デビュー20周年を迎えたグラスゴー出身のバンド、トラヴィスの約3年ぶりとなるニュー・アルバム『Everything At Once』が完成。そのリリース直前の4月10日に開催された〈Hostess Club presents Sunday Special〉ではヘッドライナーを務め、ライヴでは全10曲となる新作から8曲が披露されたが、まだ耳にしていない曲でもファンのテンションは下がることなく、常に熱いリアクションを見せていた。つまり、聴いた途端に盛り上がれるような親しみやすさを持っていると言えるが、それは歴代のトラヴィスのアルバムに共通していること。
『Everything At Once』は、シンセを用いた音色の広がりや、大半の曲が3分以下という明快さもあり、いつも以上に変化を実感させる仕上がりだ。また、前作に引き続き、世界各国のアーティストから引っ張りだこのプロデューサー/エンジニアのマイケル・イルバートを起用している。今回は、デヴィッド・ボウイの〈ベルリン3部作〉で知られるベルリンのハンザ・スタジオでレコーディングされた新作について、いつも笑顔が絶えないベースのダギー・ペインと、ちょっといかめしい顔つきながら笑うと愛らしいドラムのニール・プリムローズが語ってくれた。
ライヴでエキサイティングになれる曲が集まった
――まず昨日のライヴの感想から聞かせてください。
ダギー・ペイン「今回、いろんな新しいことがあったんだ。ニュー・アルバムからの曲をプレイするのは日本が初めてだったし、新作から8曲も演奏するというのもなかなかないことだった。それにキーボード抜きでライヴをやるのも、実は初めてのことだったんだよね。だから緊張もしていたんだけれど、実際にやってみると日本のファンのみんなの反応も良くて、僕らも楽しみながら演奏できたんだ」
ニール・プリムローズ「98年からずっと日本に来ているけれど、来るたびに温かく迎えてくれることは本当に感謝の念に堪えないことだね。回を重ねるごとに、みんなの反応が良くなっていると思うよ」
――キーボード抜きでライヴをやってみようと思ったのはどうしてですか?
ダギー「10年近く、スウェーデン出身のクラウスがキーボードを担当してくれていたんだけれど、彼がストックホルムの違うバンドから参加のオファーがあって、そちらの活動が忙しくなってしまい、僕らに帯同することができなくなっちゃったんだよね。それが2、3か月前の話で、どうしようとなってしまって。それで困っていたんだけど、新たな試みとして4人でやってみるのはどうだろうという意見が出てきて、試してみることになったんだ。96年からずっとキーボードがいたんだけれど、なしでやってみたら、いまさらだけど〈4人でもできるな〉ということに気付いてしまったんだよね(笑)」
ニール「ステージ上でもコンパクトだしね。これまでも4人がメインで演奏してきたわけだから、その4人がしっかりと演奏できていれば、何とかなるということなんだよ」
――確かによりタイトになったというか、引き締まった感じが伝わってきました。そのライヴですが、まだ日本でリリースされていないアルバムからの新曲がかなり演奏されています。早くセットリストに加えたいという気持ちがあったんでしょうか。
ダギー「う~ん、曲の尺が短いからというのが最大の理由かな(笑)。もちろん、ライヴで演奏するとエキサイティングになれる曲が集まったアルバムになったからというのもある。曲の尺が短かいことによって、みんなが知っていて一緒に歌える曲を同時にセットリストに盛り込むことができたから、いいバランスを保てたんじゃないかと思うよ。(演奏前に振り付けが指導され、演奏時にみんな一斉に手を動かした)“Magnificent Time”のダンスも良かったよね」
ニール「新しい曲を初めて演奏するのが東京と決まった時、東京のファンのみんなは僕らのバンドの音楽に興味を持ってすぐに受け入れてくれるから、8曲も盛り込んでみようということになったんだ」
――結果として尺が短くなったのか、それともレコーディング前から短い曲を作ろうという意識があってのことだったのでしょうか?
ダギー「全部で35分ほどの短いアルバムになったのは、前作で4分30秒あるような長い曲を作ってしまった反動でもあるんだ。何か月もかけてコードを変えたり、楽器を替えたりだとか、本当に自分たちが納得いくまで作り込んだにもかかわらず、いざ完成してラジオ局でかけてもらおうとしたら〈長いから短くしてくれ〉と言われてね。すごく手を掛けた曲を2分にしないといけないとなった時は悪夢のようだったよ。プロデューサーやスタッフとメールを交換し合って、ここを削ろう、ここは残そうとか、その過程が本当に大変だったんだよね。だから、その悪夢を2度と見ないように、自分たちが100%納得したものをそのままの形で聴いてもらえるように意識して曲を作ったんだ。同時にアップビートでもあるので、2分半とか3分の曲はあっという間に感じられる。もう一回聴きたくなるような、そんな仕上がりにもなっていると思うよ」
――そのラジオ局による制限は創作の足枷になったのではないですか?
ダギー「みんな集中力がなさすぎなんじゃない? ほんとに(笑)。でも、皮肉なことに今度はイギリスのラジオ局から〈コーラスを加えてくれないか、時間が足りないので〉と電話がかかってきたんだよ!」
――曲がコンパクトになったことで、ギュッとエネルギーが詰まったような印象を受けます。
ダギー「そう、それは偶然の産物だったね」
これまでになかった要素も投入したアルバム
――前作からメンバー全員が曲作りに携わるようになったわけですが、実際に参加してみていかがでしたか?
ダギー「前作は4曲くらいだったかな。自分がバンドに曲を持っていって、みんながその曲に何かしらを加えて完成まで持っていくのは本当に大変なことなんだ。その過程は楽しくもあるんだけれど、イライラするようなことでもあるし、自分が良いと思ったフレーズや音色がみんなに受け入れられるとも限らない。でも、やっぱり楽しいことではあるよね」
――曲作りに参加したことで得たことはありますか?
ニール「曲を書くことによって、いろいろなことに気付くことがあるよ。自分にとってしっくりくる曲が出来上がることは、僕だけでなくバンドにもプラスになっていると信じたいね」
ダギー「ギターを手にして曲を作ることはずっとやってきたことなので、新しい発見というのはないかな。でも、曲作りには慣れてきたよ。作曲は〈これをすればこれができる〉というものではないので、自分がいいなと思うものが生まれるまで何度も何度もトライしないといけない。そのことだけはいまだに変わることがないね」
――プロデューサーのマイケル・イルバートは前作に引き続いて起用されていますね。
ニール「単純に彼が素晴らしいからだよ(笑)。スウェーデン出身で、彼が作り出すメロディーはスカンジナビアらしさというか、北欧のプロデューサーたちは本当にメロディー作りに長けていると思うね。自分たちのジャンルと、彼のプロデュース・ワークが交差することによってベストなレコードが出来るんだ。もうひとついいところは、彼の専用スタジオがあるので、最初から最後まで場所を変えずに、マイクなどの機材も同じものを使ったりだとか、統一性を持たせることができる。僕らのお気に入りの場所でもあるから、彼と一緒にやるメリットは多いんだよ(笑)」
ダギー「あとマイケルには熱意がある。すごく小さなことにもすごく興奮したりね。彼はテイラー・スウィフトやケイティ・ペリーを手掛けるポップスの天才で、彼が少しいじるだけでサウンドがガラリと変わってしまう瞬間に何度も立ち会っているんだ。彼の力があるからこそ、ラジオで流れた時の人への伝わり方なんかも強くなっている気がするよ」
――では、レコーディングが行われたベルリンのハンザ・スタジオは、いまマイケルが所有しているんですか?
ダギー「いや、違うよ。そのスタジオに彼のルームがあるんだ。ハンザはデヴィッド・ボウイのベルリン3部作やU2の『Achtung Baby』、デペッシュ・モードもレコーディングした伝説的なスタジオとして有名だよね。ほかのスタジオにはない独特の雰囲気があるんだ。それはダークなものなんだけれど、そこから良いクリエイティヴィティーが生まれる。良い意味で重みがあるというか、壁から歴史を感じ取ることができるんだ。アビー・ロードやオーシャン・ウェイにも通じるような伝統がある」
――タイトル曲がシンセ・ポップだったり、これまでにない要素も感じさせつつ、トラヴィスらしいアルバムにもなっています。制作時に聴いていた作品などありましたら、教えてください。
ダギー「ザ・フーの“Baba O'Riley”だね。タイトル曲は2年前に書いたのに、“Baba O'Riley”からの影響を先週気付いたんだよね(笑)。すごくまとめるのに時間がかかった曲だよ。NYで行き交う人々がせかせかと忙しそうにしている様子にインスパイアされた曲で、息継ぎができないほどのアイデアがあって、とにかくその要素を詰め込んだ曲になってると思う」
――約4か月後にはふたたび日本に戻ってきて、〈フジロック〉のステージに立つわけですが、あなたたちにとって〈フジロック〉とは特別なフェスなんでしょうか?
ダギー「本当に美しい場所で行われるフェスだと思うよ。苗場プリンスホテルに泊まることも楽しみなんだ。出演者がそこに泊まっているから、みんなと触れ合う機会があるのも魅力なんだよね」
ニール「〈フジロック〉の後もできれば今年中にまた日本にやってきたいと思ってるんだ。東京以外にも5、6か所くらいでライヴをやってみたい。またすぐに戻ってくるから、待っていてね!」