インタビュー

KGDR(ex.キングギドラ)、ふたたび集結した3人が語るグループの結成当時と〈卒論〉のような存在だった『空からの力』

【PEOPLE TREE】 KGDR Pt.1

何もない地平にどこからか舞い降りた『空からの力』は、大掃除して道を切り拓き、確実に何かを次代に示した。やがて道は3つに分かれ、また一つになり、さらなる紆余曲折を経て20年。大いなる節目にKGDRとその名盤の功績を改めて考えてみよう

 

 

 〈さんピンCAMP〉を最初の頂点とするシーンの渦の中心にあって、ライミングとヴォキャブラリー、ポリティカルな領域にも及ぶメッセージ性で日本語ラップを初期設定した、K DUB SHINEZeebraDJ OASISのトリオ——KGDR(ex.キングギドラ)。その後に多大な影響を与えた彼らのファースト・アルバム『空からの力』(95年)がこのほどリマスタリングされ、20周年記念エディションとして復刻された。当時のEP収録音源や、未発表デモ2曲も加えた今回のリリースにあたり、グループの勃興期となる結成当時を中心に話を訊いた。

※bounce編集部より:インタヴューは4月後半に行われました

KGDR 空からの力 20th Anniversary Edition Pヴァイン(2015)

アウトサイダーだった頃

——ZeebraさんとDJ OASISさんは幼い頃からの仲とか。

DJ OASIS「小学校でヒデ(Zeebra)と知り合って、音楽好きってことで仲良くなって。音楽とかヒップホップのことで話が合うのはヒデだけだったね、最初は」

Zeebra「俺らは洋楽好きで普通にビルボード・チャートとか〈ベストヒットUSA〉とかチェックしてたし、“Thriller”は全部踊る、みたいな感じで。それでブレイクダンスに最初に触れたのが小6、中1ぐらいだったね」

OASIS「ブレイクダンスとかスクラッチにやられて、わからないなりに普通のコンポのターンテーブルでスクラッチやろうとしたりしてたから、とにかく知りたかったんだろうね、ヒップホップを。ガッチリ音楽としてハマリだしたのは中2、中3ぐらいかな」

——K DUBさんはお2人の3コ上で、Zeebraさんとは渋谷や六本木で顔を合わせるようになったんですよね。

K DUB SHINE「街で知り合った感はあるね。夏にプールで偶然会うとでっかいラジカセでエンジョイとかシュガーヒルの曲をすごいかけてて、〈若いのにずいぶんオールド・スクール好きな奴だな〉って最初は思った」

——その後ZeebraさんとOASISさんの2人の活動を経て、93年にキングギドラが結成されるわけですが。

Zeebra「初めは俺もDJやってて、オア(OASIS)と2人でやることになった時に〈じゃあラップするよ〉ってなったんだけど。それでコッちゃん(Kダブ)とグループ組もうって話になった時にオアを紹介して」

K DUB「俺もソロでやろうとしてたし、ヒデはトラックを作るから最初はそっちをお願いしようと思ってたんだけど、ヒデが日本語でラップやることになって〈やっぱ2MCでしょ!〉みたいな。ちょうど『Down With The King』(93年)でランDMCが復活して、ライヴをガシガシやってたんだよね。それに俺の印象だと、当時の日本にそういう感じのグループはいなかったから、掛け合いを入れながら一人がマイク外したらもう一人が言ったりとか、2人で合わせて一緒に言うとことか、そういうテクニックをパフォーマンスの中に入れて表現したいなっていうのが凄い強かった」

【参考動画】ランDMCの93年作『Down With The King』収録曲“Down With The King”

 

Zeebra「そこは研究に研究を重ねたよね。いまならネットで探せるけど、昔は実際にアメリカにいないと観られないから、コッちゃんとビデオも録りまくって、ランDMCだろうがATCQだろうが、いろんなビデオ観まくったし、聴きまくったし、ライヴも行きまくった」

——ライヴの見せ方含めて、それがキング・ギドラのベースになっていったと。一方、当時の日本のヒップホップについてはどう見てましたか?

Zeebra「その頃はパンク~ニューウェイヴを経てヒップホップに辿り着いたロンドン寄りのタイプと、いわゆるブラック・ミュージックやディスコの流れでヒップホップに入った六本木ノリのタイプですげえ分かれてて。俺らがロンドン寄りじゃなかったのは確かだけど、六本木ディスコ系はベースの黒人たちの雰囲気になびいてしまうカルチャーだから、そこはそこでまた俺たちとは違ってたんだよね」

——ギドラ結成時には、RHYMESTERMICROPHONE PAGERらはもう活動を始めてましたよね。

OASIS「その頃のラップはちゃんとラップになってないように思ったし、韻をカッチリ踏まないことに違和感を感じてたし、やっぱ俺らのほうがいいでしょみたいな感覚もあったな。仲良くするつもりもなかったというか、正直そこまで気にしてなくて、俺らは俺らのやりたいようにやればいいんじゃない?って感覚だった」

K DUB「シーンを塗り変えてやるっていうのは確信犯的にあった。その頃のRHYMESTERはキャンパス・ライフをラップしてたし、(MICROPHONE PAGERの)MUROはメロディアスで、リリカルな部分はあまり気にしてない印象に思えたから、もっとストリートを表現したラップをしたかった」

 

 

 

最初からクロスオーヴァーしたかった

——その点では、カタいライミングと合わさったベーシックなUSラップのスタイルを日本語に変換するアーティストがいなかったっていう。

K DUB「日本に手本がなかったし、ヒデも俺も最初は英語で書いてラップもしてたから、韻を踏むってことがどういうことか頭に入ってて、日本語でやる時もそれを日本語に直すっていう感覚があったと思うよ」

Zeebra「日本でもいろんな人たちがそれぞれいろんなことをやってたけど、ストリートのエッジがあって、知的で、ムーヴメント的で、ライフスタイルであって、韻もバッチリ……って、バランス良くいっぺんにできてる人がいなかったっていう感じだよね」

——そのバランスも、ギドラが当時のNYのラップ・シーンから受け継いだものですよね。

Zeebra「向こう(US)は向こうで、例えばプエルトリカンの奴らもすげえいっぱいいたし、ヒップホップは黒人だけのものじゃないと俺らは思ってたから、そういう意味でいろんなことをちゃんと献身的にやってきたし、いい加減にやってたら申し訳ないよね」

【参考動画】96年に行われた〈さんぴんCAMP〉でのキングギドラのライヴ映像

 

——なおかつ日本人としての目線はそこにあって。

K DUB「ドラッグでおかしくなっちゃう奴とか暴れて問題起こす奴とか、恐らく向こうのアーティストが見て育ってきたものを見てきた自負は俺らにあったし、3人とも家庭が複雑だったりして、東京とNYでパラレルに感じられた部分はあったんだけど。ただ、黒人がアフリカを誇ってるように俺らも自分たちのルーツをしっかり認識しないと、同じ土俵には立てないと思ったんだよね」

——それらも踏まえ、ライミングに代表されるラップの文法やヴォキャブラリーからコンシャスなテーマ選びまで、すべて形にしたのが『空からの力』と。ヒップホップのバトル的な側面を見る“大掃除”にしても、ハードコアなシーンの気運を大いに触発したはずで。

Zeebra「良い意味で俺らはシーンのアウトサイダーだったから、インサイダーたちもアウトサイダーにしてやられるわけにはいかないぜってがんばったんだと思う」

K DUB「自画自賛っていうか、ブラギン&ボースティングみたいなのも必要だし、バトル・ライムは必須だと思ってて、そういう要素はアルバムにひとつずつ入れればカヴァーできるとは思ってた。ただ、けっこう勘違いされるけど、俺たちはアンダーグラウンドなことがやりたかったわけじゃない。そこを突き抜けてクロスオーヴァーするものを作りたいっていうのは最初からあって、メッセージや言葉遣いは普遍的なはずなんだ」

 

 

 

卒論のようなアルバム

——実際の制作は、曲のテーマや曲順からKダブさんのイニシアティヴで進んだそうですね。

K DUB「その前に作ってたデモがしっかりしたものだったから、そこを指揮してどんどん広げてった感じ」

Zeebra「グループ名が決まったとこから、俯瞰から見た日本だったり、地球の歌を歌うっていうことがどんどんテーマとして決まってったんだよね。“空からの力”“見まわそう”“コードナンバー0117”“真実の弾丸”の4曲はデモテープに入ってた。そのうえソロ曲もすでに作ってたから、94年ぐらいの段階でほとんどできてたのかな」

——実際、どんな意識で制作に臨みましたか?

OASIS「毎日集まってたからね。夢中だったよ、いろいろ考えることとか、2人が書いたリリックを聴かされることに」

Zeebra「83年ぐらいに初めの衝撃を受けて結成が93年だから、10年間ヒップホップにやられっぱなしだったわけで。ヒップホップを知り尽くして、〈さあ日本語ラップの世界に攻め込みますよ〉っていう。だから、勝算しかなかった」

OASIS「当時周りにいたグループのラップはサプライズがなかったというか、曲のオチもなかったと思うけど、それを作って、ポイントごとにパンチラインもありつつ、ちゃんと韻を踏んでるってことがすごいなって普通に思った。だから俺も音作りたいってさらに思ったし、あとあと俺がマイクも持つようになるきっかけは、やっぱり2人のラップ、リリックやライムを聴いてヤラれたからだなと思うね」

——リリース20周年を迎えて、改めてこの『空からの力』をどう捉えてますか?

Zeebra「まあ誰にも何も指図されず、3人でよくやったなと思うけど、俺のラップは全然未完成だね。アルバムでいちばん最後に書いた“真実の弾丸”の3番だけラッパーとして表現が一個上になってる。韻をどこで踏むか悟らせないっていうこの時代の流行りもけっこう採り入れてるから、これをいま出すのは、〈こういうこともできますよ、こんな感じでもやってたんです〉っていうことでもあるけど、例えばギドラはファーストしか良くないっていうリスナーには、俺らが当時から既成概念・固定観念を打ち破っていこうよって言ってたことを、いつのまにか既成概念・固定観念にしてない?って思うこともあるかな」

OASIS「俺の役割でいえばまだまだ改善したい部分はあったけど、自分なりの音で表現できたし、スクラッチに関しては一曲一曲でパターン変えてやってるんだ。一発目だからピュアにヒップホップを表現してるって感じるし、〈教科書みたいなアルバム〉って言われるのも実際そうで、ヒップホップに限らず〈コンセプトのあるアルバム〉はこういう作りになるってことが、いま聴いてもわかりやすいと思う。いまはアルバム単位で音楽を聴く時代じゃないのかもしれないけど、この時代にこういうことやってた人がいるんだっていうのを確認してもらうことも大事だと思ってる」

K DUB「このアルバムを出してその後バラバラになった時は〈もうギドラでやることはないのかな〉っていう気持ちもあったし、これはプロとして出したっていうより、ヒップホップ大学を卒業して社会人になるためのグループスタディ、卒論だったんだって位置づけてた。それで封印してた時期や紆余曲折もあるんだけど、20年経って当時聴いてた人の子供も聴いたりするわけでしょ? だとしたら、しっかりクロスオーヴァーした作品だったってことだと思う。いまは、その状況から次に何ができるかを考えてるよ」

 95年12月に『空からの力』を発表したキング・ギドラは、翌年に活動を停止。その後は個々のソロ活動を中心としながらも、2002年と2011年に再結集している。20周年の節目となる今回のリリースに前後しては、KGDRとして数々のライヴやフェスへの出演も決定済みだ。そして——「今年? まだ4月ですからね」とZeebraが仄めかす彼らの〈次〉に何が待つ? 

 

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