★CRAFT BEER MARKETの下記5店舗にて特典付き前売りチケット販売
取り扱い店舗:虎ノ門店、神保町店、淡路町店、三越前店、高円寺店
価格:4,800円(おひとりさま4枚まで)
特典:チケットご購入時にパイントサイズのビールを1杯サービスさせていただきます。
★プレイガイド一般発売
・イープラス
http://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010163P0108P002130345P0050001P006001P0030002
・ローソンチケット
http://l-tike.com/pc/d1/AA01G04F1.do?txtEvtCd=78855&txtPerfDay=20150530&txtPerfSeq=+&venueCd=39985&srcID=AA02G08
(Lコード:78855/TEL:0570-084-003)
・チケットぴあ
http://ticket.pia.jp/pia/ticketInformation.do?eventCd=1517535&rlsCd=001&lotRlsCd=
(Pコード:262-590/TEL:0570-02-9999)
・楽天チケット
http://ticket.rakuten.co.jp/music/fes/RTHICRA
その他(注意事項等)
・未就学児の入場は必ず保護者同伴のうえ、保護者1名につき、未就学児1名のみ無料でご入場いただけます。ただし、ステージ前方への立入りは大変危険ですので禁止しております。発見した場合、エリアを移動していただきます(入場エリアの制限を設けております)。
・営利を目的としたチケットの転売は、いかなる場合も禁止いたします。また、転売されたチケットは無効となり、入場をお断りいたしますのでご注意ください。
・主催者、アーティストの都合により出演キャンセル/出演会場の変更がある場合があります。その際のチケットの払い戻しは一切いたしませんので、あらかじめご了承ください。
・当イヴェントは雨天決行です。ただし、荒天の場合は中止になる場合もございます。あらかじめご了承ください。