G.RINAがトンでもない傑作を携えて帰ってきた! 〈シンガーソング・ビートメイカー〉と謳い、エヴァーグリーンなポップ・ミュージックと最先端のベース・ミュージックの間を軽々と行き来してきたG.RINA。前作『Mashed Pieces #2』以来、実に5年ぶりとなる彼女のニュー・アルバム『Lotta Love』は、ルーツでもある80sファンクブギーダンス・クラシックのエッセンスを現代的に表現したカラフルな作品となった。2013年にはシンガーとして参加したtofubeats“No.1”が大きな話題を呼んだほか、今年7月リリースのZEN-LA-ROCK“MOON”でもフィーチャーされ、ここ最近はシンガーとしての魅力に改めて注目が集まっていたG.RINAだが、『Lotta Love』では持ち前の音楽センスとシンガーとしての実力の両面が遺憾なく発揮された一大傑作となっている。

G.RINA Lotta Love TOWER RECORDS(2015)

――『Mashed Pieces #2』以降の5年間でいろんなことがあったと思うんですけど、RINAさんの生活においていちばん大きな変化がご出産されたことじゃないかと。

「そうですね。子供が生まれた直後は物理的にDJも含めて活動できない時期もありましたし、制作に関しても作りたいときにすぐに作るような音楽生活からは一変しました」

――出産後、聴く音楽って変わりました?

「特に聴く音楽は全然変わらなかったですね。DJの予定がなくても新しい音楽を探しにいってしまう感じは変わらずです」

――出産して柔らかい音楽へ興味が移行される方もいますけど、RINAさんの場合は出産後、アフリカのゲットー・ベース・ミュージックをテーマにしたミックスCD(2012年の『♡♡AFRICA』)を作ってるわけですもんね(笑)。

「そうなんですよ(笑)。辺境の音楽やゲットー音楽の探索は続けたいですね」

こちらは……G.RINAの2014年のミックス音源『♡♡BRASIL』

 

――5年ぶりといってもその間にシンガーとしてのフィーチャリング・ワークスが結構頻繁にあったので、あまり空白期間という感じはしませんよね。

「制作活動を休んでいた期間が長かったので、自分としては音楽活動そのものを休んでいたという感覚はあるんですよ。ただtofu(beats)くんとの“No.1”とか、関わった曲が聴いてもらえているのを感じることができたので、それは励みになりました。フィーチャリングの場合はトラックが送られてきて、それに私が歌詞とメロを乗せるという形が多いんですが、それは私にとってもすごく楽しい作業なんです。録音も自分でするので、作業時間もそんなにかからなくて。なので、自分自身の制作ができなかった時期にもそういう依頼をいろいろいただけたのは、とてもありがたかったですね」

tofubeatsの2013年作『lost decate』収録曲“No.1”

 

――2010年以降であればDORIANの“Natsu No Owari”(2010年)やFencerの“シーサイドタウン”(2012年)、ZEN-LA-ROCKの“MOON”(2015年)などへのフィーチャリングもありましたよね。彼らに対して何か特別なシンパシーを感じる部分もありますか?

「トラックメイカーの多くは家で作業していて、データのやりとりですぐいろんなことを進められるという制作スタンスが似てるのかな、と。頼むほうも頼まれるほうも気楽だし、試行錯誤できる。海外のアーティストもそうですね、昔からそんな感じでいろいろやっています」

ZEN-LA-ROCKの2015年のEP『MOON EP』収録曲“MOON”

 

――ところで、RINAさんがいちばん影響を受けたシンガーは誰なんですか。

「(即答して)シャーデー。もうレジェンドすぎて影響というのもなんですが……。私はブラック・ミュージックが大好きなんですが、アレサ・フランクリンみたいに歌うことはできない。シャーデーはそんなに歌い上げるわけじゃないんだけど、とてつもなくソウルがあって」

――アレサ・フランクリンのように歌い上げようとした時期もあるんですか?

「いや、まったくないです(笑)。黒人のアーティストでもジャネット(・ジャクソン)とか、優しい声で歌うシンガーのほうが好きですね、やっぱり」

シャーデーの84年作『Diamond Life』収録曲“Smooth Operator”

 

――なるほど。で、今回のニュー・アルバム『Lotta Love』なんですが、当初の構想はどういうものだったんですか。

「最初は夏・秋・冬・春と季節ごとに配信シングルを出して、それからアルバムを出そうと考えていたんです。でも、そんな勢いで作れなくて(笑)。いずれにせよ、アルバムではMidnight Sunという架空のソウル・バンドをサブ・テーマにしようとは考えていました。3枚目のアルバム(2007年作『大都市を電車はゆく』)の後にリリース・ツアーをしたとき、すでにG.RINA & Midnight Sunという名前でやっていて、その時点では今回のアルバムの1、2曲目でやったことをイメージしていたんですね。ブギーやファンクに特化したサウンドを現代らしく、そして日本語でやるという。でも、その後に出産などがあってできなくなってしまった。なので、今回のアルバムはそれ以来8年越しのアイデアでもあるんです」

――今回のアルバムでも中心的役割を担っているキーボードのIg-arashiさんは、8年前からのお付き合いなんですよね?

「そうですね。Ig-arashiさんは70~80年代のソウルやファンクからトランスまで聴く方で(笑)、おもしろいなと思って。1曲目の“ミッドナイトサン”は8年前のライヴの冒頭でやっていたインストに新たに歌を乗せたもので、そこにIg-arashiさんと肉付けしていってこういう形になりました」

――“ミッドナイトサン”のような80年代っぽいブギー・ファンクもRINAさんのルーツにはあるものなんですか。

「“ミッドナイトサン”というタイトルはミッドナイト・スターからきてるんですけど、ミッドナイト・スターとかSOSバンドは本当に大好き。汗があんまり飛び散らない感じのメロウなファンクというか。あとはザップですね。落ち込んだときはYouTubeでとりあえずザップの映像を観ます(笑)。BETという黒人専門チャンネルでのライヴが最高なんですが、持ってたのがVHSだったから、まったく同じものがYouTubeにあって助かってます(笑)」

89年に行われたザップのBETでのライヴ映像

 

――でも、これまでのアルバムにはそういうザップ的なメロウ感はあんまり出してこなかったですよね。

「そうですね……、ヒップホップにしてもファンクにしても、様式美みたいな部分がありますよね。好きだからこそ、そことどう向き合うのか時間が必要だったんだな、といまは思います。あと私がバンドから音楽活動に入っていないので、80sファンクのバンド・サウンドのイメージを共有できるプレイヤーとの出会いがあんまりなかったんです。でも、2007年に『大都市を電車はゆく』を作った後、バンドメンバーを探していてIg-arashiさんと出会ったり。Kashif(ギター)さんもそうですが、今回のような音を作るにあたって、イメージを共有できるプレイヤーとの出会いは欠かせなかったんです」

――あと、最近は生バンドでファンク/ブギーをやる人たちも増えてきてますよね。そういう状況に後押しされたところもあります?

タキシードクローメオ、他にもいろいろいますね。いい曲もいっぱいありますし、単純に好きですね。でも、悔しかったですよ、〈もっと早くやりたかったのに!〉って(笑)」

タキシードの2015年作『Tuxedo』収録曲“Do It”

 

――8年前にやってればタキシードより早かったのに(笑)!

「ホントですよ(笑)。あと、いまの質感にするにはどうしたらいいかをいちばん悩んだんですけど、ミックスのバランスを考えるのに、まさにそこらへんの現行サウンドをいろいろ聴き比べたりはしましたね」

――今回のミックスはIllicit Tsuboiさんがやっていらっしゃいますね。

「Tsuboiさんにミックスしていただけたのはすごく大きくて。TsuboiさんにはOMSBくんとやった曲で初めてミックスしていただいたんですけど、その時に〈これだ!〉っていう感覚があったんです。Tsuboiさんはヒップホップをベースにしながら、いまの音楽もいろいろ聴いていらっしゃるんですよね。なので、すごく話が早かった」

※OMSBの2013年のコンピ『160OR80』収録曲“Love, Not For Sale”↓

――言葉にしにくいと思うんですけど、〈いまの質感〉の特徴ってどういうものなんですか。

「Tsuboiさんには〈とにかくドライにしてください〉というお願いをしました。あんまり艶っぽくしないというか。そこで言う〈ドライ〉という感覚をすぐに掴んでくださって、音にしてくれたんです。80sってリヴァーブであの空気感を出してると思うんですけど、私にとってのいまの質感というのは、あのリヴァーブ感じゃなくて、もっとドライなものなんですよね」

――キラキラはしてるけど、ツヤツヤはしてない。

「そうですね。フワーッとしてないというか、どこかカチッとしている。同じ音をめざしても、ミックスで全然印象が変わると思うんです。今回は結構思い切ったミックスだと思うんですけど、それが良かったと私は思ってます」