95 TIL INFINITY
耳で聴いたピープル・トゥリー
『空からの力』をめぐる音楽の果実は、ここに一本のトゥリーを生んだ

 

 

 十年一昔となれば、20年前は大昔である。それでも単なるノスタルジーではなく、95年に何かが起こり、何かが始まっていたのは間違いないだろう。世の中的に見れば阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件といった大きな出来事があり、そうした社会不安が漂う時代を象徴するかのように「新世紀エヴァンゲリオン」の放映が始まったのもこの年のことだ。一方で、野茂英雄のLAドジャース入団も95年だったりして、日本の才能が海外で認められることへの価値が再設定されたタイミングだとも言える(dj hondaの逆輸入も同年のトピックだ)。

 というのは前置きとして、日本の音楽業界でいうと、そこからの〈J-Pop〉時代を代表するような顔ぶれ——MY LITTLE LOVERシャ乱Qのブレイクがあり、何より小室哲哉の快進撃を決定づけるH Jungle with tglobeのデビューも95年のことだった(いわゆるミリオンを記録した作品の数がもっとも多かった年でもある)。そして、そうやって業界全体が大きな産業となることで、その時点でのメインストリームに属しないタイプ以外の音楽にも光があたるきっかけは増えていたのだろう。つまり、オルタナティヴな音楽のひとつとして日本産のヒップホップに世の目が向くのは自然な流れだったのかもしれない。まず、前年にスチャダラパー×小沢健二の“今夜はブギーバック”のヒットもあった流れ上、脱線3TOKYO No.1 SOUL SETかせきさいだぁ四街道NATUREといったスチャダラパーに近い名前が次々デビューしていったのは当然だろう。ただ、そうした状況へのカウンターとして、彼らとは異なるスタイルを志向するアーティストたちが奮起するのも必然だった。それは受け手の側にしても同様だったに違いない。ちなみに暮れの紅白歌合戦にはEAST END×YURIがラップ・アクトとして初出演。日本語ラップが広く浸透する下地はもう十分に整ったのだった。

 

RHYMESTER EGOTOPIA ファイル(1995)

ここに来てまだまだ新境地を見せる〈KING OF STAGE〉が、現在の男気三角形を成したセカンド・アルバム。デビュー作のヤングな軽さから力強く脱皮し、ギドラSOUL SCREAMをフィーチャーした“口から出まかせ”では、対抗意識も手伝ってかMC SHIRO宇多丸)もMummy-Dも刺さるラインを連発してみせる。MELLOW YELLOWGAKUを迎えたポッセ・カット“Return of Funky Grammar”も聴きモノだ。

 

 

MICROPHONE PAGER DON'T TURN OFF YOUR LIGHT ファイル(1995)

KG結成時にはすでに音源デビューも果たしていたグループが、満を持して発表したファースト・アルバム。リリース時にはほぼ解散状態だったとされているものの、DITCあたりの美学を継承したNY系サウンドのクールさと個性的に転がるラップもまた後世の基準となった。2009年にはMUROTWIGYで再結成も実現させている。

 

 

スチャダラパー 5th WHEEL 2 the COACH 東芝EMI/ユニバーサル(1995)

“サマージャム'95”を収録した……だけじゃない、これもまた95年のアルバム。前年の大ヒットを受けて時代の波に乗りつつも、確実にギアチェンジに成功した転換点とも言えるだろう。翻訳文のような調子で綴られた“B-BOYブンガク”という試みや、ポッセ・カットの“ジゴロ7”も当時の気概を伝えるかのよう。

 

 

BUDDHA BRAND 人間発電所 cutting edge(1996)

〈黒船〉として上陸してきた彼らもまた、よしだたくろう使いの危険なヴァージョンを収めたアナログ版の“人間発電所”を95年にリリース。NYでバトルも経験したギドラと同じく、海外帰りだったことで却って日本的な独自表現を育んできたことは興味深い。問答無用の音像と共に新しい価値の在りようを広範に流布した功績は大きすぎる。

 

 

ECD ホームシック cutting edge(1995)

シーンのスポークスマン的な立場も担っていた頃のメジャー・デビュー作。クボタタケシ高木完PMXらがプロデュースにあたり、アンサーソング“DO THE BOOGIE BACK”のほか、YOU THE ROCKとTWIGYをフィーチャーした“MASS対CORE”の熱気が眩しい。一方でアウトサイダー的な魅力もすでに薫ってくる。

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RIP SLYME Lip's Rhyme ファイル(1995)

同年のMELLOW YELLOW『MELLOW YELLOW BABY』への客演を経験し、まだティーンだった彼らが放ったデビュー・ミニ・アルバム。SUDJ FUMIYAは加入前で、プロデュースをEAST ENDやMummy-Dが手掛けた雰囲気も当然ながら現在とは異なるが、ファーサイドも引き合いに出されるユニークな表現はここから確立されていくのだった。

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VARIOUS ARTISTS 悪名 バッドニュース(1995)

勝新太郎の主演映画から名を取った、この時期の日本語ラップを象徴するノトーリアスなコンピ。RINONAKED ARTSRAPPAGARIYA、TWIGYなど、この後に単独作で名を馳せる顔ぶれがひしめき、当時のアンダーグラウンドに充満していたであろう熱気を伝える。HILL THE IQ曲にはZEEBRAも客演していた。

 

 

Sunaga t Experience STE ユニバーサル(2015)

〈レコード番長〉こと須永辰緒が、渋谷は宇田川町にオルガンバーを開店したのも95年。こちらのDJ生活30周年を記念する新作にはキャリアを通じて縁のある豪華なゲスト陣が駆けつけていて、特にZeebra、MURO、RINO LATINA IIECD、YOU THE ROCK★、スチャダラパーがマイクを回す“DIRTY30”は必聴だ。

 

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