すべての人のための子守唄は、美しい雨のように降り注ぐ。聖歌隊のCANTUSをふたたびパートナーに迎えた歌声は、日常に射し込む優しい光のようで……

 心の襞にそっと触れるような歌声と向き合いながら、〈坂本美雨の歌声ってこれほどまでにふくよかだったっけ?〉と思う。女性聖歌隊のCANTUSと作り上げたミニ・アルバム『Sing with me』を聴いたときのことである。柔らかさと優しさを増した声でそっと語りかけるように歌うその作品は、まさに最強無敵の子守唄盤だった。そして半年と空けずにフル・アルバム『Sing with me II』がここに届けられて。素晴らしい子守唄には涙腺を大いに刺激する力があることを改めて感じ入る次第だ。

坂本美雨 with CANTUS Sing with me II YAMAHA(2016)

 「CANTUSのリーダーである太田美帆ちゃんやプロデューサーのharuka nakamuraと一緒に子守唄を作り上げていくにあたり、普段のしゃべるようなトーンで歌入れするというテーマが前提としてあって。中音域の歌はもともと得意じゃないし、テクニック的にも難しいんです。でも彼女たちは私の素の声が好きだと言ってくれて、その部分を認めてくれたおかげでウィスパーなどさまざまな取り組みができたし、たくさんの発見ができた。褒められると伸びるタイプなんで(笑)」。

 徳澤青弦のチェロをフィーチャーしたジュディ・シルの“The Kiss”など、〈抑制美〉とも称せられるその静かなる世界は、〈PHANTOM girl〉として覚醒した時期の鮮やかな色彩感と比べても大変魅力的だ。

 「歌い手として〈安らいでほしい〉という意識を働かせることはこれまでにもあったけど、そこがより強まったというか。そもそもそういう歌を聴かせるべき明確な対象が、いま目の前にいるので」。

 その対象とは、インタヴューの間も彼女のそばで無邪気な笑い声を上げていた幼い娘さんのことだ。

 「ただ順番として、歌手である前にひとりのお母さんとしてあたりまえにそうなったことが重要だったんですよね。いま〈人〉としてこれまででいちばん歌が身近な存在になっているように思うんです。日常の一部として組み込まれていて、原始的な部分に触れた状態とも言える。そうなると〈私の表現〉を特に考えなくてもよくなり、誰の曲でもどの時代の曲でも、何でも歌えるって気持ちにもなりましたね」。

 力まず、表現しようとせず、まっさらになる――今回掲げたテーマによって歌声は自己顕示欲の領域から離れたところでナチュラルな響きを獲得することとなったわけだが、そんな彼女を包み込むCANTUSのハーモニーもひたすら美しく、息がぴたりと合う様子はこの1年間で得られたチームワーク力の高まりを示している。

 「自己を消してひとつの輪として溶け合うこと。それってCANTUSの基本姿勢でもある。彼女たちが自然に行ってきた歌との向き合い方はいまの私とリンクしているなと思う」。

 楽しさに溢れた大貫妙子“メトロポリタン美術館”のカヴァーなど、ファンタスティックな要素が見えやすくなったせいもあって、〈不思議の森〉感が強まっている点も本作の魅力である。でもやっぱりいちばん心を掴むのは、坂本美雨というシンガーが胸の奥に宿った記憶に訴えかける歌声の持ち主であることを、改めて実感させてくれるところ。その威力をもっとも示しているのは彼女の原点である“The Other Side Of Love”のリメイクだろう。どこまでも慈愛に溢れた歌声に身を委ねていると、〈この名演に辿り着くためにこのプロジェクトは始まったのではないか?〉とすら考えてしまう。

 「思い出の曲として大事にしてくれていたharukaがどうしてもやりたいと譲らなかったんです。ずっと付き合ってきて距離を感じる時期もあったけど、構成を大胆に変えたharukaのアイデアがおもしろくて、曲の良さを再発見しました」。

 締め括りに宮沢和史“遠い町で”のカヴァーが登場するけれど、どうしても思い出してしまうのは矢野顕子のヴァージョン(アルバム『Home Girl Journey』収録)。「母が歌っていたことは全然意識しなかった」と言うが、頭のなかでは勝手にふたりの歌声が重なり合い、自然と美しいハーモニーを奏でてしまうのである。とにかく個性と普遍性が緊密に結びついている歌声を記録した『Sing with me II』は、坂本美雨史上もっとも美しいアルバムだと断言したい。

 

『Sing with me II』収録曲のオリジナルが聴ける作品。

 

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